ポムグラニットと魔法薬草大事典

 


【書籍情報】

タイトルポムグラニットと魔法薬草大事典
著者忍足あすか
イラスト稲垣のん
レーベルペリドット文庫
価格400円+税
あらすじ「マンドラゴラを栽培しよう」。ある日突然失踪した師匠の代わりに現れたのは、世界に数冊しかないという稀代の人型魔導書『魔法薬草大事典』のルネ。日々の生計を立てるため、魔法使いポムグラニットは彼とともにマンドラゴラを栽培することにする。そんな中、売り込みをかけようと手紙を出した薬種問屋から、とある相談を持ちかけられて――?

【本文立ち読み】

序章

どうやらこの魔法使いは遠方からやってきたらしい。勘定台に座っているあひるの雛と、台を挟んで座っている店主らしき少女を見て、顔が少し引き攣っている。
あひるの雛が座っている紫の絹のクッションの下には、同じく紫の絹の幅広のりぼんが敷かれている。そのりぼんの両端を、魔法使いと店主の少女はそれぞれ握っていた。
「では、生育年数二年のマンドラゴラ二本で、二十万リンになります」
「そんなに?」
陽に灼《や》けた若い頬に、「高すぎるのではないか」と書いてある。よくあることだ。腹は立たない。特に若い魔法使いに顕著な反応だった。
「そうは申されましても――」
あひるの雛が、ぱくりと口を開きかけたときだった。
「値段に文句があるなら帰ってくれ。客はきみだけじゃないんだから、俺たちは一向に困らない」
奥からひとりの男が顔を覗かせた。何やら、分厚い本を何冊も抱えている。
「ルネ!」
あひるの口から鋭い叱責が飛ぶ。が、当のあひるは退屈そうに欠伸していた。ちょっとうとうとしている。
実は、先ほどからしゃべっているのはあひるではない。あひるの雛の主人である、大きな黒いとんがり帽子をかぶった少女だ。
十四、五歳だろうか。真珠色の髪を耳の下の高さで切り揃えている。両耳の前にそれぞれ細く長い一房があって、それを三つ編みにしていた。桃色の色硝子《いろがらす》をつけている。瞳は夕陽を溶かした蜂蜜のような色で、髪色といい珍しい。
袖の長い黒い服を着ている。どことなく法衣に似ているが、丈自体は膝までだから軽やかだ。このとんがり帽子といい、勘定台の下から見えた、つま先が少し反り返った折り返しのある革靴といい、どう考えても魔法使い。恐らく得意としている魔法は古代魔法だろう。今時、こんな格好をしている魔法使いはいない。流行に乗り遅れているどころの話ではなかった。
「なんだと? 客に対して利く口じゃないだろう」
客の魔法使いが気色ばむ。ふむ、短気らしい。
「申し訳ありません。ひとならぬものの性《さが》ということで、お目溢しください」
瞼が半分閉じている黄色い雛が言う。勘定台の少女がぺこりと頭を下げた。大きな黒いとんがり帽子が傾ぐ。帽子にぶつかりそうになって、男は身体をのけ反らせた。
「ひとならぬもの……?」
男が猜疑心いっぱいの目で無礼者を睨む。
人間にしか見えなかった。
瑠璃色がかった短い黒髪に、髪より明るい瑠璃色の双眸と、色白の肌。奥二重《おくぶたえ》の瞼は少しばかり眠たそうだ。目尻がやさしく下がった垂れ目だから、余計にそう見える。長身痩躯には、いつの時代のものだかわからないほど昔風の黒い服を着ていた。こちらもやはり法衣に似ている。
「人間だったとしても俺は同じことを言うぞ。魔法使いのくせに、マンドラゴラの栽培の難しさ、収穫の難しさから考えられる対価も弾き出せないとは、嘆かわしい。なあ、ダア」
おっとりとやさしそうな外見をしているのに、言葉は結構辛辣だ。ひとならぬものらしい男は、あひるの雛に笑いかけた。少女が「やれやれ」とでも言いたげに首を振っている。
「ともかく、二十万リン。これ以上はビタ一リン負からん。文句があるならほかを当たってくれ」
ひとならぬものの男、ルネはそう結ぶと、また奥へ引っ込んでしまった。

一年を通じて比較的温暖な土地であるセラムは、マンドラゴラの生育にぴったりだった。ひとくちにマンドラゴラといっても実は色々と種類があり、細分化されているのだが、このあたりの説明はとりあえず必要ないだろう。むろん寒冷な土地を好む種類もいる、とだけ言い添えておく。
ポムグラニットはセラムの森の奥に捨てられていたところを、魔女レムに拾ってもらった。記憶にはない。赤ん坊の頃の話だ。その頃は大変な飢饉だったから、珍しい話ではない。煮て食べられなかっただけ幸運なのかもしれなかった。
ポムグラニット――この少々変わった名前は、お伽噺に出てくる伝説の大魔女、『世界の果ての尖塔に住まう古《いにしえ》の大魔女ポムグラニット』が由来だ。『大魔女ポムグラニット』は赤い瞳をしているという。ポムグラニットの瞳の色にはそこまでの輝きはないものの、魔女レムが大切につけた名前だった。
魔女レムは大きな鷲鼻の老女だった。顔は蜘蛛の巣が張ったような皺に覆われており、目など落ち窪んで糸のようで、歯も所々抜けている。
それでも何故か、彼女はいつだってはっきりとしゃべった。しかも、若い女の声で。
ポムグラニットは必然的に魔法使いに育て上げられた。当然といえば当然だ。魔法使いに拾われて、ごくごく普通の農婦になれるわけがない。
魔女レムは、ポムグラニットが『魔法使いポムグラニット』ではなく、『魔女ポムグラニット』を名乗れるようになる直前に、何故か突然失踪してしまった。
――『一冊』の魔導書を残して。

「ルネ、お客さんにああいうことを言うのはやめてって何回言ったらわかるの」
蒸かしたじゃがいもにバターをかけて、頬張りながら言う。ポムグラニットは口が利けないから、『言う』といっても口や舌を動かす必要はないのだ。だから、口に物が入っていようが遠慮がない。
ポムグラニットがちょっと怒っているというのに、ルネはまるでどこ吹く風だった。
「言って当然のことを言ったまでだ。俺の今の所有者殿は金策ができないからな。俺が口出ししなければ、貴重なマンドラゴラを二束三文で売ってしまうだろう」
ルネが澄まして言った内容は事実で、ポムグラニットは簡単に詰まってしまった。おっしゃるとおりなのだ。
ポムグラニット、金策がどうしても身につかない。魔女レムに拾われて、ポムグラニットはほぼ完全に俗世間と隔てられてしまった。もちろん金のなんたるかくらいは知っているものの、いくらがどれほどの価値を持っているのか、何がどの程度の価格ならば妥当なのか、そういったことが未だにきちんとわからないでいる。月に一度森から出て買い物に出るのだが、何がどう釣り合っているのかがわからない。
「俺が付き添いでいなければ、何を掴まされるかわかったものじゃない」
わざとらしく溜息をついて、ルネは頭《かぶり》を振った。
まあ、ポムグラニットがひとりで買い物できないのは、金の問題だけではないのだが。突き詰めると、単にルネがポムグラニットに甘いだけという話なのだが。
ポムグラニットは、口が利けないだけでなく、耳も聞こえない。ひとと話すときは、何か紐か帯状のものを用意し、相手に片方を、そして自分がもう片方の端を持って話す。それも、相手に『ポムグラニットに話す』という明確な意思があり、ポムグラニットにも『相手の話を聴く』という意思がなければ成立しない。
ダアの声が聞こえるのは、主人と使い魔の関係にあるからだ。魔法使いは、使い魔とは魂の一角で繋がっている。だから聾唖《ろうあ》のポムグラニットにも声が聞こえるのだ。裏を返せば、魔女レムのような存在を除いたとき、彼女は普段それしか聞こえない。
世界は音で溢れ返っているらしい。
どんな音だろう。
鳥や虫は鳴くらしい。
どんな声で鳴くのだろう。
木や草花も、擦れて音が鳴るというし、風そのものが音を出したりもするそうだ。
そんなにたくさんの音が一度に聞こえてくるなんて、うるさくはないのだろうか。
うるさいとは、どのような感じがするものなのだろう。
互いが意志を持ったときのみ成立する物理的な繋がりがなければ、ポムグラニットは音を得ることができない。どうしたって自然の音を聞くことはできないから、彼女にとって、それらは魔法の音律と同様のものだった。
神秘に満ちた、不思議な力を持つ、言葉にならない何か。
「所有者殿、手が止まってるぞ」
向かいに座ったルネにやさしく指摘されて、ポムグラニットは静かに食事を再開させた。ルネはなんだかんだ言って世話焼きなのだ。だからこそ、魔女レムが最後に残してくれたのだろう。
自分がいなくても、ポムグラニットが困らないように。
ポムグラニットが、寂しくないように。
「しかし、なんだな。あひるの雛を使い魔にしている魔法使いは、恐らくきみくらいのものだろうなぁ。俺の歴代所有者は結構な数にのぼるが、あひるが使い魔なんていうのはきみがはじめてだ」
人間といえば魔女レムしか知らないポムグラニットは想像するしかないが、もしかしたら、人間の祖父は孫に対してこんな顔をし、こんなふうに語りかけるのではないだろうか。
ルネは指先で、普段使いの朱色の綿のクッションに座ってうとうとしているダアの頭をぐりぐり撫でた。
「卵から孵った子、大事にしてたら、いつの間にか齢《とし》取らなくなってたの」
ルネがくすりと笑う。
「魔法使いの周りではよくある話だな」
硬いパンを千切って、ミルクのスープに浸す。実は、食事もルネがつくってくれているのだ。
「所有者殿、味はどうだ? 今日は少し違うはずなんだが」
ただし、味見はできない。そんなことをしたらふやけてしまう、が彼の口癖だった。
もちろんそんなことにはならない。ルネは土砂降りの中でも平気で蕪を引き抜きに行く。
「うん、おいしい。ミルクなのに、甘いっていうより、ちょっと塩っぽい」
「好きかい?」
「うん」
「そうか、よかった。じゃあ、またつくるよ」
笑顔で言われて、ポムグラニットは少し照れた。まったく、ルネは何かにつけ甘やかしてこようとする。
「ありがとう……」
ある程度育った後で知り合ってよかったと、心から思う。小さな頃からこれに慣らされていては、恐らくポムグラニットはとんでもない我儘なお姫様になっていただろう。
もしくは、ぼんやりとしたのんびり屋さんか。
ポムグラニットはパンでスープの最後のひとくちをきゅっと拭って口に放り込む。心中で、
――そうそう簡単には甘やかさせないぞ。
そんな妙な決意表明をしながら。

【続きは製品でお楽しみください】

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