
【書籍情報】
| タイトル | 帝城の花は怜悧な貴人に絆される ~女騎士と恋の攻防戦~ | 
| 著者 | 朝陽ゆりね | 
| イラスト | 緋月アイナ | 
| レーベル | フリージア文庫 | 
| 本体価格 | 800円 | 
| あらすじ | 女騎士エルダーは主であるリゼッタ姫に生涯の忠誠を誓っている。 そのリゼッタ姫は父王にかけられた謀反の嫌疑によって、皇帝の側室として差し出されることになった。護衛士として追随するエルダーだったが、そこでジルベールという名の公爵子息と出会う。 ジルベールは顔を合わせるたびに口説いてくるチャラ男で、もう本気でうんざり。だが、大公が皇太子の命を狙っているという話を聞いたことをきっかけに、ジルベールがただ者でないと思うようになる。 あなたはいった何者!?  | 
【本文立ち読み】
プロローグ
ふと足を止め、「はあ」と小さく嘆息する。それから広く長い廊下に連なる大きなテラス窓に視線をやった。
 そこから見える庭園は各種の花が咲き乱れていて素晴らしく麗しい。さすがヴィリスタ帝国の皇帝が住まう帝城だ。建物もさることながら庭園の手入れの完璧さにはここに住むようになって二十日ほどが経った今でも驚かされる。
 そろそろ六十になろうとする皇帝は病身の身ではありながらも性力は衰えないようで、しわの深い指で生身の体に触れてくる。それが不快で仕方がないが、抵抗することは許されない。ただ、ベッドから身を起こせないゆえ、見られ、指で触れられるだけで、それ以上の行為にまで進まないのが救いだ。
 (だけど……)
 前回は、愛らしい唇で男の部分を悦ばせよ、と命じられ泣きそうになった。そこに火急と言って皇太子が現れ、さりげなく救い出してくれたから助かったが、今日はそうはいかないだろう。
 そんなことを考え、折れそうになる心を叱責して再び歩きだそうとすると、脇から「姫」と小さな声がした。ほんのわずかそちらに顔を向けると、装飾柱の陰に長身の男が立っている。襟足長めの緩くウエーブする黒髪と、同じく黒い瞳。だが、少し顔が動いて光が当たると、わずかに色合いを変えた。
 (紫黒? きれいだわ)
 そんなことをぼんやり思っていると、長身の男は柔らかな笑みを浮かべつつ続けた。
 「ご機嫌麗しく、姫。少しよろしいか?」
 チラリと向けたまなざしは了解を伝えている。男はふと微笑んだ。
 「願い事があってまいりました。誰にも知られず、わずかな時間をいただきたい」
 「誰にも? それは難しい相談です。わたくしは立場上、殿方はもちろんのこと、どなたさまであっても単身で面談はできぬ身です」
 「今はお一人です」
 「この廊下は皇帝陛下の許可がなければ通れませんが」
 言ってから気づく。であればこの男はここにいることを許されている者だ、と。
 「陛下には手を焼いていらっしゃるのでしょう? ならば可能です。今夜、ご訪問いたしますので、お人払いをなさってお待ちください。では」
 なにを言っているのだろう――と思いつつ、男が立ち去るのを視線で見送る。
 (夜、部屋に? もっとも難しいことを……でも、陛下に関係する相談事なのかしら? なら、聞くのは損ではないかもしれない)
 と、そこまで思ってはっとなった。あの方は――と。
第一章 可憐な王女が従える女騎士は強く気高く麗しい
華やかな舞踏会の場。着飾った貴婦人たちが美を競い合い、それを紳士たちが眺めて喜んでいる。これと思う相手を見つければダンスに誘い、自らを売り込むという。それが一夜限りの火遊びなのか、とこしえの誓いに至る一歩なのかは神のみぞ知る。
 ここはヴィリスタ帝国の帝都ヴィース。今宵はヴァナ皇帝の生誕を祝って舞踏会が開かれていた。が、しかし、皇帝は病身であり、主催者は皇太子のカルロ・ヴィガー・ベスターだ。齢二十の皇太子は、茶の髪に黒眼の童顔でとても二十歳には見えない容姿だ。それゆえ、叔父のバフィー・ガウフィス・ベスター大公に侮られているが、本人はどこ吹く風で相手にしていない。抜群に頭がよく思慮深いのだが、それを大公はどうもわかっていない様子である。
 「あら、お出ましになったわ」
 「待っていたのよ。さぁ、ご挨拶に参りましょう」
 貴婦人たちの黄色い声があちらこちらで起こった。彼女たちの視線の先にいるのは小柄な少女で、名はリゼッタ・バルゲリーといい、属州国であるグラスティス王国の王女だ。ウエーブする金髪に青い瞳の小柄で可憐なリゼッタは現在十六歳だが、父王の浅慮によって皇帝の怒りを買い、そのペナルティとして側室に差しだされてここにやってきていた。事実上の人質である。
 とはいえ、皇帝は病身の身。可憐な少女を手折ることはできず、誰もが彼女がいまだ清い身であることを知っている。とはいえ、元はと言えば父王が内密に大量の武器を集めていたことが発覚してのペナルティなのだから、人質の身を同情する者はほとんどいなかった。
 「リゼッタさま、ご機嫌麗しゅう」
 「今宵もお美しくて羨ましいですわ」
 「近日わたくしの邸で開くパーティにもぜひいらしてくださいまし」
 口々に挨拶の言葉を述べるが、リゼッタは優美に微笑むだけだ。それは彼女たちの視線が自分ではなく、後ろに控える護衛士に注がれていることを知っているからだ。
 「リゼッタさまは踊られませんの?」
 「ええ、わたくしは。エルダー、お相手差し上げて」
 「リゼッタさま」
 「いいじゃないの、ぜひ」
 リゼッタを取り囲んでいる貴婦人たちはキャッキャッと歓喜の声を上げる。そんな中でエルダーと呼ばれた騎士姿の女がため息を落として主を見やった。
 「ご命令とあらば」
 その言葉に、ひと際黄色い声が高く上がる。そして自分が先だと押し合いへし合いしながらエルダーの前に並んだ。彼女たちのお目当ては、常にリゼッタの背に立つ麗しい女騎士であった。名はエルダー・ロワ。現在二十五歳で、豪華な巻き毛の金髪を後ろで一括りにし、スレンダーな体躯を騎士装束で包んでいる。今宵のような夜会では長剣だが、普段は小型のマスケット銃を腰に下げ、肩章のついたマントを靡かせる美貌の女騎士だ。今や宮廷の有名人である彼女は、貴婦人だけではなく使用人の娘たちの心まで虜にしていた。
 「エルダーさま、アイシャ・マズールでございます。どうぞ、お見知りおきを」
 「オズル王国の姫であらせられますね。存じ上げております」
 「まあ! 光栄でございますっ。わたくし、エルダーさまの大ファンなのです!」
 頬を染めてそう告白する異国の姫を、エルダーは微笑みつつも冷静な瞳で見下ろした。
 手を取り、踊るこの娘自体はたかが一人の王女にすぎない。だがこの娘の後ろには一つの国が控えている。けっして侮れない。しかしながらこの王女も、エルダーが仕えるリゼッタと同じで皇帝に捧げられた人質だ。そう思えば同情も起きれば無下にするのは可哀相だとも思う。同時に――
 (懇意になれば、いくらでも利用できる)
 したたかに謀るのは、ひとえにリゼッタのためだ。主であるリゼッタを守るためなら、いかなる危険も、いかなる策謀もためらわない。それがエルダー・ロワの決意であり、矜持であった。
 音楽が変わり別の貴婦人とダンスを踊る。男たちの嫉妬のまなざしを物ともせず、エルダーは優雅にリードした。そして何曲か踊ったあと、まだ並んでいる貴婦人たちに謝罪を述べてリゼッタのもとへと戻ってきた。
 「まだよかったのに」
 「勘弁してください」
 エルダーの弱音にリゼッタが笑う。そんな二人に歩み寄ってくる者がいた。
 「リゼッタさま、ご機嫌麗しく」
 「これはマルシュール公爵」
 立派な顎髭のこの男はバルカスト王国の公爵で、現在は大使として帝都に滞在している。バルカスト王国は帝都に比較的近く、強固な軍事力を誇る国家だ。エルダーとリゼッタの祖国、農業国家の小国グラスティス王国とは大違いであった。
 だがこのマルシュール公爵は母国の力を誇ることもなく、丁寧で穏やかで、人間ができていると言われている。病身の皇帝もそうだが、皇太子にも気に入られて信頼され、宮廷内でも一目置かれていた。エルダーたちが到着した際に、いち早く挨拶に来たのもこの男であった。
 「息子を紹介いたしたく。次男のジルベールです。ジルベール、こちらがグラスティス王国のリゼッタ王女だ」
 「ジルベール・マルシュールでございます、姫」
 「リゼッタです。お噂は届いておりましてよ。お会いできて光栄でございます」
 「噂、それはお恥ずかしい。帝都に暮らす貴婦人たちに失礼があってはいけないと思ってのことですが、誤解されている気がいたします。ところで、こちらが有名な女性騎士のエルダー殿ですね?」
 「ええ」
 リゼッタが微笑んでうなずくので、エルダーはやむなく名を名乗って騎士の礼を取った。
 「これほどお美しいのにもったいない。貴婦人として宮廷に出られれば、さぞおモテになるだろうに」
 「ありがとうございます、ジルベールさま。ですがエルダーはそれがイヤで騎士をしているのです。どうかご容赦を」
 「さようで。それは大変失礼いたしました。エルダー殿、申し訳ございません」
 素直に謝罪され、エルダーは軽く頭を下げて応えた。
 黒髪に紫黒の眼、鼻筋の通った爽やかな顔立ち、スラリと背が高く、身のこなしも優雅。公爵にはあまり似ているとは思えないので、おそらく母親に似たのだろう。そういう容姿であるためか貴婦人たちに大人気で、帝都にやってきてまだ二十日ほどしか経っていないエルダーやリゼッタの耳にも届くほどだった。
 「先ほど、貴婦人たちと踊っていらっしゃったが、私がお誘いすれば応じてくださいますか?」
 リゼッタがわずかな驚きを瞳に宿した。公爵は焦ったように目を白黒させている。対して当人であるエルダーは抑揚のない声で静かに答えた。
 「あなたがドレスを着ていらっしゃったら、ぜひにも」
 「エルダーっ」
 エルダーはリゼッタをチラリと見ると、三人に対してやや深めに頭を下げた。
 「公爵閣下、ジルベールさま、わたくしたちはこれで」
 会釈をして身を翻すリゼッタ。その背を守るようにエルダーはマントをはためかせ、追随する。
 「言動には気をつけてもらわねば、こちらの肝がいくらあっても足りませぬ」
 と、言ったのは公爵のほうだ。ジルベールはチラリと公爵を見ると、にやりと片側の口角をつり上げた。
 「なかなか面白いじゃないか、あの女騎士。自信に満ち溢れている。さぞ腕に覚えがあるのだろう。ぜひとも知りたいものだ。ま、鼻っ柱が強いだけで勘違いしている口だろうがな」
 「また嫌味なことを。そうおっしゃるなら、ドレスを着て踊っていただいたらよろしかろう」
 「名案だ」
 「いい加減にしてくださいよ」
 「まぁそう怒るな。楽しみが増えることはいいことだ」
 「ですから、騒動を起こされては困ります」
 「謀渦巻くこの宮廷に、水面を揺らす石が現れた。こちらとしてはうまく使わせてもらうに限るだろう?」
 「いや、ですからっ」
 「公爵に迷惑はかけんよ」
 「目立って困るのは私ではなくあなたのほうだというのに」
 マルシュール公爵が、「はあ」とあきらめのため息を落としたその横で、ジルベールは楽しげな様子で、二人の消えた方面を見ていた。
「こんなに早く退席しては皇帝派にまたなにか言われるわよ」
 と、言ったのはエルダーだ。先ほどまでの口調が一変しているが、リゼッタはまったく気にしていない。むしろ緊張が解けてホッとしているくらいだ。
 「いいのよ。私は人質なのだから、目立たず自室にこもっているほうが都合がいいのよ。誰にとってもね。ま、エルダーのファンには迷惑な配慮でしょうけど」
 エルダーは肩をすくめた。
 「だけど、今日のような重要な場でも陛下はおいでにはならなかったわね。具合のほうは相当お悪いのかしら」
 「でしょうね。とはいえ、皇帝が重篤などと聞こえれば、問題もあるでしょうから、あまりこの件は触れずにいたほうがいいわ。どこから間違って、私たちが言いふらした、なんて疑われても困るので」
 「そうね」
 リゼッタはそう同意して、ふと息をもらす。
 「帰りたいわ」
 「そう遠くないと私は見ているけど」
 「エルダー?」
 ふふ、と微笑む顔に『皇帝はもう長くない』と書かれている。確かにそうだとリゼッタは納得した。崩御となれば、お役御免で退去を言い渡される可能性のほうが高い。皇太子は若いが話はわかる人だと聞くし、帰郷を訴えればかなえられることだろう。
 「国王陛下も愚かなことをなさったものよ」
 「国王陛下だなんて、つれないのねエルダーは」
 リゼッタの言葉にエルダーはチラリと一瞬視線を向けたが、返事はしなかった。
 「エルダー、お父さまは悲しんでおいでよ?」
 「国王陛下にはたくさんの御子がいます。その中の一人くらい、ちょっとばかりおかしな者が混じっていたからとてどうってこともないわよ」
 「そうかしら」
 リゼッタがくすくす笑う。その様子にエルダーは少々きまりが悪そうに視線を逸らした。
 「ねぇ、エルダー、先ほどマルシュール公爵に紹介いただいたジルベールさま、社交界で人気だけあって、とても麗しい方だったわね」
 「リゼのほうが身分は高いのよ。敬称なんてつけなくていいわ」
 「そうだけど……でも、キラキラされていて、なんだか王子さまみたいで素敵だったじゃない」
 「あなたの兄や弟だってその『王子さま』よ」
 エルダーの機嫌がよろしくない。先ほどのジルベールの態度はよほど彼女の癇に障ったようだ。
 「だけど……リゼはあんな感じがタイプなの?」
 「私は皇帝陛下に捧げられた人質で側室よ? タイプもなにもないわ。一般論を話しているの。ジルベールさま、あんなにエルダーに絡んできて、ふふ、おかしかった。きっとエルダーのことを気にしているのよ」
 「女のくせにマスケット銃を携帯している跳ねっかえりだってね」
 「そうかしら」
 またしてもリゼッタがくすくすと笑うものだから、エルダーは拗ねたように体ごと動かして横に逸らしてしまった。
 「エルダーったら」
 和やかな場が次の瞬間壊れた。激しく扉をたたいてエルダーの名を呼ぶ者が現れたからだ。エルダーは素早く立ち上がって騒々しく叩かれる扉に向かう。
 「何事です」
 「火急の知らせです!」
 慌てたように述べる使者に不穏を感じ、そっと扉を開けると顔色を悪くした宮廷使用人が続けて述べた。
 「開催中の舞踏会に大公閣下がお出ましになり、リゼッタさまがいらっしゃらぬとたいそうお怒りなのです」
 「なにゆえ?」
 「皇帝陛下の生誕を祝う会に、側室がおらぬのは不届きと仰せで」
 「顔は出しました。私が何人もの貴婦人と踊ったのは多くが見ているでしょう。それに皇太子殿下とも挨拶をし、礼は尽くしています」
 「閣下は今いらしたのですっ」
 その言葉で反論無用とエルダーは悟った。経緯や状況など関係ない。『今』の大公の機嫌がすべてなのだと。
 「わかりました。すぐに向かいます」
 使用人が深く礼をし、去ってゆく。
 (宴の主催は皇太子殿下だ。それを――)
 怒りが湧くが致し方ない。エルダーは身を返し、リゼッタに再度舞踏会会場に向かうよう促した。
 まだ着替えていなかったこともあり、化粧だけ直してすぐに会場に向かう。華やかな広間には相変わらずの優雅な音楽が流れているが、雰囲気はどこかピリピリしていて、大公がゴリガンを振っていることが肌で伝わってくる。
 いつもはリゼッタの後ろに立ち、影のように付き従うエルダーだったが、今回は安全のためにも前に立って誘導役となった。
 二人が進むとその場に立っている者たちが先を譲り、波が引くように道ができる。その様子に、エルダーはますます嫌な予感に襲われた。
 (よほど騒がしくリゼを叱責したいんでしょう)
 くっと奥歯を食いしばる。挨拶する場で罵声を浴びせられるのは必至。ここは我慢せねば、と拳を作った。
 ヴィリスタ帝国には現在二十一の属州国がある。その中でもグラスティス王国は下から数えたほうが早いほどの小国だ。しかも帝都から離れていて、山脈を挟んだ向こう側は別帝国の属州国がある。それゆえ国王は武器を掻き集め、万が一に備えてきたのだが、逆に謀反の疑いありと嫌疑をかけられてリゼッタを差し出す羽目になったのだ。
 いや、実際は両帝国から独立し、中立国になりたかったのだ。西北に連なる山脈は国境の半分に相当する。また東部には巨大な湖がある。三方を自然の要塞で守られ、警備はほぼ南部一方だけでいいという立地だ。膨大な武器を携えて守れば、両帝国から実りを詐取されずに済むと考えたのだ。
 が、皇帝はそう甘くはなかった。離れた小国にも間者を送ることを忘れなかったのだ。そしてそんな取るに足りない小国であっても目の敵にする国もあると言うわけだ。
 目の前に立つ人物が横に動いて道を譲ると、正面の高座に大公がいた。ふてぶてしく座っている様は我こそは皇帝だとでも言いたいのだろうか。
 身につけているものこそ絢爛豪華だが、太った体は見苦しいほどだ。太っていること自体は悪くもなんでもない。だが大公の場合は姿勢の悪さや態度の横暴さからより見苦しく映る。喫煙と甘いものが好きなことを知られている大公は、口を開くと黒く砕けた歯が見え、それもまた眉を顰めたくなるものであった。
 エルダーは正面まで来るとさっと脇に退き、リゼッタに場を譲った。そして告げる。
 「大公閣下、グラスティス王国リゼッタ王女、再び参上仕りました」
 「……うむ」
 礼節を守って訪れたが、その後退出したのだという意向を示すエルダーに対し、大公は見るからに不満げだ。が、口角はつり上がっている。
 「皇帝陛下の生誕を祝う会だ。よほどの事情がなければ退席などせず最後まで見守るのが室の役目であろう?」
 そんな規則はない、と言いたいが、ここはぐっと我慢する。
 「まぁ、幼いゆえ、大人の礼儀は知らずとも致し方ないか」
 反論しかけるエルダーをリゼッタがわずかに手を動かして制する。
 「そうではないと?」
 「大公閣下、おっしゃる通りでございます。慣れない華やかな場にそぐわぬ者でございまして、怖じ気づいてしまいました。申し訳ございません」
 「田舎者はこれゆえ困るというもの。が、まぁよい。己が田舎者であることを自覚しているならばこちらもわざわざ言うこともなかろう」
 これだけ大勢の前でリゼッタのことを『田舎者』と蔑む大公を斬って捨てたくなるほどの怒りを覚えるものの、ここは我慢するしかない。エルダーは作る握り拳こそ震えているが動くことはなかった。
 「時にそこの護衛士は女だてらに剣を取り、身辺護衛を気取っておるが、腕のほどはいかがなものか」
 「閣下、わたくしの護衛士は十分役目を果たしてくれております」
 「であれば、その護衛士に不在の責任を取らせよう」
 エルダー、リゼッタはもちろん、周囲にいる者たちの多くが「え」と驚きと困惑の感情を顔に浮かべた。
 「皇帝陛下の生誕を祝う場でもある、余興を兼ね、帝国が誇る騎士と手合わせし、勝てば不問、負ければ王女には相応の責を負ってもらおう」
 ザワザワと周囲が騒々しくなる中で、エルダーは一歩進み出て膝をつき、騎士の礼を取った。
 「大公閣下の仰せに従いましょう。わたくしが勝てば本件不問くださるとのこと、間違いございませんね?」
 「二言はない」
 「では」
 エルダーはうっすら微笑み、立ち上がって腰の長剣に手をかけた。そして鋭く鞘から抜き取る。その洗練された動作に貴婦人たちから感嘆の吐息がもれた。
 「大公閣下、騎士殿の相手、私にお任せ願えないでしょうか?」
 と、人混みから声が上がる。中から黒髪の男が現れた。
 「そなたは確か」
 「バルカスト王国大使、公爵の位をいただくマルシュールの次男のジルベールでございます」
 「なにゆえ、そなたが名乗り出る」
 ジルベールが礼をしてから体ごとエルダーに向き直った。
 「閣下は余興を兼ねて、とおっしゃいました。であれば、皇帝陛下直下の騎士よりも、同じ属州国同士で剣を交えたほうが面白いと思いませんか? それに皇帝陛下の騎士団では、どんな結果が出てもいろいろと尾ひれがつきましょう」
 大公が「むぅ」と呻るのを無視し、ジルベールは続ける。
 「このジルベール・マルシュール、腕に覚えがございまして、跳ねっ返りの女騎士などひと捻りにして御覧に入れますよ」
 ふふん、と得意げに言い放ったジルベールに、大公は満足したようだ。立ち上がってパンパンと手をたたくと、嬉しそうに笑う。
 「確かにバルカストとグラスティスの勝負のほうが面白い。よかろう、ジルベールとやら、そなたを任ぜよう」
 一国の姫が罰せられるかもしれない、という緊張の場が一気に緩み、広間は一転して歓喜に満ちる。中央が大きく割れ、エルダーとジルベールの二人が剣を手に立つ。
 「怖いもの知らずね」
 ジルベールはエルダーの言葉に目を眇め、それから笑った。
 「俺が勝ったらデートしてくれるかな」
 「あなたが勝ったらね」
 切っ先を合わせてからそう言葉を交わした時、はじめ! と大公が叫喚した。
 カン! と高い音が響く。互いに剣を繰り出し、踊る剣先をかわす。打てば受け止め、突けば払う。エルダーがクルリクルリと身を翻しつつ剣を避け間合いを取るほどにマントがはためく。その様子があまりに優雅で女たちが嘆息する。が、男たちはエルダーの腕前に目を瞠った。
 ジルベールの腕前はけっして悪くない。押されている様子はないものの、エルダーにつけ入ることができないでいる。多くの者がエルダーのことを見かけ倒し、気取っているだけ、と考えていたので、彼女の勇姿に驚いたのだ。
 「王女の護衛につくはずだ」
 「怖いもの知らずと思っていたが」
 「なかなかの腕前だ。あれでマスケット銃をぶっ放すとなると、いやはや侮れませぬな」
 そこかしこでヒソヒソと会話する声が聞こえる。そんな声を聞いているリゼッタは、誇らしげにエルダーを見つめていた。
 「リゼッタさま」
 「これはマルシュール公爵」
 「こたびのこと、まことに申し訳なく……」
 マルシュール公爵が声を潜めつつ眉尻を下げて謝罪すると、リゼッタは微笑んだ。
 「お気遣いなく、公爵。エルダーの実力を示せて逆にありがたいほどですから」
 「そう言っていただけると助かります」
 「ジルベールさまはなかなか素晴らしい方ですね」
 リゼッタの言葉に公爵がわずかばかり目を見開くと、当のリゼッタは、ふふ、と笑った。
 「お互いしばらく様子を見ましょう」
 「かしこまりました」
 二人が再びエルダーとジルベールに視線を向ける。
 踊るように剣を交わしていた二人、だがエルダーが一撃を放ち、ジルベールがそれを正面から受け止めた瞬間を逃さず、エルダーがジルベールの右足首を蹴り払った。
 「うわっ――ぐ!」
 体勢を崩したジルベールの胸に回し蹴りを食らわせる。ジルベールの体が後方に吹っ飛んだ。エルダーは剣を鞘に戻せば、大公の正面に歩き寄って膝をついた。
 「大公閣下、こたびの件は不問ということで、よろしゅうございますね」
 「――――――」
 悔しげに顔を顰めている大公をエルダーが睨みつけると、仕方なさそうに口を開いた。
 「やむないの」
 ふっと微笑んで立ち上がるエルダーを今度は大公が睨み据える。
 「国家同士の余興はそなたの勝ちでよい。が、やはり騎士団長と手合わせ願おうかな」
 またしても周囲がざわりと揺れた。
 「それはお待ちください、閣下。この勝負、わたくしめにお預けになったのですから、これにて終わりでよろしかろうと思いますが」
 「負けたうぬが口を挟むことではなかろう! 負け犬の遠吠えなど聞きたくもない!」
 ここにいる誰もが、お前こそ負け犬の遠吠えではないか、と思っていることなど気づきもせず、大公はがなり続けている。「騎士団長!」と続けて叫んだ時、それを制したのは若い男の声だった。
 みなの視線が一斉に集中するが、その視線を受けるのは、ヴィリスタ帝国の皇太子にして今宵の会の主催者であるカルロ・ヴィガー・ベスターであった。
 黒い瞳真っ直ぐ大公を捉えている。
 「宴もたけなわです。充分な余興でした。このあたりでよろしいかと思いますが」
 「カルロ」
 「主催者として宴終了の挨拶をさせていただきたく思います」
 「今頃出てきてなにを言うか」
 抵抗をやめない大公にカルロは薄く笑った。
 「私は最初からずっとここにおりましたよ。が、父上の従者が締めの挨拶の言葉を持って参ったのでそれを聞くため隣の小間に下がっておりました。あとから来られたのは叔父上のほうです。ここは主催者の顔を立てていただけないでしょうか」
 「………………」
 都合が悪くなったら口を噤む大公の癖をカルロは承知している。軽く礼をし、エルダーに向き直った。
 「グラスティス王国リゼッタ姫が護衛士、そなたの勝利を宣言する。なかなかよき余興であった。陛下の生誕を祝う会に素晴らしい腕前を披露いただき感謝する。どうか私の感謝の意を以て溜飲を下げていただきたいものだ」
 「溜飲などと、恐れ多うございます、皇太子殿下。お褒めにあずかり光栄にございます」
 カルロは、うん、とうなずくと、今度はジルベールに顔を向けた。
 「そなたも鍛えているとはいえ、やはり本職には勝てぬようだな」
 「恐れ入ります」
 「これからはひと捻りなどと大きなことは言わないほうがよいぞ」
 「心得まして。騎士殿にはまこと申し訳なく反省しております」
 「ということだ、エルダー殿、こちらも許してやってほしい」
 エルダーは不快さを押し殺し、礼を以てこれに応えてリゼッタの背後に戻る。
 カルロが声高々に、皇帝から預かった言葉を告げ、舞踏会の終了を告げた。とはいえ退散を促されたわけではないので、まだ楽しみたい者たちは残り遊びに興ずることができる。
 エルダーとリゼッタは退出すべく身を翻した。そこにジルベールがついてきて、しきりとエルダーに話しかけてくる。
 「先の話の続きで、一曲いかがだろう」
 「………………」
 「今度は剣ではなく、ダンスで交流を深めたいものだ」
 「………………」
 「ジルベールさま、であればドレスを着てきてくださいませ」
 「リゼッタさま、不要なことはおっしゃいますな」
 互いに話しかけられている者とは違う相手に向けてしゃべっている。
 「ドレスくらいいくらでも着ますが、女性のステップが踏めませんのでねぇ」
 「だったらダンスなど言わなければいいでしょう!」
 いい加減イライラの限界を超えたエルダーが怒鳴ると、リゼッタとジルベールは互いを見合い、それから笑いだした。
 「あなたたち、ずいぶん仲がいいのね。知らなかったわ」
 「そんなこともないわ、ねぇ、ジルベールさま」
 「ええ、今日初めてお会いしましたからねぇ」
 二人の返事にエルダーが目を眇める。それから一度視線を逸らせ、また戻して静かに言った。
 「ジルベール殿、我が君を部屋まで送っていただきたい。私は別間にて一息ついてきますので。先の手合わせでは私が勝ったので、そのくらいのサービスはしていただけますでしょうに」
 エルダーは二人の返事を聞くこともなく、さっさとその場を歩き去ってしまった。
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