ポムグラニットと魔法鉱石大事典


【書籍情報】

タイトルポムグラニットと魔法鉱石大事典
著者忍足あすか
イラスト稲垣のん
レーベルペリドット文庫
価格400円+税
あらすじ魔法使いポムグラニットが『魔法薬草大事典』ルネとともにマンドラゴラで生計を立てるようになって早数年。いつもどおりの一日を終えようとしていたとき、突然助けを求めてひとりの美貌の男がやってきた。彼の名前はジェム。ルネと同様、世界に数冊しかない稀代の『魔法鉱石大事典』だという。彼は『古猫ミリアム』と呼ばれる古物商に、ある大切なものを狙われて追いかけられているらしいのだが――?

【本文立ち読み】

序章

国は小国アーコルド、気候は一年を通して温暖で、ささやかな四季の巡りが美しい。これといった観光地はないが、農作物が豊富で、国土のわりには豊かだった。周りを大国に囲まれていないから、というのもあるかもしれない。ここ百年も戦はなく、疫病も流行らず、いっとき旱魃による飢饉に襲われたものの、現在は静かな日々が続いていた。
そういえば、ここセラムは、アーコルドの中でもどの辺りに位置するのだろう。
魔女レムの部屋に行けば地図はあるだろうが、ポムグラニットはこれまで考えたこともなかった。その必要がなかったともいえるし、興味がなかったともいえる。
「マジカの三年もの、お待たせいたしました」
あひるの雛が、少女の声でにこやかに告げた。だが、当のあひるは眠たそうにしている。
勘定台の上には、紫の絹のクッションに座ったあひるの雛。クッションの下には幅広の紫のりぼんが敷かれていて、勘定台を挟んでふたり、店主と客がそれぞれ両端を握っている。
勘定台に座っているのは、十四、五歳の少女だ。真珠色の髪を耳の下で切り揃えているが、耳の前に長い一房があり、それを三つ編みにして桃色の色硝子《いろがらす》をつけている。
格好は古めかしい。
大きな黒いとんがり帽子をかぶり、つま先が少し反り返った革靴を履いている。服も真っ黒で、昔の法衣のようだった。格好からすれば彼女は魔法使いだろうし、得手としている魔法は古代魔法に属されると思われる。
なんにせよ、魔法はともかく格好は恐ろしく時代遅れだった。
魔法使いポムグラニットは夕陽を溶かした蜂蜜のような色の瞳を見開いて、客の若い魔法使いの女性のくちもとを見つめた。読唇術を身につけたいのだ。思い立ってから数年経つが、これがどうして難しく、まだまだ心許ない。これまでのりぼんや紐での会話に慣れてしまっていたのも一因だろうと思う。
ポムグラニットは聾唖《ろうあ》だ。先方に『ポムグラニットに伝える』という意思があり、ポムグラニットにも『相手の声を聴く』という意思があって、なおかつりぼんや紐といったものの仲介がなければ、音は一切聞こえない。
つまり、彼女にとって、マンドラゴラの絶叫は意味をなさない。
魔法使いにも錬金術師にも呪術師にも必要とされる薬草マンドラゴラ。齢《とし》を経れば畑を抜け出し、自らの足で歩いて回るようになる。そして、引き抜く際には、よくて発狂、最悪の場合には聞いたものを死に至らしめる絶叫を上げる。
だから、需要はあるものの供給は慢性的に足りていない。そんな中、聾唖の魔法使いポムグラニットは、マンドラゴラの栽培と販売を生業としていた。儲けないはずがない。
「ああ、ありがとうございます! やっと、やっとです。あ、いえ、待たされたっていう意味じゃありませんよ」
マジカと呼ばれる種類の中ぶりのマンドラゴラを大切そうに押しいただいて、亜麻色の髪の魔法使いの女性が感激している。ちょっと付け足された一言に彼女の思い遣り深さが表れていて、ポムグラニットも微笑んだ。
「やだ、もう、私ったら恥ずかしい……はしたないところをお見せしてすみません」
「いえ、きっとわたしがあなたでもそういう反応をすると思います。何せ三年半ですから。よく待っていただけたと思います。ありがとうございます」
「ありがとうなんて、そんな、こちらの台詞ですよ。これはこの大きさで三年ものに相当するんですか」
「はい。マジカはあんまり大きくならないんです」
――って、ルネが言ってた。
心の中で言い添える。
ルネ。
一緒にマンドラゴラを栽培して暮らしている男性の名前だ。
男性といっても、人間ではない。俄かには信じがたいことなのだが、彼は世界に数冊しかないという人型の魔導書なのだった。稀代の魔法薬草大事典だ。
ポムグラニットも、一度だけだが本の形態になった彼を見たことがある。
瑠璃色の装丁が鮮やかな、美しい本だった。古いことはわかるのに、くたびれてはいない。表紙には金文字で古語の表題が書かれている。それが彼の真《まこと》の名前らしく、そのときポムグラニットには読めなかった。真の名前は、彼が認めたもの、教えてもいいと思ったものにしか読めないのだ。
――もっと仲良くなってから教えよう。
ルネと契約を交わした――というか、一方的に契約関係を結ばされてしまったあと、彼はそう言って笑った。その方が納得がいくだろう、と。
ポムグラニットはそこに彼の誠意を見出した。だから、とんでもない契約の仕方も胸におさめられたのだ。
魔法使いの女性がにこやかに店を出ていく。長い亜麻色の髪が上機嫌に揺れていた。背中がうきうきしている。
「やれやれ、あんなに喜んで、何に使うつもりだろうな」
ふり返ってみれば、ルネが木杓子を片手に苦笑していた。奥二重《おくぶたえ》の垂れ目は、相変わらず少し眠たそうに見える。
瑠璃色がかった短い黒髪と、明るい瑠璃色の瞳は装丁の色なのだろう。ひょろりと背が細長く高いが、これで意外に力持ちだということを、ポムグラニットはよく知っている。彼はマンドラゴラの畑で、大きな重い鍬を軽々と扱ってみせる。
美丈夫とはいえないが、さっぱりとした印象の清々しい容姿をしていた。年齢は二十代前半といったところだが、実際はもちろん不詳だ。とりあえず、百歳や二百歳程度ではないことだけは確かだった。いつの時代のものだか判然としない、丈の長い黒い法衣のようなものを着ている。
店は以前居間として使っていた部屋に布で間仕切りをしてつくっている。つまり、布一枚めくればそこはすぐに生活の間だ。ルネは夕食の準備をはじめたらしかった。
「今日はシチュー!」
かすかなにおいを感じ取って、ポムグラニットが頬をきらきらさせたら、ルネは子どもの頭を撫でる父親のような顔で笑った。
「よくわかったな。今日はいい鶏肉が手に入った」
あひるの雛、ダアがびくっとしてルネを見上げる。小さな黄色い羽をぱたぱたさせた。ルネがおかしそうに苦笑いする。
「心配しなくても、きみを食べたりはしないさ。俺のかわいい所有者殿の大切な使い魔だからな。きみを鍋に入れたりなんかしたら、俺はその場で暖炉にくべられる」
「大丈夫だよ、ダア。シチュー楽しみ! もうお店閉めちゃおうかなあ」
開店時間は日の出、閉店時間は日の入りだ。外は、もうずいぶん暗くなってきている。窓がわずかに震えていた。ポムグラニットは自然の音を聞くことはできないが、そのぶん大気を伝わる振動には敏感だった。
「今日は何を買ってきたの?」
ポムグラニットとルネ、それから使い魔であるあひるの雛のダアが住む家は、いちばん近い村に行って帰るにも丸一日かかる。定休日は夏至、冬至と前後二日間と設定してあるから、ポムグラニットは基本的に家にいた。その代わりに、ルネが買い物に出てくれるのだ。
買い物に出るのは月に一度。マンドラゴラで商売するようになってからというもの、ポムグラニットが彼についていくことはほとんどない。
「芋だな。それから葡萄酒、あとはいつものかったいパンと――」
「林檎!」
「当たりだ」
ルネは一度奥に引っ込み、すぐ戻ってきた。勘定台に座ったままのポムグラニットに、真っ赤に熟れた磨いた林檎を手渡す。
「わーあーい、きれい! おいしそう。ルネ、ありがとう。食べてもいい?」
ポムグラニットは林檎が好物だ。だから、林檎が生る秋は好きな季節だった。
「シチューが腹に入らなくなるぞ」
「大丈夫。林檎一個くらいじゃおなかはいっぱいにならないもん」
そうそう、これくらい平気平気。
ポムグラニットはふふふと笑って、林檎に向かって大きな口を開けた。

【続きは製品でお楽しみください】

 

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