式子内親王の歌の世界(二)

【書籍情報】

タイトル式子内親王の歌の世界(二)
著者横尾湖衣
イラストE缶
レーベル夕霧徒然双紙
価格350円
あらすじ式子内親王は、平安時代末から鎌倉時代初頭の大動乱期を生きた女性。その歌は『新古今和歌集』に四九首入集していて、女性歌人として第一位であります。賀茂の斎院として少女期を過ごされ、和歌に情熱を傾けられました。その艶麗なる歌、重層的な余情のある歌の世界へ誘う1冊、第2巻目。

【本文立ち読み】

式子内親王の歌の世界(二)
[著]横尾湖衣[イラスト]E缶

―目次―

● 目次

第一章 千たびうつ砧の音
第二章 桐の葉もふみ分けがたく
第三章 忍ぶることの弱りもぞする
第四章 思ひの絶えぬ冬の夜
第五章 袖の上にかきねの梅は

主な引用・参考文献一覧
あとがき

 

第一章 千たびうつ砧の音

 

 

千《ち》たびうつ

砧《きぬた》の音に

夢覚めて

物思ふ袖の

露ぞくだくる

 

 

***

 

 

この歌は、『新古今和歌集』の巻五・秋下に収録されています。この歌を解釈すると、

 

 

「限りなく何度もくり返し打つ砧の音に夢がすっかり覚めてしまって、物思いをしている袖の涙の露が(珠のように)砕け散ることですよ」

 

 

となります。

他にも『式子内親王集』(雖入勅撰不見家集歌・勅撰に入ると雖《いへど》も家集に見えざる歌)、『定家八代抄《ていかはちだいしょう》』(秋下)、『時代不同歌合《じだいふどううたあわせ》』等にも収められています。

 

参考詩句として、『和漢朗詠集《わかんろうえいしゅう》』の「擣衣《とうい》」題の中にある白楽天《はくらくてん》(白居易《はくきょい》)の「八月九月正長夜/千声万声無了時(八月《はちがつ》九月《くがつ》正《まさ》に長き夜《よ》/千声《せんせい》万声《ばんせい》了《や》む時無し)」という詩句があげられます。この詩句は「八月、九月と、晩秋のころになると、本当に夜も長くなってくる。その長い夜に、黙々と衣を打つ砧の音がひっきりなしに、どこの家からも聞こえてくることだ」というような内容です。

 

 

「砧」は絹などの布地のつやを出したり、柔らかくしたりするために槌《つち》でたたく石または木の台。冬の仕度のために秋に作業することが多かったので、晩秋によく詠まれました。「くだくる」は「うつ(打つ)」の縁語になります。

 

 

***

 

 

砧の音、擣衣を打つ音といえば、李白の「子夜呉歌《しやごか》」という詩が思い出されます。

 

 

長安一片月

萬戸擣衣聲

秋風吹不盡

總是玉關情

何日平胡虜

良人罷遠征

 

(書き下し文)

長安 一片《いっぺん》の月

万戸《ばんこ》 衣を擣《う》つの声

秋風《しゅうふう》 吹いて尽きず

総《すべ》て是《こ》れ 玉関《ぎょくかん》の情

何《いず》れの日にか胡虜《こりょ》を平らげて

良人《りょうじん》 遠征を罷《や》めん

(解釈)

長安の空に冷たく冴えわたる月がぽつんとあり、どこの家からも衣を打つ砧の音が聞こえてくる。愁《うれ》いを運ぶ秋の風はやむことがなく吹き、これら(月光・砧の音・秋の風)がすべて玉門関《ぎょくもんかん》に遠征している夫を思い慕う情をかきたてる。いったい、いつになったら北方の異民族を平定して、夫は遠い戦地から帰ってくるのであろうか。

 

 

「長安」は唐代の都、今の西安です。「一片月」は「一つの月」、もしくは「辺り一面に光る月」のことです。後者の解釈は、「片」は個数を数える量詞ではなく、広がりを意味する量詞だという説からです。「万戸」は「すべての家々」の意になります。「擣衣」については『和漢朗詠集』の白楽天の詩句で触れましたが、砧を打つことです。また、「吹不尽(盡)」は、吹きやまないという意です。「総(總)」は月・砧の音・秋風のことで、これらがすべて「玉関(關)情」へとつながっていきます。「玉関情」とは、玉門関に遠征している夫を思う妻の気持ちのことです。「何日」はいつになったら、と訳します。「胡虜」は北方のえびす(異民族)、そして「良人」は夫のことです。

玉門関は、ゴビ砂漠の中にあります。漢の時代に設置され、唐の時代ではシルクロード交易の中継として重要な場所でありました。つまり、西域への重要な関門で、玉門関の向こう側は西域という境界の関所でした。現在も残っていますが、現在のは唐の時代の遺跡になります。

ゴビ砂漠は、言うまでもなくモンゴルと中国にまたがる広大な砂漠です。砂漠には、砂砂漠と礫《れき》砂漠、岩石砂漠という三つの種類があるそうです。私の訪れたゴビ砂漠は、小石がゴロゴロとした、小石混じりの平坦な荒れ地でした。タクラマカン砂漠は砂の砂漠でゴビ砂漠は石の砂漠、ゴビ灘《たん》だという説明を現地で受けました。

ゴビ砂漠の中にも、鳴沙山《ミンシャーシャン》(めいさざん)という砂丘、砂山といった方がいいのでしょうか、砂の砂漠があります。東西の長さ四〇キロメートル、南北の幅二〇キロメートルにも及ぶ大砂丘群を言うそうです。オアシス都市である敦煌《ドンファン》(とんこう)市街の南約五、六キロメートルほどのところにあります。その鳴沙山の麓辺りに月牙泉《ユエヤーチュァン》(げつがせん)という、池のような三日月形の泉があり、周囲は砂ばかりなのに埋まることはないとのことでした。

ゴビ砂漠は、確かに広い砂漠でした。烏魯木斉《ウルムチ》から吐魯番《トルファン》まで車で移動したのですが、あまり景色の変わらない風景の中をただひたすら走っているというような印象でした。途中、蜃気楼も見ました。

続きは製品でお楽しみください

式子内親王の歌の世界一(和歌文学シリーズ6)

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