ポムグラニットと魔法魔術大事典


【書籍情報】

タイトルポムグラニットと魔法魔術大事典
著者忍足あすか
イラスト稲垣のん
レーベルペリドット文庫
価格400円+税
あらすじ聾唖の魔法使いポムグラニットと使い魔のあひるの雛、彼女を主人としている二冊の魔導書は、マンドラゴラで生計を立てるいつもと変わらない日常を送っていた。
そんな秋のはじめ、馴染みの行商人が特殊なマンドラゴラの売り込みにやってくる。ルネは「特に危険なマンドラゴラだ」と固辞するものの、『六芒星を冠した大角鹿の紋章』の言葉に折れ、本で賑わう町、メリメーに行くことに。そこで待っていたのは、魔法魔術大事典ヘーニルと、彼がポムグラニットに課す試練だった。

【本文立ち読み】

ポムグラニットと魔法魔術大事典
[著}忍足あすか
[イラスト]稲垣のん

目次

序章
第一章 きっかけ
第二章 エイル
第三章 秋の祭典、前日
第四章 六芒星を冠した大角鹿の紋章
第五章 メリメーの祭典
第六章 沈黙の神
第七章 収穫
終章

序章

どんな断末魔の悲鳴やら絶叫やらを聞いているのか、ルネはいつもの穏やかな彼からは想像もできないほどものすごくいやそうな顔をしているし、ジェムは天使像のように端正な面を思いきり顰めている。
一方、彼らの所有者である聾唖《ろうあ》の魔法使いポムグラニットはというと――
「耳が聞こえるのも大変なことがあるみたい」
と、まるで他人事で、次から次にマンドラゴラを引き抜いていた。
月夜の今晩収穫しているのは、ブグという種類のマンドラゴラだ。大きく、中には畑を抜け出すものもいる。とはいえ、彼らに柵を乗り越えるほどの運動能力はない。畑の周りをぐるりと囲む柵はポムグラニットの胸の高さほどもある。逃亡対策としてはじゅうぶんだった。
ちなみにこの柵、もちろん人間に対しても厳しく警告している。柵の出入り口に、
――マンドラゴラにつき、収穫窃盗厳禁。落命しても一切の責任を負いません。
そう書いた看板を打ちつけてあるのだ。今のところ無謀な愚か者が畑で野垂れ死にをしていたことはない。
大切な商売ものの根を傷つけてしまわないよう、ポムグラニットは土を丁寧に手で崩していって、根と葉っぱの付け根をしっかり持つ。
「よいしょ」
力を込めて引き抜くと、凶悪な顔をしたブグとご対面した。ブグは畑を抜け出しはするが、収穫の際にじたばた暴れることはない。とても助かる。マンドラゴラの悲鳴にまったく無関係でいられるポムグラニットからすれば、引き抜くときに暴れる種類の方がよほど厄介だった。
「うん、いい出来」
醜怪な根を目の高さに持ち上げて眺め、ポムグラニットは満足な息をついた。
よく肥えている。これなら、自信を持っていい値段をつけられる。
「ぅあぁ……」
低く呻いたのはジェムだ。嫌気が差してきたらしい。彼はルネと違い、どうも労働に向いていないところがある。
まあ、見た目からすれば、彼は確かにきれいなおべべを着て、硝子《がらす》ケースにでも入っている方が似合いなのだ。
「ジェム、休憩する?」
ルネを挟んだむこう側で呻いているジェムに助け舟を出そうとしたら、
「所有者殿、甘やかしちゃあだめだ」
ルネにぴしゃりと跳ねつけられた。ポムグラニットは首を竦める。
「だって。ジェム、あと少しだから一緒にがんばろうね」
「あ、ああ、わかったよご主人様……」
肉体的な疲労の概念や状態がない本のくせに、肩で息をしている。よほどいやなのだろう。
満月が煌々と明るい。柵に囲まれた小さな畑が蒼く光っているようだ。ひとりと二冊の影が、くっきりと土の上に落ちている。持っているランプが不要に思えるほどだった。
ルネによると、静寂にも音があるらしい。
言葉で表すことのできない、神聖な音だそうだ。聞き取ることのできないものの方が多いという。
それを聞いたとき、魔法の音韻の神秘に繋がるものがあるのだろう、とポムグラニットは解した。
静寂の音。
一度でいいから、聞いてみたい。

アーコルドは、ささやかな四季に恵まれた温暖な小国だ。これといった観光地はないが、農作物が豊かで、ひとびとの気質も穏やかだった。
奇跡的なことに、ここ二百年も戦は気配もない。疫病や不作もなかった。いっとき旱魃による大飢饉に襲われたものの、それすらもう昔話だ。
セラム地方にモディナという村がある。なんということもない小村だ。魔女の森と呼ばれる、ひとびとから恐れられ、畏れられている深い森に囲まれている。
魔法使いポムグラニットと彼女の使い魔であるあひるの雛ダア、それから二冊の人型魔導書は、その森の中にぽつんと佇む小さな家で暮らしていた。
刺激はない。毎日がただ平和に、平穏に過ぎていく。
ポムグラニットは朝起きて食事をし、昼間は働いて、夜が来れば休む。魔導書二冊は食事も睡眠も必要ないので、時間が空いたときは大抵本を読んでいた。
ダアは基本的にはポムグラニットにくっついて一緒にいるが、たまに散歩に出かける。お気に入りの小石や葉っぱを見つけてきては持って帰る。主人にひととおり自慢して満足し、翌日には失くす。
春も夏も秋も冬も、季節の行事が時折差し挟まれるくらいで、代わり映えのしない日々だ。
ポムグラニットは魔法使いだが、普段はあまり魔法を使わない。蝋燭に火を灯したり、暖炉や竈に火を入れたりするだけだ。彼女は魔法そのもの、自身が魔法使いであることを商売にしていない。
では何を商売にしているか。
ポムグラニットは、マンドラゴラで生計を立てている。
魔法、錬金術に、呪術。あらゆる魔に必要とされる薬草、マンドラゴラ。その栽培と収穫は困難と危険を極める。栽培はともかく、収穫は命懸けだ。
マンドラゴラは、収穫されるとき――土から引き抜かれるときに、絶叫を上げる。その絶叫を聞いたものは、よくて発狂、最悪の場合には死に至る。だから、マンドラゴラの供給は常に需要に足りていない。
そこに目をつけたのはルネだった。ポムグラニットの師匠である魔女レムから正式にポムグラニットに託された人型魔導書で、稀代の魔法薬草大事典。人間の姿のときはひょろりとして見える、実際には存外しっかり出来ている長身で、瑠璃色がかった短い黒髪と、明るい瑠璃色の瞳が特徴の青年だった。この色味は装丁の色だ。
少しばかり眠たそうにも見える奥二重の垂れ目で覇気には欠けるが、さっぱりとした印象の清々しい容姿をしている。
言い添えれば、覇気には欠けるというのはあくまでも外見のみの話であって、彼自身はまったくそんなことはない。彼が立ち働いてしゃべっているところを一度でも見れば、覇気がないなどという言葉は頭から消し飛ぶ。ルネは実に明朗で活発な青年だ。
そんな彼の所有者であるポムグラニットは、耳が聞こえない。口も利けない。彼女がなんの力も持っていない人間と会話しようと思ったときは、何か紐か帯状のものの端を相手に持ってもらい、自身は反対側の端を持つ。必ず仲介しなければならないのだ。直接触れても会話はできない。しかも、先方に『ポムグラニットに伝える』という明確な意思があり、ポムグラニットにも『相手の言葉を聴く』という意思がなければ成立しない。
ポムグラニットはたまにルネについて買い物に行くのだが、店の主人に呼び止められても当然気づけない。村人も彼女が聾唖であることは知っているので、「そうだ、聞こえないんだった」と思い直し、ルネに話しかけるなり肩を叩くなりして伝えてくれるからなんとかなっている。不便ではあるが、ポムグラニットにとってはそういうものだ。
聾唖の身体で生まれたのはポムグラニットの責任ではないし、見たこともないけれども、親のせいでもない。責める対象がいないのは神様の領分の話だからだ。そして、ポムグラニットは神様を責める気持ちを持っていない。
そんな具合だから、近辺、人間のことならどうにかなる。だが、ルネと買い物をしていたところ突然腕を引っ張られ、「愛猫がいなくなった、さっきまで声がしてたから近くにいると思う、捜してほしい」と泣きつかれても困る。非常に困る。ポムグラニットに猫の声は聞こえない。泣きつかれたときだって、何かを頼まれているのはなんとなくわかったが、何を言われているのかはわからなかった。
良し悪しは別として、ポムグラニットはのんびりしている。世間から離れたところで育ったわりには人見知りせず、すれ違えば笑顔で挨拶も交わす。
魔女レムには威厳があった。
ポムグラニットに威厳はかけらもない。
けれども、そのぶん親しみやすい。
だから、村人はちょくちょく相談事を持ってやってくる。
マンドラゴラで商売をするにあたり、ポムグラニットは顔と住所を明らかにした。どんな人物なのか知れるようになるのも時間はかからず、いることは知っているけれど、こちらから訪ねるには少し緊張するという存在だった魔法使いが一気に身近になった。使い魔が恐ろしげな鴉とか如何にも厳格そうな梟ではなく、なんの役にも立たなそうなあひるの雛というのも大きい。よくわからないけどなんだか怖そう、と思える要素が一切ないのだ。魔女レムのように実際頼れるかどうかはともかくとして、話はしやすい。
行方不明になった靴屋の愛猫は、靴屋の三軒隣の家の裏にある物置で見つかった。ポムグラニットは特に活躍はしていない。ただの人海戦術だ。「絶望的な迷子になっていたらどうにもならないが、そうじゃないなら遠くまでは行っていない。猫の行動範囲はさして広くない」というルネに勇気づけられて、建物の間や籠の下、猫が好みそうな薄暗いところを覗いていった。
声が聞こえないから視覚に頼るしかない。ルネも含めてうろうろしていたところ、村人がなんだどうしたと寄ってきて、結局みなで捜した。
道具も準備も整っていないのに、猫の居場所を占えるはずもない。大体、ポムグラニットは占いを仕事にしていないのだ。経験がないし、実績もない。自信も誇りも矜持もない。知識はあるが知っているだけだ。占おうという気がないのだから、占ったところで当たらない。ないない尽くしが極まっている。かといって錬金術師のように羅針盤をつくれるわけではないし、所持もしていないので、埃まみれになってせっせと捜した。
どうしても見つからなかったらレティシアさんだと思いはじめた頃、パン屋の末娘が猫の声を聞きつけ、それが大きな転機となった。
ポムグラニットは何もできなかったと落ち込んだし、寂しくも思ったけれど、靴屋は感謝してくれた。靴屋の隣のパン屋は、「うちのお隣が面倒をかけた、ありがとう」と言ってパンをおまけしてくれた。
どんなに必要に駆られても、ポムグラニットに猫の声は聞こえない。りぼんを介していないからだ。意思もない。
物理的な繋がりと双方の明確な意思がなければ、ポムグラニットはどんなに願っても自然の音は一切聞こえないのだ。
強力な魔力はあれどもマンドラゴラは植物、引き抜かれるときの絶叫は一般的とはいえないが、とりあえず自然の産物には違いないので、これももちろん聞こえない。
これほどマンドラゴラの収穫に向いている身体があるだろうか。
――と、ルネとマンドラゴラを育てるようになって、ポムグラニットはそう思うようになった。

【続きは製品でお楽しみください】

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