この想いは蜜よりも甘く~2、ゼロからイチへ~

 


【書籍情報】

タイトルこの想いは蜜よりも甘く~2、ゼロからイチへ~
著者相沢蒼依
イラスト水綺鏡夜
レーベルフリチラリア文庫
価格400円+税
あらすじ幼なじみで一緒にいるうちに好意を寄せ合うふたり。その気持ちは絡まり両想いになる。そして同性婚合法化で結婚、幸せな新婚生活が待っていると思ったのも束の間、思いもよらない問題が発生する。

【本文立ち読み】

この想いは蜜よりも甘く~2、ゼロからイチへ~
[著]相沢蒼依
[イラスト]水綺鏡夜

目次

すべてがゼロになる日
イチからはじめる距離の縮め方

すべてがゼロになる日

(焦るな、落ち着け。月末まで、まだ日数と時間はある――)
一泊二日で行った新婚旅行の予定を切り上げ、旅行の二日目の午後から仕事をはじめた榊。和臣には疲れていないかと心配させてしまったが、いつもの休日よりも充実していたので、そこまで疲労感がなかった。
榊はつけ慣れない左手薬指の指輪に意味なく触れながら、パソコンのモニターに視線を飛ばす。
『指輪は見える形でしばりつけたいっていう、独占欲の表れなんだけどさ』
照れ臭そうにもじもじして告げられた和臣の言葉を不意に思い出し、瞬間的に頬の緊張が緩んでしまった。慌てて奥歯をかみしめ、なんでもないふうを装う。
丸一日休んだ分を取り戻すべく、いつも以上に仕事に励まなければならないというのに、指輪に触れるとつい、新婚旅行の出来事がフラッシュバックした。
指輪がはめられていることに慣れてしまえば余計なことにとらわれず、集中して仕事に打ち込めることを頭でわかってはいたが、いつも以上にピンク色に染まっている心が、榊自身をふわふわと浮つかせた。
気合を入れ直すべく、頭を横に何度も振る。本日何度目の行動だろうかと考えながら、デスクに置かれた財務諸表に視線を飛ばした。
財務諸表とは各企業の実績や財務状況をまとめた資料のことで、投資家にとっては自分が投資している会社の業績を見ることができる重要な資料であり、投資判断の材料にもなる書類なので、榊も仕事でよく使用する書類だった。
目をつけていた会社の業績が思ったよりも芳しくないことを、売上の数字から読み取っている最中に、スーツのポケットに入ったままのスマホが、バイブで着信を知らせた。
お客様からの電話だと思って、立てかけてあった分厚いファイルを机の上に広げつつ、空いた手でポケットからスマホを取り出してディスプレイを確認する。
そこにはめったにかかってくることのない、和臣の会社の名前が表示されていた。スマホを自宅に置き忘れたときにかかってきたことは何度かあったが、かけてくる時間帯はいつも16時以降だったので、不審に思いながら画面をタップし、耳に押し当てた。
「はい、榊です」
現在の時刻は14時26分――榊の真似をして出勤した和臣に新婚旅行の疲れが出て、体調が悪くなったという知らせを、会社の誰かに頼んだ可能性があるなと予測した。
「もしもし、株式会社池上木材工業の桜庭と申します。高木くんのご家族の方でしょうか?」
「はい、そうです」
電話の向こう側の切羽詰まった感じの喋り方に、榊の心が一気に波立った。そのせいで自己紹介する言葉を奪われただけじゃなく、背中に嫌な汗をかく。
「高木くんが仕事中に事故に遭いまして、市内の大学病院に搬送されました。事故の状況はですね――」
焦りながらも丁寧にそのときのことを語っていく桜庭のセリフが、榊の耳にまったく入ってこない。会社側としては誠意を示そうと説明をしているだろうが、そんなことはどうでもよかった。
「か、和臣の怪我の具合はどうなんですか? かなりひどい状態なんでしょうか?」
スマホを握りしめる、榊の手の力が増していく。背中にかいていた汗が額にも滲んできたが、拭う余裕なんてなかった。
「それはですね、見た目の外傷のぐ」
「見た目の外傷って、そんなにひどいものなのでしょうか?」
「落ち着いてください、榊さん。高木くんは大丈夫ですから」
事故の説明を止めただけじゃなく、外傷の説明をしかけた桜庭の言葉を遮って口を開いた、失礼な態度をとる榊を宥めるように声をかけられてしまった。
それでも和臣の容体が心配で気が動転し、ふたたび同じ言葉を告げそうになったことにハッとする。
「失礼いたしました……。和臣が怪我をしたということに驚いてしまって」
榊は目をつぶり、深呼吸を数回繰り返して心を落ち着かせた。まぶたの裏に映り込んだ和臣の笑顔に、少しだけ癒される。
『僕は大丈夫だから、そんなに心配しないでね』
そんなセリフを言いながら笑いかけてくるほほ笑みは、今の榊にとって精神安定剤にもなった。
「ご家族ならば当然のことでしょう。心中お察しします」
「お心遣い痛み入ります……」
「早速ですが高木くんのことについて、状況をあらためて説明しますね」
落ち着くことができた榊の様子を悟って話を続ける桜庭に、内心感謝した。和臣が会社の話をする上で、必ずといっていいほど出てくる上司の名前だからこそ、知り合いにも似た感情を抱いてしまう。
「商品の検品中に束ねていたバンドが切れて、高木くんと一緒にいた同僚に向かってなだれ込んできたんです。慌てた高木くんが同僚を押しのけ、かばってしまったことで事故に遭いました」
「商品と言いましても、御社が取り扱っている木材の種類がいろいろあることは、高木からの話で伺っています」
商品がなだれ込むなんて、建材で使うものなら大怪我につながる。だが上司である桜庭が大丈夫だと告げた言葉を信じ、商品について質問してみた。
「今回の事故で荷崩れを起こした商品は、すのこの材料になる軽い板材でした。重さは軽いとはいえ、何十本も倒れた木の下敷きになったので、助け出すのに時間がかかってしまって」
「そうですか。状況はわかりました」
想像した建材ではないことに、榊は内心ホッとしながら返事をすることができた。
「警察の事情聴取が済み次第、大学病院に向かいますが、榊さんはどうされますか?」
(どうするかなんて、聞くまでもないのに――家族なら、すぐにでも駆けつけなければならないだろ……)
「……上司と相談して、なるべく早めに早退できるように善処します」
榊は右手をデスクの上でぎゅっと握りしめながら、やっと言葉にした。
「わかりました。それではのちほど病院で」
端的に告げた桜庭の声がふっと途切れ、ツーツーという無機質な音が榊の鼓膜に響く。
頭の中では次にしなければならないことが流れているのに、力なく耳からスマホを外すのがやっとだった。なかなか行動に移せないのは、厄介な自分の上司の顔色を窺わなければならないから。
「和臣……」
今頃痛みで苦しんでいる姿を想像したら、動かなければと榊のスイッチが入った。手にしているスマホのロックを解除し、ハイヤーを呼び出すアプリを起動する。
早朝出勤からはじまり、残業で夜遅く帰宅する榊が普段使っている足は、黒塗りのハイヤーだった。
二年前にあった会社主催のゴルフコンペで、同じ部署の同僚と一緒に用意されたハイヤーに乗り込むことになり、後部座席に上司と先輩が座ったので、必然的に榊は助手席に座ることになった。

【続きは製品でお楽しみください】

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