壺中天地シリーズ Ⅰカーディナル・レッドの指先

【書籍情報】

タイトル壺中天地シリーズ カーディナル・レッドの指先
著者七緒亜美
イラスト水綺鏡夜
レーベルヘレボルス文庫
本体価格400円
あらすじ

【本文立ち読み】

壺中天地シリーズⅠ カーディナル・レッドの指先
[著]七緒亜美
[イラスト]水綺鏡夜

目次

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〔1〕

バー『よすが』は椋鳥駅を出てすぐ近くの、ゆめみ銀座商店街に店を構える。
下町情緒あふれるレトロな商店街にある、オーセンティックなバーだ。
本格的なバーだが、決して堅苦しい店という訳ではない。近隣の常連さん達に愛されており、人づてに遠くからやって来るお客さんもいる。
多人数でわいわい呑むというよりは、大人の隠れ家といった雰囲気で、ゆったりとするのが心地よいバーである。
店内は、オーナーである神宮司《じんぐうじ》玲子《れいこ》さんが海外に赴いて買い付けたアンティークな調度品に囲まれている。
恋人や気の置けない者同士で過ごすのも良いし、優雅な透かし彫りの背もたれが美しいアーム付きサロンチェアに腰かけて、一人で好きな本を読みながらグラスを傾けるのもお薦めだ。
そんな『よすが』でバーテンダーとしてシェイカーを振るようになって、数週間が経った。常連さん達の酒の好みなども大分頭に入って来て、最初の頃よりは肩から力が抜けてきた頃合いだった。
厨房から調理担当の夏目君が「小鳥遊《たかなし》さーん、ライムとレモンが届きましたよー」とやってくる。
夏目君は、俺よりずっと先にスタッフとして居るのだが、こちらが年上だからと律儀に敬語で接して来る。
そもそも彼との年の差なんて、たかだか三才ばかりだし「敬語じゃなくてもいいですよ」と伝える。
すると夏目君は、朗らかな笑顔で「昔からの癖なんすよお。地元じゃ、先輩にうっかりタメ口で話そうもんなら、木刀か釘打ちバットでヤキを入れられちゃうんで」と言う。
厳しい体育会系の環境にいたのかと思いきや、それってつまりはヤンキーってことだよね……
唖然とそう呟けば、何故か夏目君は照れくさそうに「いやあ、俺も含めてヤンチャな奴が多い地区だったんで」と後ろ頭を掻いていた。
ついでに「年上の人に敬語を使われると、なんか身体がむず痒くなるんで……」ということで、こちらもその言葉に甘えてフランクに接している。
夏目君は、その人懐こい性格で近所のご老人達に可愛がられており、店でも彼より年上のお客さんに人気がある。
「そういえば、本採用テストのカクテルは決まったんすか?」
「うん、怜子さんからは日本酒を使ったカクテルっていう、お題なんだけど……」
「日本酒かあ……前に怜子さんから、日本酒が好きって聞いたことがあるなあ。東北出身だからかな、結構こだわりがあるみたいっすね」
夏目君が言い、俺は思わず低く唸って胸の前で腕を組む。日本酒を使うカクテルは数種類あるが、どれにしようか迷っていたのだ。
「でも、小鳥遊さんの腕前ならきっと合格っすよ!」
そうニッコリと笑みを向けられ、俺もつられて「ありがとう」と微笑む。
その時ドアベルが鳴り、男性が入って来た。初めて見るお客さんで、仕立ての良いスーツ姿は、どことなく弁護士などの堅い職業といった雰囲気を醸している。
彼は素早く店内を眺め回して、カウンター席にやってきた。
「いらっしゃいませ」
おしぼりを置こうとしたのと同時に、彼は「コープス・リバイバーを」と告げる。
コープス・リバイバーは、メニューにはないカクテルだ。そのレシピもナンバー1からナンバー4まであり、それぞれブランデーベース、ジンベースと異なるのだ。
ちなみに、コープス・リバイバーは『死体を蘇らせる』という意味のカクテルだ。
酒棚に目をやり、ナンバー1から4のどれを希望されても材料はあることを確認する。しかし、メニューにないカクテルを出して良いものか逡巡してしまう。
その時、俺の横にいた夏目君が抽斗から何やら取り出して、彼に差し出す。
見ればそれは名刺くらいの大きさの黒いカードで、夏目君は「こちらにどうぞ」とにっこりとする。
銀縁の眼鏡が神経質な印象を与える男性は、唇の端を僅かに上げて、差し出された黒いそれを受け取ると席を立った。
「どうも」
そう言い残し男性は店を後にする。その様子を呆気に取られて見つめる俺に、夏目君が「あっ、そっか! まだ小鳥遊さんには、伝えてなかったっすよね、すみません!」と申し訳なさそうに眉を下げた。
「どういうこと?」
「所謂、裏メニューってやつっすね。コープス・リバイバーを注文されたら、ここに名刺があるんで、それを渡してください」
そう彼がシルバー製の美しい植物模様の彫刻が施されたカードケースを見せる。
「コープス・リバイバーは合言葉みたいなもの?」
「そうです。神宮司オーナーを経由しないと、裏メニューの存在は知りえないっすね」
「その名刺の人を仲介しているってこと?」
裏メニューに黒い名刺……なんだかダークな雰囲気を感じてしまい、ぎょっとする俺に、夏目君はにこにことする。
「そういうことですね。多分、そろそろ店に来るんじゃないんですかね?」
「それは名刺の人が?」
「はい。その時は紹介しますね」
一体、どんな人なんだろう? 夏目君の口調からは、特段ダーティーな人物ではなさそうだが……
「あの、その名刺の人ってどんな人? 男性、女性どっち? あと、何をしている人?」
疑問符を頭の中に点灯させて問えば、夏目君は小さく首を傾げる。
「えっと……男で、いつもなんか眠そうな人っすね。あと……あの人、肩書きは何になるんだろう……占い師、かな? ついでにいつも派手な柄シャツを着てるっす」
眠たげで派手なシャツを着た、職業はおそらく占い師の男? 益々怪しさが増して、眉根が寄ってしまう。そういえば怜子さんは知り合いが多く、政界から警察組織、裏社会にも顔が利くと夏目君から聞いたことがある。
「夏目君、俺の知っておくべき裏メニューって、他にもあるのかな?」
そう恐る恐る訊けば、夏目君は「あります!」と大きく頷いてみせる。
「通称『夏目君の気まぐれどんぶり』っす」
「あ、それは知ってるわ」
常連客にだけ出す、夏目君がその時の気分で作るどんぶりである。気まぐれというだけあって、卵がトロトロの親子丼だったり、野菜と肉を特製たれで炒めたものがのったどんぶりの時もある。
気まぐれどんぶりだけでなく、夏目君の作る料理はどれも美味しくて、お客さんの評判も上々である。
「小鳥遊さん、ストックが切れたものがあるんで、一っ走りして買ってきますね」
裏口に向かう夏目君を「いってらっしゃい」と見送り、店内には俺だけになったその時だった。
示し合わせたように、出入り口のステンドグラスの嵌めこまれた木製のドアが開き、ドアベルが鳴った。そこにいた人物を見て、息を呑んだ。
眠たげな雰囲気を纏い、派手な柄のシャツを着た男である。
これは、噂をすれば何とやらと言うやつではないだろうか? 少し緊張しながら「いらっしゃいませ」と告げれば、彼は僅かに片方の眉を上げてみせた。

〔2〕

「そっか、新しいバーテンダーさんが入ったんだっけ……」
そう彼が呟いて、カウンター席にやってくる。
俺は彼を観察するように素早く目を走らせた。
年は三十代後半から四十代前半くらいだろうか? 少し猫背気味で全身から気だるげな雰囲気を漂わせている。
面立ちは整っている部類だと思うが、その目は眠たげでなんとも覇気がない印象を受ける。少し伸びた髪は所々はねており、わざとそうセットしているというよりは、寝起きのまま外に出たんじゃないだろうか。
おまけに招き猫と麻雀牌がちりばめられた、俺だったら頼まれても着ない柄シャツに、着古したジーンズとサンダルという風体は、どこぞの組のチンピラにも見えてしまう。
彼こそが裏メニュー、コープス・リバイバーの人だろう。しかし、全く違う人という可能性もある。
ああ、夏目君が居てくれたら……! そう心の中で叫んでしまう。
どっこいせ、と何ともオヤジくさい呟きと共にカウンター席に腰を下ろし、彼もまたじっとこちらを見つめていた。
少し垂れた眠たげな瞳の奥に何か鋭い光を感じて、俺は内心ぎくりとなった。
「そういえば、陽向《ひなた》は?」
陽向《ひなた》……夏目君の名前だと思い出し、頷き返す。
「夏目君なら、ちょっと買い物に出ていますよ」
そう接客用の笑みと共に告げれば、彼は「あ、そうなの」と薄く無精ひげの生えた頬を掻く。それから、シャツの胸ポケットから何かを取り出し、こちらに差し出す。
「これ、陽向に渡しておいてくれる? そろそろ無くなるって聞いたからさ」
受けとったそれは黒い名刺の束で、やっぱり彼が裏メニューの男だと確信する。
少し艶のある黒いそれには、銀色で『黒諏輝良』と印字されている。その下には小さく携帯電話の番号が印字されていた。
「くろす、さん?」
そう呟けば、彼は「うん、黒諏《くろす》輝良《あきら》っていうの。よろしくね」とこちらに手を差し出した。
それが握手の為だと気付いて、俺は慌てて彼の手を握り返す。
「小鳥遊涼と申します」
黒諏さんは「小鳥遊《たかなし》涼《りょう》、良い名前だね」と微かに唇の端を上げた。握り返した彼の手は、少し冷たくさらりとしている。何となく爬虫類を連想しつつ、すぐさま手が離れた。
「今日はすぐに帰るつもりだったけど、せっかくだし一杯だけ。ジントニック、いいかな?」
俺は気を引き締めながら「かしこまりました」と準備を始める。
ジントニックは、ジンとトニックウォーター、ライムなどを使うシンプルなカクテルだ。しかし、シンプルだからこそバーテンダーの技量やこだわりが試されるカクテルでもあるのだ。
ライムの鮮度も重要だし、使用するジンの種類によっても味が変わって来るのだ。
中華料理店でチャーハンを食べれば、その料理人の腕が分かるというのと同じで、バーテンダーとしては、最初にジントニックを注文されると、背筋が伸びる。
果たしてこの人は、俺の腕を試すためにオーダーしたのだろうか? 申し訳ないが、カクテルに造詣が深かったり、こだわりがある人には見えない。
そんな事を考え、出来上がったジントニックの入ったグラスを彼の前に置く。ジントニックにはこれと決めているジンを使用し、青果店から届いたばかりの新鮮なライムは、爽やかに香っている。自分でも満足のいく出来栄えだった。
注意深く黒諏さんを見つめれば、彼は一口飲んで、微かに頬を緩めた。
「へえ、怜子が採用しただけあるね。前のバーテンダーさんのジントニックも好きだったけれど、きみのも好きになれそうだ」

【続きは製品でお楽しみください】

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