【書籍情報】
タイトル | わたし達、恋してます。 |
著者 | ごとう深恵 |
イラスト | E缶 |
レーベル | ヘリアンサス文庫 |
価格 | 500円+税 |
あらすじ | 長女の春絵、これまで一度もお付き合いをしたことがないアラサー学芸員。 次女の夏乃、今後の進路と肉体関係に揺れる大学院生。 三女の智秋、恋愛に疲れ切っている学生係担当の事務員。 四女の冬実、年の離れた男性と付き合いながらも受験勉強に明け暮れる高校生。 そんな四姉妹の恋愛模様をオムニバス形式にえがいた作品。 |
【本文立ち読み】
一.春絵編
私、四条春絵は告白をされた。
あまりにも大胆過ぎる彼の行動に、私がひやひやしたものだ。
彼の名は、雨水霞。私の後輩で、今年で二十七歳になる。見た目は大人しい大型犬で、性格も穏やかで柔和な子である。面接官であった館長曰く、ここ数年来のいい子、とのこと。仕事には熱心で、毎晩遅くまで書物整理を行っている。生真面目なところもあるけれど、基本がぽややんとしている。
そんなぽややん系大型犬の彼が、私に愛の告白をするとは。しかも、二人っきりの飲みの席でだ。
「ど、どうしたの? 雨水君はお酒強いじゃない、酔うほど疲れているとか?」
「春絵先輩、はぐらかさないでください。僕は本気ですよ。先輩が僕をサークルに勧誘したあの日からずっと好きでした」
ありゃりゃ。七年前から好意を向けられていたとは驚きだ。驚き慣れていない人間ならば、その場で腰を抜かすはずだ。
青天の霹靂とはまさにこのこと。私も吃驚して、おつまみチーズを落としてしまった。
「先輩っ、僕のことを好きになってください!」
雨水君との付き合いは七年前に遡る。
よく大学で見かける新入生勧誘で、私も新入生にちらしを配っていた。その中に雨水君がいたらしく、サークルに興味を持ってくれた。
ただ、私はちらしを配布するので精いっぱいだった。残念ながら、彼に渡したことは記憶にない。その後、彼とはサークル活動で絡むようになった。
私が大学を卒業しても、図書司書として大学で働いている。そのせいで、サークルの飲み会に誘われ、参加していた。現在は、職員同士としてちょくちょく今みたく飲んでいる。
過去も現在も先輩後輩の関係は変わらない。ずっと変わらないと思ってきたのだけど。
「ごめん、雨水君。私、混乱しているわ」
「混乱しないでください。僕は、春絵先輩を幸せにします、絶対に、永遠を誓ってでも!」
彼は私の指を絡ませながら握る。柔らかな笑みを零した途端、手の甲に唇を寄せてきた。あまりの突然の出来事に、目の前がくらくらする。
本日の飲酒量は、ビール一杯とカクテルサワーのみ。己に鞭打って許容範囲以上のアルコール摂取はしない。明日に酔いを残さない。駄目な大人にはならない。
……だけど、雨水君のキスで、もう意識を保っていられない。
私は、彼の手を振りほどき、財布から取り出した五千円をテーブルに叩きつけた。
「こ、これっ! お願い、私、酔って、呂律、回らないからっ!」
見苦しい言い訳を吐きつつ、私は居酒屋から立ち去った。新宿から地下鉄を乗り継ぎ、自宅がある文京区千石に到着する。
腕時計でただいまの時刻を確認。二十二時ちょい過ぎ。この時間だと、姉妹の誰かが連続ドラマを視聴しているはずだ。
玄関の鍵を開けて、家に入る。廊下の奥からは末妹の冬実がパジャマ姿で現れた。髪を洗ったのか、毛先がはねている。
「春絵ねえ、おかえりなさい」
「た、ただいまっ」
冬実は玄関先まで来て、私の顔をまじまじと観察する。嗅覚が鋭い末妹は、一、二歩と後ずさりし、険しい表情に切りかわる。
鼻呼吸からでも、アルコールを感知したみたいだ。
「春絵ねえ、今日はそんなに飲んでいないけど、飲んできたね」
「そう、適量を心掛けたわ。明日も定時まで仕事に勤しむもの。冬実は明日」
「授業は三時間目までだよ。ねえ、春絵ねえ。明日、大学の学食でお昼食べていい? ちゃんと着替えていくから」
末妹は、私が勤める大学の学食が大好きだ。値段が財布に優しいというだけでなく、味付けが好みとのこと。
特に日替わり定食が一番のお気に入りだそうだ。定食メニューを夕食の献立に再現してくるのは止めてもらいたい。
冬実の暑苦しいほどの視線に、私は完全に折れる。
「条件として、明日の晩の献立は定食から流用しないこと」
「えっ。お姉ちゃん達が日替わり定食を注文しなければいいだけだよ。あ、春絵ねえは明日、真っ直ぐ帰宅するよね」
「するよ。うちのエンゲル係数は一般家庭よりも高いもの。とりあえず、来週一週間は全員お弁当でよろしく」
私には冬実以外にも、夏乃、智秋という妹がいる。冬実以外は私の勤める国立大で学生、事務員して在籍している。
智秋は置いておいて、夏乃はずぼらだ。冬実が作ったお弁当を鞄に入れたまま、学食で昼食を取る。一週間も放置し、腐らせたことがあった。
多分、うちのエンゲル係数を高めているのは夏乃である。
私は靴を脱ぎ、リビングへと移動する。リビングのソファには寝具をかけられた夏乃の姿があった。自室ではなく、リビングで夢の中へ旅立つとは。相変わらずのずぼらっぷりにほとほと呆れてしまう。
「春絵ねえ、夏乃ねえを起こさないでね。さっき、ようやく全国大会の梗概を書き終えたみたいだから」
「ずぼらなくせして、熱中すると周りが見えなくなるのだから」
ついでに自分のことも見えなくなる。就職活動が失敗し、渋々博士課程後期に進んだ夏乃。
無理はしてもらいたくはない。でも、背中を押したい気持ちはある。無理と無茶は意味が違うのだからね。
安らかな寝顔の妹に微笑みかけ、私は冷蔵庫からペットボトルのお茶を取り出し、自室へと向かった。
シャワーを浴びるのは早朝にして、まずは眠りに就こう。寝巻きを腕に通し、ベッドの上にころがる。本日、ほんの三十分前の出来事を回想する。
雨水君から告白されて逃げてしまった。
初めての求愛に、どう対処すればいいのか分からなくて。
ああ、どうしよう。
明日、顔向けできない。明日は土曜で定時で終了するけれど、残業もあるかもしれない。
残業で二人っきりになってしまったら? いや、ただの仮定であって、彼はさっさと帰宅するはず。私も、明日は姉妹会議があるのだから、さっさと帰りたい。
「普段通り。普段通りに接していればいい。そうよ、恐れることなんぞひとつもないっ」
念仏を唱えるかのごとく、普段通りと詠唱を繰り返す。けれど、雨水君の表情や唇の柔らかさが引き摺り出される。
考えてはいけない。そう念じるほどに、頭の中が雨水君に浸食される。
……私、今晩は眠れないかもしれない。
翌日、案の定、一睡もできずじまいだった。瞼を閉じては、雨水君を思い出して目が冴える。眠気に襲われては、彼の笑顔が瞼の裏に浮かんでは消える。
酔いは消えたが、本日は絶不調である。食事も喉を通らなかった。こんなことって、就職の結果が来る前日以来だ。眠くて、だるくて、疲れが取れなくて、正直しんどい。
職場に到着すると、開館準備中の雨水君と目が合ってしまった。昨晩の告白で仕事に支障を起こしてはならない。私は頬を引きつりながらも笑顔を作る。すると、彼は心配そうに私の元へと歩み寄ってきた。
「春絵さん、大丈夫ですか?」
「あ、う、うん。私は元気はつらつ……え?」
あれ、おかしいなぁ。今、私、四条さんではなくて、春絵さんって。名前で呼ばれた気がしたのだけど。
きっと気のせいだ。睡眠不足で集中力が低下しているせい。
私は雨水君に、大丈夫だから、と返す。何事もなく事務室に向かうと、いきなり躓いた。が、彼が背後から私の身体を支えてくれた。
「ふう……。危ないじゃあないですか、春絵さん。先輩と呼ばれなかったから、混乱でもしたのですか? 隙が多くて、やっぱ可愛いですね」
な、な、な、なっ!
う、雨水君、私が知っている犬系の雨水君じゃあない!
どういうこと? 雨水君は雨水君のはずなのに、言動がどこかおかしい。
彼に抱きしめられ、心臓が張り裂けそうなほど高なっている。呼吸をするのも苦しい。
彼の腕を振りほどき、くるりと半回転し、頭を下げた。何事もなかったように事務室に荷物を置いて、本日の仕事を開始した。
仕事中、雨水君と視線が合うばかりで、視線を感じるほどに心音が高鳴る。
気にしないようにするが、余計に気になってしまう。
だって、私からはただの後輩に見えたもの。恋愛感情なんて持ち合わせていなかったもの。
それに、私には親友や姉妹にしか知られていない秘密がある。彼は、私に幻滅すると思う。連鎖的に関係の悪化で、職場の雰囲気を悪くさせたくはない。
その前に、彼をどうにかせねば。
……などと悩んでいたところで、休憩時間となる。携帯電話を確認すると、冬実からのメールが受信されていた。
春絵ねえ、今、大学に着いたよ。まだお昼を食べていないなら、一緒にご飯を食べようよ。
受信時刻は現在より二分前である。あの子のことだ、学食の前で待っているはず。私は学食へと急いだ。予想通り、末妹は学食の出入り口横に立っていた。私の姿を発見すると、手を振ってきた。
「春絵ねえー。こっちだよ、こっちー」
名を呼ばれ、周囲を歩いていた学生や職員が私を注目する。人数の少ない図書司書のひとりであるからして目立っている。ただでさえ、顔を知られているのにここでまた目立つのはいただけない。
冬実の元へ駆け寄り、手を下げさせる。
「ちょっ! 冬実、ここ大学。静かにしなさいっ」
「あ、うん。ごめんね。良かった、春絵ねえと一緒に昼食できて。夏乃ねえは食事より睡眠、智秋ねえはもうご飯食べちゃったって。みんなでご飯食べたかったのに、残念」
しょんぼりと肩を落とす冬実であった。とりあえず背中をさすって慰めてみる。
食券売り場の前に立つと、冬実は飾られた本日のメニューに目を移す。すると、先程まで暗さは吹き飛び、瞳をキラキラとさせる。
私は妹の反応に微笑ましく思いながら食券カードを投入する。
「冬実はなにが食べたい?」
「日替わり定食!」
「今日はお姉ちゃん、食堂で一番高いCランチをご馳走するわね」
ちなみに、日替わり定食は五百円ぽっきり。Cランチはデザート付きで八百円だ。本日の夕食が、本日の日替わりメニューの煮込みハンバーグにされると困る。
有無を言わさず食券を二枚購入し、トレーを冬実に渡した。配膳口にて食券を置き、料理が出るまで待つ。
土曜日の講義は選択単位が多く、四限までだ。なので、学食利用者も平日の半分も満たない。
料理が全てそろい、トレーに乗せて運ぶ。春の日差しが微かに差しこむテーブルに腰かける。冬実は私の向かい側に腰をおろし、いろどりの良い料理に口元を緩ませる。
二人でいただきますと手を合わせたところ、誰かが私の隣に腰かけた。
「僕もお昼なので、一緒に昼食を取らせていただきますね」
声、聞き覚えがある声。
私はゆっくりと首を捻ると……雨水君がお弁当箱を広げていた。こちらの視線に気が付く前に手を振ってきた。
そうだ、雨水君もこの時間に休憩に入るのだった。やってしまった。口元をぴくぴくとさせて、私はぎこちなく笑ってみせた。
「春絵ねえ、その人は誰なの?」
冬実は私に問いかけて、かぼちゃの煮つけを頬張る。
男っ気のない私が、男性と昼食を取る。これまで男性と付き合っていない私の隣に、男性が隣に着席した。興味津々を惹いてしまうのはしようがないことだ。
私自身も、雨水君が傍にいることに衝撃を受けている。現状を対処すべき手段と方法を、私の知恵を振り絞って考える。考えるのだが、結論にたどり着けない。
「初めまして、えっと春絵さんの妹さん?」
「はい、妹の冬実です」
勝手に話を進めないでくれないかな。自己紹介とかいらないからっ。
「僕は、春絵さんの後輩の雨水響です」
雨水君は穏やかな表情で身分を明かす。その時、一瞬、ほんの一瞬だが、彼の瞳が怪しく光った。
「春絵さんと結婚を前提にお付き合いするよ。将来、君のお義兄さんになるかもね」
私は箸を落とした。冬実も同時に箸を落とす。
青天の霹靂、第二弾。脳天から手足の先に痺れ伝い、思考回路がショートする。
彼はなにを、口走っているの。
「かもね、じゃあないね。お義兄さんって呼んでいいよ、冬実ちゃん」
そう告げて雨水君は、冬実に笑顔を零した。冬実はカタカタを全身を顫動させ、私に目線を移す。
彼女の目は訴える。
これはどういうことなのか、と。
【続きは製品でお楽しみください】