
【書籍情報】
| タイトル | さがし屋たぬき堂手帖~巌も繋ぐ緒のはなし~ |
| 著者 | 忍足あすか |
| イラスト | 花森かのん |
| レーベル | ペリドット文庫 |
| 価格 | 400円+税 |
| あらすじ | 俵屋敷町の盆踊りは、下駄を踏み鳴らして踊ることから鳴子踊りと呼ばれている。その夜、七歳以下の子どもがいる家では、寝ている子の枕もとにへその緒を置く。七つまでは神のうちである我が子を『あちら側』に『引っ張られないように』するためだ。そんな夏祭りが近づいてきた夏のある日、佛圓家にのもとに赤子を抱えた姉が帰ってきた。なんでも、へその緒を盗まれてしまったという。龍生は失せもの捜し屋を営む狸夫婦のもとへ助けを求めに行くが――。『失せもの捜しの佛圓龍生』と評判をとる下駄屋の跡取り息子と、失せもの捜しを請け負う狸夫婦の少し不思議な日常譚。 |
【本文立ち読み】
序章
俵《たわら》屋敷《やしき》町《ちょう》の夏祭りで行われる盆踊りは、鳴子《なるこ》踊りと呼ばれている。夕方から、なんと翌朝五時までぶっ続けで踊る結構な持久戦だ。
鳴子踊りがはじまると、辺りにはお囃子よりも高く鳴り響くものがある。
下駄の音だ。
踊りに参加するものはみな真新しい下駄を履き、お囃子に合わせて踏み鳴らす。かんかん、こんこんと威勢のいい高い音が鳴る。その音で、ご先祖様に「帰ってくるのはここですよ」と伝えているのだ。
下駄は新調したものでなければいけない、という決まりはない。
でも、大抵のものは鳴子踊りのためだけに新調する。
底の擦り減った下駄では高く澄んだ音が出にくいためだ。
基本的に下駄は祭り半月前くらいから買い求める客が出はじめ、一週間前となるとどんどん出て、祭り当日にもばんばん出る。鼻緒の調整をしてくれと来る客もいるし、踊っていたら底が駄目になったから、と買い替えていく客もいる。鼻緒が切れたから挿げ替えてくれという客も、よく来る。
つまり――
夏、下駄屋である、すず屋は忙しい。
「父さん」
紺の印伝《いんでん》の鼻緒を下駄に当てて、色を見る。模様は蜻蛉。涼しげでなかなかいい。
龍生《たつき》が作業そのまま話しかけると、父の竹虎《たけとら》は
「どうした」
こちらも手もとから目を離さないまま応えた。竹虎は子ども用の下駄を調えている。赤い鼻緒がかわいらしい。
鳴子踊りが開催される広場のすぐ傍に、すず屋は店を構えている。結構大きい。大金を稼ぐわけではないが、歴史が古いのだ。見世は広く、そこに下駄を並べて置いてある。それはもうみっしりと置いてある。隙間はない。店先でかっぱらわれても気づかない程度には数が多く、またかっぱらわれるおまえが悪いといわれそうな並べ方だった。むろん壁も下駄で埋め尽くされている。
色とりどりの鼻緒を、色ごとに分けて束にして吊り下げている。これもやはり数が多く、一束や二束ではなかった。台は見世の中央に山と積まれている。
見世の奥で、ふたりはせっせと鼻緒を挿げていた。時刻は午後二時。いちばん暑い時間だ。じわじわと汗が滲んでくる。古びた扇風機が弱々しくからからと回っていた。
開店中、すず屋は何もかも開けっぱなしにしている。表など何もない。
薄暗い気がするのは外が明るいからだ。空は青く、遠く入道雲が聳えている。太鼓のれんの影が濃い。白い道はわずかに砂埃が立っていた。晴れるといつもそうなのだ。すず屋の閉店は店先の掃除が終わってからだった。
蝉も休んでいる時間だから、静かなものだ。苛烈な陽射しが店の前を横切る道を眩しく照らしている。人通りもない。広場のすぐ傍という立地ではあるけれども、こんな真夏日、この時間にお天道様の下で遊ぶのは少数派だ。大体にして、この広場、イベントの際にしか使われない。普段は人影はほとんど見られなかった。
「終わらない気がする」
「終わらないじゃない。終わらせるんだ。どうせ祭りが終わるまでは終わらない」
毎年恒例の会話だった。竹虎と龍生の祖父も同じ遣り取りをしたというから、きっとご先祖様方も皆さん通ってきた道なのだろう。
「つまり終わらないんだよね」
「終わらないな。うちが忙しいのは今だけだ。精々稼がせていただこう」
成人式や七五三はみな呉服屋に行くから、竹虎の言うとおり、実際多忙なのはこの季節だけなのだった。夏祭りが終わってしまえば、ぼけっと店番するような日常が戻ってくる。
「姉ちゃん、いつ帰ってくるっけ?」
やすりくじりで穴を拡張しながら問う。老眼鏡をかけ、首に手拭いを引っかけた竹虎は、坪《つぼ》引きを手に取ったところだった。
「盆休みに入ってからだろう。まだしっかり決まってないんじゃないか。決まってたらキリちゃんが言うだろうから」
「そういえばまだ母さんから何も聞いてないなあ」
龍生も首に手拭いを引っかけている。去年の夏祭り、くじで当てたものだ。縁起のよい七宝が染めつけてある。
藍の太鼓のれんは揺れもしない。ただ、南部鉄器の風鈴だけはかすかな風でも捕まえるようで、時折きりりぃんと鳴る。
「今年はどんな柄にしようかなあ」
静かで、暑くて、景色が遠くて眠たくなる。昼下がりという夢のような時間が、瞼をそっと撫でていく。
「お縞《しま》さんか。雪之丞《ゆきのじょう》さんも」
「うん。縞柄は前に持っていったんだよね。おそろいのやつ。今年は――どうしよ。父さん、おすすめある?」
お縞、雪之丞は佛圓《ぶつえん》家が先祖代々世話になっている夫婦だ。
先祖代々――この言葉からわかるように、もちろん人間ではない。本性は、齢《よわい》いくつになるか知れない化け狸。この狸夫婦、失せもの捜し屋たぬき堂を営みつつ、日々慎ましく生活している。
中元、歳暮はもちろん贈る。それとはまた別に、佛圓家のひとびとはみな、三年に一度、夏に下駄を贈っていた。
「そうだなあ。雪之丞さんはほら、そこにあるやつどうだ。紗綾《さや》型《がた》。鉄紺《てつこん》の。さっき挿げてたろ」
「これ」
「そうそう。そのあたりの色なら雪之丞さんの手持ちの浴衣に合うだろう。あのひと夏は紺か黒だからな。お縞さんは――前回は何色選んだ?」
「青系。藍色と紺色と水色と、あとほっそ~く黄色」
「んじゃ赤だな。前坪《まえつぼ》と鼻緒の色が違うのいいんじゃないか。前坪赤いやつ。鼻緒はほれ、麻の葉。違う違う、そっち。それ。そこのやつ」
両手が塞がっている竹虎は目線と顎でなんとか龍生を誘導しようとぐにぐに動いている。龍生は手にしていた仕事を膝の上に休めて、重ねて置いてある鼻緒をあれこれ取って父親に見せた。
「あ、これか」
「そう。それ。どう」
「いいと思う」
正直なところよくわからない。竹虎だってそうだろう。乙女心などわかるものではない。
――乙女心か。
お縞にそんなかわいらしく繊細な心が備わっているのだろうか。
彼女は大変におきゃんな娘なものだから、色々な意味でとても頑丈そうに見える。むろん頑丈だからといって乙女心がないとは限らないわけだけれども、なんというか、彼女からは女性特有の甘さがあまり感じられないのだ。ついでにお縞はどう考えても色気より食い気なので、装身具にこだわりがあるようにも思われなかった。実際、彼女が身につけているものといったら、夫から贈ってもらったという象牙の簪《かんざし》くらいのもので、ほかのものに心奪われているところは見たことがない。
「お縞さんって、おしゃれに興味あるのかなあ」
「いくらなんでもお縞さんに失礼だぞ。あるだろう、大なり小なり。少なくとも下駄は喜んでくれるじゃないか」
「確かに。でも色気より食い気だよね」
「失礼だぞ」
「否定はしないんだ」
竹虎は何も言わなかった。それはそうだ。否定のしようがない。お縞はとにかくよく食べる。好き嫌いなくなんでも食べる。許せば許すだけ際限なく食べる。何故太らないのだろう。彼女の身体の中はブラックホールなのだろうか。
「健康で何よりだ」
しばらくの間を取って、竹虎が苦心の一言を絞り出した。
店先を掃除する。外はまだ明るい。ああ夏だなあと染み込むように思う。ついこの間まで七時は真っ暗だったのに、花の季節からこっち、どんどん日が長くなって、今では宵闇がやさしい。
「暑い……」
気温はやさしくない。手拭いで鼻の下と項を拭った。
「おーい龍生。シャッター下ろすぞーはやく戻ってこーい」
「はぁい」
ざっとひと掃き、龍生は息をついた。
今日もよく働いた。いい一日だった。
満足して箒と塵取りをひとまとめにし、半分ほど下ろされたシャッターをくぐって中に入る。
シャッター下ろすぞ、と言った竹虎の姿はない。というのも当然で、彼はこの台詞を最後に帰宅する。下ろすぞ、は「あとは頼んだ。よろしくな」という意味だ。
「あれっ。姉ちゃん」
見世の奥、居住スペースに通じる廊下。長のれんをかき上げて、姉の風子《ふうこ》が立っていた。腹に大きな白い塊がはりついている。龍生は表情が緩むのを感じた。
「久しぶり。もう来たんだ。義兄《にい》さんは?」
「まだあっち。理由《わけ》ありで私たちだけはやく来たの」
「理由?」
「あとで話す」
「わかった。美樹《みき》は元気?」
抱っこ紐で抱えられた美樹が、うごうごと蠢く。短い足が揺れていた。風子は困っているみたいな顔で笑う。
「元気。もうどうしようっていうくらい元気」
「いいね」
「いいんだけどね、もうどうしようって感じなの」
風子が「ねえ、美樹元気だよねー」と話しかけると、美樹は「きゃっ」と喜んだ。
「髪、相変わらず長いね」
「うん。アイデンティティなのよ」
龍生が物心ついたときから、風子は長い髪だった。ショートカットはもちろん、セミロングにしているところすら見たことがない。
「でもね、」
言葉を止めて、風子はぶんぶんと頭を振った。当然髪は見えないが、彼女が何を伝えたいのかはわかる。学生時代に比べれば短くなったのだと言いたいのだろう。
学生時代といったら、彼女の髪は腰に届くほどだった。たぶん、今は肩甲骨が隠れるか否かの長さだ。そこが譲歩及び妥協の限界なのは龍生も知っている。いつ聞いたかは覚えていないが、風子自身がそう言っていた。
「よく邪魔にならないね。美樹もいるのに、大変じゃない?」
「楽ではないけど、楽じゃないからこそ気合いが入るの。洋一《よういち》さんが美樹、お風呂に入れてくれるから、一応多少の余裕はあるのよ」
風子の夫、洋一は実家の畳屋を継いでいる。風子によると、風呂と寝かしつけは洋一担当らしい。風子が寝かしつけようとしても、美樹は乳のにおいに興奮するタイプらしく、なかなか落ち着いてくれないのだという。
「気合いが入るならそれに越したことないよね」
龍生は笑いながら言って、掃除道具を片付けた。がらがらとシャッターをしっかり下ろして鍵をかける。
「飯にするぞー」
奥から竹虎の声が聞こえてきて、龍生と風子は揃って「はぁい」と返事をした。今日は素麺だぞぉとうれしそうな声が戻ってくる。
姉ちゃん行こう、と言いかけて、龍生は口を噤んだ。
風子の横顔に、かすかな影が過ったからだ。
それは一瞬のことだったけれど。
いやな予感は当たる。龍生はとてもよく知っている。巷間で言い継がれているからではない。実体験として、いやというほど思い知っている身だからだ。
――理由あり、か。
これも予感。
お縞と雪之丞の世話になりそうだった。
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