【書籍情報】
タイトル | サラダボウル |
著者 | 横尾湖衣 |
イラスト | |
レーベル | ノースポール文庫 |
価格 | 400円 |
あらすじ | 四月から「サラダボウル」と呼ばれている中高一貫校で古典を教えることになった玉城梨沙。どうやら担当するクラスの中には、多様なバックグランドを持つ生徒たちばかりのクラスがあるようだ。どう古典を教えていくか試行錯誤する梨沙だが、個性豊かな生徒たちと交流を重ねていく中で梨沙もまた「多様性」や「古典の面白さ」など様々なことに気付いていく――いろいろなことを問いかけてくる、古典の授業を舞台にしたライト文芸。 |
【本文立ち読み】
サラダボウル
[著]横尾湖衣
目 次
●目次
一、 「桜散る季節のはじまり」
二、 「朝三暮四」
三、 「日本語単語帳」
四、 「人は見かけで判断される」
五、 「等類の事」
六、 「鴻門之会」
七、 「同音異義語ゲーム」
八、 「サラダボウル」
一、桜散る季節のはじまり
私、玉城梨沙《たまきりさ》は、この四月より「サラダボウル」と呼ばれている高校 に勤務することになった。もちろん、サラダボウル高等学校なんていう学校名ではない。そう地域で呼ばれているだけであって、崎嶋《さきしま》学園高等学校という立派な正式名称がある。
桜がはらはらと散りかかる校門をくぐる。今日からここで、私は古典の授業を担当する予定だ。学年は二年生と三年生。基礎・入門の一年生と違って、内容が濃い教材になる。
「おはよー先生。先生、新しい人だね。何の先生?」
いきなり生徒に声をかけられた。随分親しげな、フラットでフレンドリーな生徒で、少しびっくりした。
見たことがない新しい先生だということで、興味津々というような表情でこちらを見ている。
「おはよう、国語だよ」
とりあえず、フレンドリーに答える。もしかしたら、こういう校風なのかもしれないと思ったから。
「そー。オレんとこの、クラス?」
「さぁ、どうだろうね? 授業が始まってみれば、わかると思うよ」
「そだね。じゃあ、それ待つわ。オレ、朝練あるよ。じゃあ」
「がんばってね」
手を振られたので、私も手を振りかえした。
初対面で、お互い名前も知らないのに、この近い距離感は何なのだろう? どう考えてみても、やはりこういう校風の学校なのだろうとしか思えない。
私は靴を履き替え、事務室に寄る。事務室で打刻カードを受け取り、そのまま二階の職員室に向かった。
***
私が担当するクラスは、二年生が四クラス、三年生が二クラスだった。担当クラスの生徒名簿を、教科主任の先生からいただいた。
私はいただいた名簿に目を通す。その名簿に目を通した途端、私は「サラダボウル 」と呼ばれている意味を理解した。そして、校門近くで挨拶をした生徒が思い出された。
そのいただいた名簿だが、まずアイウエオ順ではなくアルファベット順だった。また、名前はローマ字・英語表記になっていて、その隣の欄にカタカナ表記の名前か漢字・ひらがな表記の名前が並記されていた。
これはかなり手強そうだ。古典という教科の性質からして、現代文よりもはるかに難しそうだと思われた。しかし、現代文よりは自信がある。根拠のない自信に近いかもしれないが、何の根拠もなくはない。早い話、古文は日本語ではなくミニ外国語みたいなものだからと進めていけば、何とかなりそうな気がした。
とはいえ、手強そうなのは変わらない。グローバル化がどんどん細部まで進んでいく世界、日本も当然その渦中にある。
「日本人」と一口で言うが、その日本人自体も多様化している。日系アメリカ人、中国系アメリカ人、イタリア系アメリカ人等と多様化しているアメリカ合衆国のように、日本人もまた中国系日本人、アメリカ系日本人、ブラジル系日本人等、「○○系日本人」という人が増加している。
それはなぜか?
それは日本国籍を持っている者を「日本人」というからだ。同じ日本人であっても、その人のルーツや文化的背景等は違うのだ。
日本人なら、日本語が話せて日本語が書けて当たり前、という時代ではもうない。だから、日本語指導が必要な生徒が外国籍の生徒だけという考えはもう古いのだ。そこには、外国籍の生徒だけでなく、日本国籍の生徒もいるということを忘れてはいけない。
教務手帳に担当クラスの名票を貼り付ける。改めてクラスの名票で生徒の名前を見ていたところ、かなり国際色豊かだった。この名前はおそらく東洋系、中国系か韓国系のどちらかであろう。こちらは、ベトナム系かな? アラブ系やトルコ系もある。おそらくブラジル系……。もちろん欧米系もあった。
一クラスでこれだけ国際色が豊かだと、個性も豊かそうだ。それぞれのバックグランド(背景・出自等)を尊重し、受け入れながら……、配慮する必要はありそうだと頭の片隅に入れる。
この学校の先輩教員より、最初の授業で「授業の進め方」等の基本方針をはっきり示した方がいいというアドバイスをいただいた。
確かに国際色豊かなので、認識を統一させておいた方がいいと思う。また、細かく示しておいた方が授業も進めやすいだろう。私はパソコンの電源を入れた。
まずは、「『古典』を学ぶにあたって」というガイダンスのプリントを作成する必要がありそうだ。
私はカバンの中から、使用が許可されたメモリスティックを取り出す。そのメモリスティックをパスコンに差し込み、私は前任校で作成したひな形を読み込ませた。そのひな形を利用してこの学校用にアレンジしようと思った。
授業日、使用教科書、使用副教材を具体的に明記し直す。授業の持ち物として、教科書、ノート、筆記用具、辞書、古典文法は必ず準備し、授業に臨むことと記す。それは最低限用意しなくてはならないもの、ということを付け加える。
次に、「学習の仕方」として「予習」「復習」のことを入力する。特に「予習」は、授業を円滑に進めていく上で重要だ。事前準備をしっかりしてもらわないと、困る。なぜなら、改訂されていく指導要領でどんどん学習内容が増え続けているからだ。「カリキュラム・オーバーロード(過積載)」問題にもなっている。
指導要領のカリキュラムをこなすためには、どうしても予習前提で授業をすすめていくしかない。そのため、次に「ノートの作り方」について入力する。
「予習」のためのノートの作り方を細かく書く。また、そのノートを使っての授業のイメージも思い浮かべやすいように、ノートの見本例を作成する。
高校生に、ここまで細かく、手取り足取り書く必要があるかなぁ、とも思った。思ったが、「こういう作成の仕方もある」ということを、体験してもらうのもいいだろう。
自分に合っていれば、それを採用すればいい。また、それをベースにアレンジしていくのもいいだろう。将来的には、ね。まずは、いろいろ試させることや体験させることも必要。だって、彼、彼女らは、今現在進行形で学んでいる最中なんだから。それは、私も、なんだけどね……。
あとは「復習」に「定期考査のやり直し」もすることや、授業中に小テストをすることなどを明記する。そして、成績の出し方や評価の仕方について、さらに授業中の「きまり」等を記す。
入力し終わり、完成したガイダンスを職員室のプリンタに送って印刷する。それを元原稿として、人数分のプリントを用意するために印刷室に行った。
明日から、本格的に授業が始まる。私は「どんな生徒たちと対面するのだろうか?」と楽しみであった。と、同時に漠然とした不安と心配もあった。
***
この学校での初めての授業は二年生のクラスで、休み時間が通り過ぎてきた他のクラスよりもにぎやかで元気のいいクラスだった。 教室に入った途端に、「国語、嫌い」とか「古典なんか意味わかんない。やりたくねぇ」という声の洗礼を受けた。
私はそれらを聞き流す。チャイムが鳴ったので、「授業を始めます」と開始の合図をした。すると、このクラスのリーダーが「起立」「礼」の号令をし、生徒たちは嫌々ながら立ち上がって授業開始の挨拶をした。もちろん私も礼をする。
私は簡単に自己紹介をし、先ほど印刷したプリントを配布した。そのプリントを見ながらノートの使い方や評価の仕方などを説明する。
説明をしながら、生徒たちの様子を見た。真面目にプリントを見ながら説明を聞いている生徒もいれば、全く違うことをしている生徒もいた。そこで、授業中の「きまり」ごとについてもう一度、今度はさらりとではなく少し強めの口調でゆっくりと言う。
日本では暗黙のルールなのかもしれないが、授業中は指示がない限り、自分の席に座ることや、お菓子を食べながら、ゲームをしながら授業は受けられないという旨を説明し直した。特にこのクラスは多様なバックグランドを持つ生徒が多そうだった。
改めて教室全体を見回してみる。ふと「Diversity《ダイバーシティ》」という語が思い浮かんだ。「多様性」「相違点」というような意味の単語だ。大変かもしれないが、おもしろい経験ができるかもしれないと思った。この多様性をどう授業に活かそうか、それを考えてみると少しワクワクもする。
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