
【書籍情報】
| タイトル | あたら夜堂シリーズ1 極彩迷宮 | 
| 著者 | 七緒亜美 | 
| イラスト | 花森かのん | 
| レーベル | アイオライト文庫 | 
| 本体価格 | 400円 | 
| あらすじ | 昭和24年。復員後、明久津累は貸本屋『あたら夜堂』を営んでいた。 そんな彼を激戦地での悪夢が苛む。ジャングルでの恐ろしい記憶と共に右の目が痛み、彼を苦しめていた。 戦友であり、カストリ雑誌の記者をしている辻ヶ瀬透に誘われ、彼は有閑マダムが主催する『妖異倶楽部』に参加する。 そこで、たたら坂で幽霊が目撃談されていると聞く。 深夜、噂のたたら坂の井戸に向かう二人。 奇妙な気配と共に、彼らは井戸に落下してしまう。 目を覚ました二人の前に広がっていのは、ジャングルの光景だった。 怪奇と幻想の迷宮の中で、彼らは思いもよらぬ光景を目の当たりする。 そして明久津と辻ヶ瀬はそれぞれ、ある秘密を抱えていた。 明久津は、見えざる怪異の真にたどり着けるか……?  | 
【本文立ち読み】
あたら夜堂シリーズ1 極彩迷宮
 [著]七緒亜美
 [イラスト]花森かのん
目次〔一〕
 〔二〕
 〔三〕
 〔四〕
 〔五〕
 〔六〕
 〔七〕
 〔八〕
 〔九〕
〔一〕
密林《ジャングル》は生い茂った枝や葉がギラつく太陽の光を遮って薄暗く、その湿度でじっとりと汗が滲《にじ》む。
 暑い……この戦地に来て、何度この言葉を胸の中で呟いたことか。
 よもぎ色の防暑襦袢《ぼうしょじゅはん》はすっかり土や汗にまみれ、その不快感に顔をしかめてしまう。
 密林特有のうねるように絡み合う樹々……
 ヤシの木などの巨木、そこかしこに巻き付く棘のある蔓草……
 腐葉土に似た特有の臭いが鼻をかすめる。
 それだけじゃない。
 密林には日本ではお目にかかれないような昆虫やワニなどもおり、まとわりつくように寄ってくる蚊や蠅などが鬱陶しい。
 おまけにこの蚊はマラリア感染の危険もあり、ある意味、爆撃より恐ろしかった。
 ここは緑の地獄だ。
 その時、生い茂った熱帯雨林の樹々の葉がざわりと揺れ、俺はぎくりと音のするほうを振り返る。
 視界の端で鬱蒼とした樹々の間を極彩色の巨大な鳥が飛んでいった気がして、身体が竦《すく》んだ。
 赤や青の鮮やかな羽毛の不気味なあの鳥……そしてあの目……
 厭《いや》だ……こっちに来るな――!
 あれは不吉な鳥だ。
 その証拠にあの奇怪な鳴き声……
 「ギィエェー! グギャァ――――」
 嗚呼……断末魔のような悲鳴じみた怪鳥の鳴き声がする!
 やめろ……やめてくれ……!
 「――――やめ、ろ……」
 「……くつ――い、おい……! 明久津《あくつ》!」
 肩を揺すぶられ、ハッと目を開ける。
 顔を上げれば、辻ヶ瀬《つじがせ》透《とおる》が心配そうにこちらを覗きこんでいた。
 「辻ヶ瀬……?」
 辻ヶ瀬はちょっとホッとした面持ちで寝ぼけ眼の俺の頭に手を置いてくしゃりとした。
 店の奥の小上がりで、眠れなくて酒を呑んでいるうちに座敷机に突っ伏す恰好で寝てしまっていたらしい。
 少し着崩れて緩んでしまった絣《かすり》の着物の衿を直し、柱時計を確認すれば夜の一時を少し過ぎた頃を示している。
 ここは密林《ジャングル》ではなく、貸本屋『あたら夜堂』である。
 その事に安堵し、悪夢の余韻を打ち消すようにそっと吐息する。
 辻ヶ瀬はそんな俺の様子に彫りの深い顔を僅かに曇らせ、座敷机の上のウイスキーの瓶と酒の注がれた洋盃《コップ》をチラと見やる。
 「明かりがついていたから寄ってみたんだが……大分、魘《うな》されていたぞ。大丈夫か?」
 「ああ……平気だ」
 そう頷き返せば、辻ヶ瀬は俺の手許にある黒い眼帯を一瞥して「目の調子は相変わらずか?」と訊く。
 「うん、たまに光の加減なんかで痛むんでね。眼帯をしていると楽なんだ」
 そう頷けば、辻ヶ瀬は「どれ」と身を乗り出し、俺の目蓋にかかる前髪をかき上げて右目をじっと見つめる。
 辻ヶ瀬はくっきりとした二重の形の良い目を少し眇めるようにし、俺は間近に彼の精悍な顔を見つめ返す。
 「充血などはしていないようだが……あんまり酷いなら眼医者に行った方がいいな」
 「……そうだな」
 いくら眼医者に行っても症状は変わらないのだが……俺は誤魔化すように黒い眼帯を手に取り右目を覆う。
 辻ヶ瀬は、まじまじと俺の顔を見つめ、妙に感心した様子で言う。
 「いつも思うが、なんとも鑑賞に堪える顔だよな」
 「優面《やさおもて》ということか? これは生まれつきだ。男の顔なんて、目鼻口がついてればそれでいいさ」
 そう頬杖をつきつつ返せば、辻ヶ瀬が可笑しそうに肩を揺らす。
 「美男子に言われると、いっそ清々しいな」
 母親譲りのくっきりとした二重の目や細い鼻梁に、紅をさしているわけではないのに少し赤みの帯びた唇……
 昔から肌も白くて、紅顔《こうがん》の美少年だの女形が出来そうな見目だのと言われることがしばしばあった。
 それこそ学生時分は、少女小説の挿絵の王子様のようだと女学生から熱烈な恋文をもらったこともある。
 そんな風に褒めそやされても、あまり嬉しいものでもなく辟易《へきえき》したのを覚えている。
 俺としては辻ヶ瀬のような野性味のある男らしい相貌が羨ましいのだが、こればかりはどうにもならない。
 辻ヶ瀬は、こちらに身を乗り出したまま「うむ」と一人納得したように頷く。
 「おまけに戦地から戻ってきて肌艶がいやに良くなっているし、妙に若返って見えるぞ。明久津よ、人魚の肉でも食っていないか?」
 人魚の肉を食べれば不老不死の効果があるという。
 しかし、それは伝説にすぎない。
 俺はちょっと呆れて「フン」と鼻を鳴らしてしまった。
 「八百比丘尼《やおびくに》じゃあるまいし。そんなもの、どこでどうやって手に入れるんだ?」
 そもそも戦地では、いつ死ぬやもしれない状況だったのだ。
 常に気が張っていたし、緊張《きんちょう》漲《みなぎる》る顔つきになるのは当然である。
 そんな毎日を過ごしていたら老け込むのも当たり前である。
 復員した今の、ちょっと腑抜けてのらくらしている姿こそ本来の俺である。
 そう返す俺に、辻ヶ瀬は「そうだな」と、少し揶揄《からか》いを滲ませた笑みを浮かべた。
 辻ヶ瀬こそ戦地では、密林《ジャングル》に身を潜める獣のようにギラギラとした目つきだった。
 銃弾や砲弾が飛び交う最中でも、常に冷静で狼狽える姿を見たことがなかった。
 それどころか、危険な状況を楽しんじゃいないか? なんて思うこともあったのだ。
 そして戦地から戻ってきた今、この男の端正な顔には妙な凄みはそのままに、修羅場をくぐってきた者特有の風格すら漂わせている。
 元来、こういう男なのだろう。
 「辻ヶ瀬こそ、密林《ジャングル》の獣が市井で人間のふりをして暮らしているようだな」
 そうポツリと漏らせば、辻ヶ瀬は呵々《かか》と笑った。
 「そりゃあ、俺はいつでも真剣に命を燃やしているからな」
 「なるほどな。それは御見逸《おみそ》れしました、ってやつだな」
 「褒め言葉としてとっておくぜ」
 そう辻ヶ瀬は座敷机を挟んで向かいに胡坐をかき、しげしげと薄暗い店の中に目を走らせた。
 「それにしても、またがらくたが増えちゃいないか?」
 『あたら夜堂』は貸本屋なのだが、彼の言う通り最近は骨董品やがらくためいた品々が増え始めている。
 年代物のブローチ等の装飾品や壺、もう時を刻まない懐中時計、日本人形、ブリキの金魚の玩具に、数体のこけし……様々なもので溢れていた。
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