【書籍情報】
タイトル | 赤い月はもう見ない きみと過ごした二十年、そこから五年 |
著者 | 森内ゆい |
イラスト | 忍足あすか |
レーベル | 詠月文庫 |
価格 | 500円+税 |
あらすじ | 阪神大震災のとき少女だったわたし日菜。父と愛犬エリは震災の犠牲になり、前を向けないままの人生を10歳下の弟幸多がいつも手を繋いで歩いてくれる。 弟と、それぞれ傷を抱えながらも優しい職場の人に囲まれようやく見つけた自分の居場所。しかし、ほどなく訪れる二度目の別れ。 目の前の火事、目の前で失われてゆくかけがえのない命、味わったことのない揺れ――傷を抱えて立ち直れない人々の哀しみと、それでも前に進まなければならない現実。家族と愛する犬を喪った人々が集まる場所での優しい奇跡と別れを描く |
【本文立ち読み】
序章
窓を開けて見上げた蒼黒の空に浮かんだ月は、いつもと違って奇妙な赤い色だった。吹き込む風は何故か生ぬるく、わたしは窓枠に頬杖をついてその月を見上げていた。
「日菜《ひな》。幸《こう》ちゃんが風邪ひくから窓閉めてよ。それからあんたもさっさとお風呂入りや」
母の声が背後から聞こえる。
八か月になったばかりの弟の幸多がまだ薄い髪が濡れたままで、ぽっちゃりとした両足を投げ出したまま、お気に入りのぬいぐるみをかじっていた。熊のぬいぐるみの耳は、もう片方が取れかけてブラブラしている。
「おかあさん、月が赤いのってなんで?」
母に叱られると思い、窓を半分閉めながら訊くと、居間に入ってきた母が、自分も濡れた髪を無造作にタオルで包み、幸多の髪をガシガシと拭きはじめた。一歳にならない愛息子にしては、育児に苛立つに比例して、時々乱暴に扱っている。わたしとは比較にならないほどの宝物であることは間違いないのに。
そういう時の幸多は、空気を読んでいるかのようにおとなしく、母のイライラぶりに、すっと赤ん坊らしさがなくなるから不思議だ。
「赤い月? 月食やろ? 新聞見たら? 月食のニュースでも出とるんちゃうん」
「月食の色かなあ。写真で見るような月食の色とちゃうで。なんか変な色やねん」
「もうええから、早よ窓閉めてって。おかあさんのほうが風邪ひいてまうわ」
スウェットにパーカーを着た母は、両方の素足を寒そうにすり合わせて、いつも通りイライラと文句を言い続けた。わたしはもう一度不思議な赤い月を見上げてから、窓をゆっくり閉めた。
閉め切る瞬間、古い木の匂いが鼻をついた。
祖父が建てた古い家は、もう築四十年になるという。父が生まれた祝いに建てたと何度も祖父から聞いた。
小さい会社とはいえ、経営者である父には似つかわしくない古めかしい狭い家ではあるけれど、わたしはこの家の木の匂いや、古い畳の感触が好きだった。
「すいません、遅くまでおって。帰りますわ」
と、向かいに住む、和也おにいちゃんが立ち上がった。和也おにいちゃんは、父の会社で梱包を手伝ってくれている。成人式を迎えたところで、家族ぐるみで付き合っている。
「んじゃな、日菜ちゃん。幸ちゃんも風邪ひかんようにな」
と笑顔で立ちあがった和也おにいちゃんは、ふと、真面目な顔をして、幸多の顔を見た。幸多もじっとおにいちゃんの顔を見つめ返している。
「ほんまか……」
おにいちゃんは小さく独り言を言い、
「日菜ちゃん……ほんなら、おやすみ」
と、頭にぐっと手を置いて、ガシガシとした。何だか随分子ども扱いされているような気がして、ちょっと不満だったが、おにいちゃんは、いつもの笑顔で、帰っていった。幸多はその後ろ姿に、何やら声をかけ続けていた。
このふたりは、何か普段からこういう不思議なところがあった。言葉じゃなくて、通じ合っているようなところが。
そして和也おにいちゃんは勘がいい。晴天でも傘を持って学校に行く和也おにいちゃんを真似て傘を持って出ると、予報に出なかった突然の雨に濡れずに済む。
おにいちゃんのおかあさんである、向かいのおばさんは、
「昔からやから、気にしてへん。なんとなく助かること多いし」
と笑っていたけれど、うちの母は真に受けてはいなかったので、おにいちゃんと幸多が心で会話しているように見えることも、一蹴されて以来言わないようにしていた。
お風呂でゆっくり温まり、このお風呂も古くなったな、と考える。水周りや、古くて傷んできた部分は、そろそろリフォームしようか、と両親が最近話している。
風呂上がりのわたしが居間を出ようとすると、幸多が突然泣き声を上げた。
「何、この子、どしたん」
と、母が抱き上げるが、幸多はまるで、わたしに手を伸ばそうとでもするような仕草をして、大声で泣き続ける。こういう幸多は珍しい。幸多は本当に手がかからない子だった。
まあ、いいか。
幸多の泣き声で、最近仕事でイライラしている父が、わたしに、
「早よ部屋行かんか!」
と、酒のつまみの皿を投げつけた。わたしは最近の父の、こういうところを嫌悪していた。
二階にあるわたしの部屋もボロボロの和室で、しかもポメラニアンの愛犬エリが何度も粗相をしたせいで、畳の染みは一つや二つではなかったけれど、それさえわたしには宝物の一部だった。
何故か生温かい夜。
学校の図書室から借りてきた三冊の本を返さなくてはならない。期限を破ってしまっている。本棚から出してランドセルに入れ、わたしは古い和室に似つかわしくないベッドに潜り込んだ。
エリが何故か、不安そうな鳴き声を上げてグルグルと回りながら、わたしのベッドに上がろうとした。エリの寝床は、ベッド横のクッションだ。
「あかんで、エリ。ちゃんとハウスして寝なあかん。ベッドに寝かせたら、おかあさんがまた、毛だらけやー、ゆうて怒るからな」
縋るような目のエリに、今日ぐらいは、という哀れな気持ちになった。母は見ていないのだから。
けれど、朝に弱いわたしは、いつも部屋に怒鳴り込んでくる母に起こされる。その時ベッドに寝ているエリが見つかったら、叱られるのはわたし以上にエリのほうだ。
「エリ、来週五歳の誕生日やなあ。お祝いしたげるから、おかあさんに怒られんように、おとなしく寝なあかんで。おやすみ」
わたしは暖かい布団を顔まで被った。
何故か悲しそうで不安そうなエリの鳴き声が、最後に耳に残り、そして、まだ泣き続けている幸多の悲痛とも感じられる泣き声を聞きながら、眠りに落ちていった。
一九九五年、平成七年、一月十六日、エリと最後に眠った夜、阪神大震災前夜のことだった。
わたしは晴れた空を見上げる。
あの日のことは今も忘れない。
二十五年も前になる、冬の夜。
温かなエリの体。
そして、喪われた多くの大切な知人と…。
まだそれを思い出すと時々大きな悲しみの波が
押し寄せる。
あの日見た赤い月。
皆既月食のニュースをネットで見ると閉じる。
赤い月が怖い。
それが月食であっても。
赤い色さえ怖い時期もあった。
「おかあさん、泣いてる?」
次の五月で四歳になる娘の多恵子《たえこ》が顔を覗き込んできた。
夫がリビングに入ってきて
「震災のつどい…東遊園地、そろそろ行くか」
と優しい声をかけてくれる。
「うん。多恵子は去年行ったときまだ二歳だったから覚えてないね」
と多恵子の頭をそっと撫でた。
「いっぱい人が死んだんだよね。多恵子ちゃんとみんながお空に行ってるように毎日お祈りしてるよ」
多恵子はエリのことを知っている。
そうして、わたしが喪ったかけがえのない人のことも。
今日はそれを大切に思いだし、彼らとゆっくり心で語り合う日。
二〇二〇年一月十五日、阪神淡路大震災から二十五年。
忘れられていく災害と多くの犠牲者。
わたしには今日から五年前、震災当日と同様に忘れられない別れがあった。
第一章 拾い上げてくれた人たち
きゃはは、と弾け飛んだような笑い声で、わたしは我に返り、目の前のパソコン画面に意識を戻した。ぼうっとしている間に、三時からの十五分休憩時間が来ていたらしい。
一般事務バイト、それが来月十一月に三十歳を迎えようとしているわたしの肩書だ。しかも、IT関係、ネットショップの個人企業ではあるものの、バイトのわたしにも社会保険や有給休暇などをつけてくれて、時給がいい。会社全体の夏季休暇は一週間あり、社長たるサキさんの持論は、疲れたらまともな仕事にならん、ということだった。わたしにはそれが充分、むしろ身に余る好待遇だと自覚している。
笑い声の主である、二人の若いアルバイトの女の子の側を通って、トイレに行く。
大久保彩花ちゃんと沢田茉莉ちゃん。二人とも春に高校を卒業したばかりで、高校時代からの親友らしく、いつも一緒にいて、夜には同じ居酒屋でもバイトをしているという。元気があることだと羨ましくなるのは、わたしと十歳も年が違うからなのか、わたしの性格の問題なのか、多分後者だろう。
トイレに行ったついでに、自分の顔を鏡で見る。薄化粧すら気分でしたりしなかったり。ノーメークの今日は、目の下にクマまで作り、こけた頬が目立ってひどい顔をしている。美容院が怖くてほとんど行けないせいで長く伸びた髪は、一応シュシュでまとめてはいるものの、前髪を自分で不器用に切るだけで、疲れた人妻のように見える。
服装自由ということを言い訳に、地味といえば聞こえがよく、ストレートに言えば何を構う気もしないと宣伝していえるようにしか見えない飾り気のないカットソーにコットンのパンツスタイルが、わたしの仕事着だ。
この二十年、自分の意志でスカートなど穿いたことがない。スカートは怖い。
事務所に戻ると、彩花ちゃんがまだ笑い声をあげている。遠慮のない笑い声は彩花ちゃんのほうで、茉莉ちゃんは、どちらかというとおとなしい。笑い声も、遠慮がちに、くすくす、という感じだ。
来客もほとんどなく、電話がかかってくることも少ない会社なので、社長であるサキさんも気にせず大目に見ているものの、彩花ちゃんのハイテンションな声があまり高ぶると、軽く注意をしているが、翌日から彩花ちゃんがそれを改めることはない。
わたしに気づいた茉莉ちゃんが、
「日菜さん、これひとつどうぞ」
と箱に入れたカップケーキを、笑顔で差し出してくれた。
「買ってきたん?」
「昨日の夜作ったんです。美味しくなかったらすいません」
この子は本当に優しい、いい子だと思う。わたしには出来ない気配りを常に忘れない。
「ううん、ありがと。いただきます」
カップケーキを一つつまみあげて席に戻ると、サキさんもナオさんもモソモソと食べている。ナオさんが、
「甘……。茉莉ちゃん、砂糖多すぎるで」
と顔をしかめた。目は笑っている。
彩花ちゃんがまた耳をつんざくような笑い声をあげて、茉莉ちゃんが軽く頭を下げ、すいません、と少し笑って言った。親友同士とは聞いていても、彩花ちゃんと茉莉ちゃんの性格はかなり違う。
わたしもカップケーキを口にした。
料理下手の母のそれとは違い、確かに甘味は強かったが、美味しかった。茉莉ちゃんにもう一度礼を言って、パソコンのパスを解き、仕事に戻った。
若い二人の女の子だけでなく、人の輪に入ることはとても苦手で、サキさんがわたしにそれを無理強いしない人であることがとてもありがたい。
そもそも、メール受信をして、商品の発送作業をする彼女たち二人のバイトを除けば、ちゃんとしたデスクワークは、社長であるサキさん、本名大崎さんと、わたしの前で各種サイトを作り続けているナオさん、本名戸田直樹さん、そして室井日菜のわたし、この三人だけなのだ。黙々と仕事をこなせばいいデスクワークが、他は男性二人で、特に軽口を叩く必要に迫られることもなく、これ以上の気楽さを求めれば、また求職浪人に逆戻りになるのがオチだ。
サキさんとナオさんは社員、わたしはバイトで、ほとんど役に立っているとは言えないのにおいてもらっている気配が濃厚ながらも、サキさんの淡々とした、それでいて人を差別しない言動に甘えて、ここで八年働いている。
それでもバイトはバイトで、勤務日数や勤務時間をうるさく言われない分、わたしは時々出社するのが嫌で、仮病を使って当日欠勤することが、月に一、二度はあった。
わたしは、中学に入った途端に不登校になり、通信制高校に入りはしたものの、入学式にしか行かずに退学してしまったドロップアウト組だ。その癖が抜けない。八年同じ場所で働いている、それだけで奇跡といってもいいほどだ。
何もせずにニート兼引きこもりをしていたわたしに、母は毎日喚き散らし続け、庇い続けて母を宥め続けてくれたのは、十も年齢の違う弟の幸多だった。
穏やかな幸多に宥められると、母は必死で自分を抑え、わたしをなじるのをやめる、けれどそれはまた翌日も繰り返される、幸多も間に挟まって、まだ子どものうちから困ったことだろうに、姉思いというのか、完全にわたしの味方で崇拝者とも言えた。
もちろん、そのまま一生を送るつもりはなかったので、就活を始めたのは二十歳を過ぎた頃だった。
落ちて、落ちて、今の会社に拾われるまで、二年を要した。
志望動機など、どの会社にも何も感じることなどなかった。どうして入りたいかなど、ピンと来たことなどない。母の怒りが怖くて面接に通い続けただけだった。
人と関わりたくないから、接客や工場を避け続ければ、小さな会社の事務しかなかった。事務の経験などなく、必要な資格ぐらい取れ、と母がわたしと幸多、それぞれに買った高いパソコンは、二人にとっては違う世界が開けたネット遊びから始まった。
それさえも、幸多はニュースを隅々まで見て、わたしの知らない様々な知識を吸収し、覚えること、学ぶことを楽しみとしている。ワードやエクセルもどんどん身に着けていき、多分、タグも覚えてホームページを作り、ブログも始めている。唯一の趣味の漫画を通販で頼んだり、そのファンサイトやブログを覗く以外することがないわたしとは全く目的が違う。
父子家庭、母子家庭、被災者、事故被害者、生活困窮者などご事情のある方を優遇します
そんな求人サイトを見つけて、何やこりゃ、と思った、それがこの会社だった。
主に犬猫のグッズを扱うネット通販の小さな会社で、簡単な事務を募集していた。家から近い。歩いて三十分ぐらいだ。
面接してくれたのはサキさんだった。事務所が狭いからと、ビルの中での共用リラックススペースで集団面接になり、それだけでも身が縮んだ上、面接用に身なりを整えた他の応募者が、ネットショッピングの会社に興味がある、いずれは自分もサイトを作れるようになりたい、少数精鋭の会社で自分のスキルを高めたい、などとご立派な志望動機をハキハキと言う中、わたしの志望動機は異質だった。
「家から近いからです。何かあっても歩いて帰れます」
と、無表情に淡々と言った。
他の応募者たちがこらえきれずに噴き出した。
サキさんが、わたしの履歴書を見て、
「遠い会社は怖い?」
と落ち着いた声で訊いた。
この社長にも笑われるか、ふざけるなと怒られるかと思ったので、意外だったが、
「帰宅難民になるのは嫌です。もしもの時にはすぐに家に帰って家族に会いたいです」
と、自分の意志でもないように口からすらすらと言葉が出た。面接で口ごもるわたしには初めての経験だった。
サキさんは黙ってわたしの履歴書に見入り、
まだ笑いをこらえている他の応募者である女性たちに向かって、諭すような穏やかな声で言った。
「俺な、火が怖いねん。ガスも怖いんや。ガスの火もつけられへん。当然煙草なんか吸わんわ。十二年前からや。家建てた時にオール電化にしたわ。おかしいか? 笑ってもええねんで? 人間何を抱えとんか分からんもんや。すぐ側にいる人のそれが分からん人はな、ネットの向こうの人の気持ちなんか分からんのやで。なあ、それでネット関係の仕事できるんかな? ネットの向こうのお客様を笑う人材は困るんや」
十二年。火とガスが怖い。もしかしてこの人もわたしと同じかも、と思ったけれど、そんな偶然がそうそう転がっているはずがないと思い、その考えを振り払った。
けれど、と募集内容で、優遇者の中に被災者が入っていたことは、やはり心の隅に残った。
あの時の光景が一瞬フラッシュバックする。
崩壊した一階玄関部分から、出勤しようとしていた父の、動かない上半身が壁土だらけではみ出していたことを。
泣けなかった。泣くことなんてできなかった。前夜、わたしがあの赤い月を見上げた後に、父はいつも通りの酒乱ぶりを見せつけてくれて、経営者としての憂さを酒で晴らそうと躍起になり、わたしにつまみの皿を投げつけて大股で部屋に戻り、寝入ったのだった。わたしが見た父はそれが最後で、お休みの挨拶も何もせず、父への不快感が、父の最後の思い出になったまま、わたしの中で凍りついてしまっていた。
履歴書には、母子家庭であること、父が震災で亡くなったことを記入していたが、ともかく、その面接では社長のサキさんを変わった人だと思った。無関係な話をされる以上、また不採用だと思い、次を探すうんざり気分がせり上がったが、サキさんは顔を上げてなんでもないような視線をわたしに向け、
「室井さん、採用でいいかな。いつから来てもらえる?」
と訊いてきたのだった。
ご立派な応募者の中の異端者であるわたしがなぜ採用されたのか、理由は少しも分からないまま、数秒の間返事は出来なかった。やはり、募集公約通り、母子家庭であることが理由だったのだろうか。
それでも、これ以上何年も面接に行くのは嫌だったし、社長以外にWEB制作に携わる男性が一人、後は派遣会社から作業に来ているだけという気楽そうな会社は二度と見つからないだろうと思い、翌週からの出勤となった。
サキさんは社長と呼ばれることを嫌い、大学時代の後輩からの呼び名を、わたしにも呼ばせるようになったが、最初の抵抗感は凄かった。わたしよりも十六歳も上の男性だ。
友達がたった一人しかいなかったわたしは、その子以外には、同級生にも室井さんとしか呼ばれなかったし、反対に彼らのことも苗字でしか呼ばなかった。
それを、よりによって社長をサキさん、四歳年上の先輩男性をナオさんと呼ばなければ返事をしてくれずに笑っている、二人とも気さくで人がいいのは分かっているけれど、コミュ障の人間には過酷な試練だった。
わたしのことも、二人は日菜ちゃんと呼ぶ、それも恥ずかしかった。ごく親しいわずかな人にしか呼ばれたことがないのだから。
仕事は、経理や営業のような大事な部分はサキさんがしてしまう。何の実務経験のないわたしは、簡単な小口出納が中心で、後はメールが主。最初はナオさんがしていた、今は彩花ちゃんたちがしている注文メール受信の顧客に、ナオさんが多種作っているテンプレを利用し、お礼のメールなどを送る。誕生日には、お祝いテンプレのメールを、そのペットのイメージに合わせて送ったりもする。
基本的に暇なバイトで、つまりはあまり役に立つ人材ではなく、クビにされても文句はいえない立ち位置にあった。
ネット通販が軌道に乗り、扱う商品もジャンルを広げ続けるようになったため、ビルの中に広い部屋を借りて移転した。
ナオさんは、他企業サイトの制作と運営にまで手を広げるようになり、ネットショップの受発注にまで手が回らなくなったことで、彩花ちゃんと茉莉ちゃんをバイトとして雇った。彩花ちゃんの様子を見ていると、三十を越えていても若々しくて整った顔立ちのナオさんに媚びた様子からして、それが目当てであろうから、脈がなければやめてしまう気がした。そうでなくとも、このバイトに飽きればどうせいなくなってしまう。もう少し定着する気のある人材を雇ったほうが、まだ派遣の方が真面目だったじゃないかと思うものの、サキさんにそれを言う立場でもなかったし、言ってみるほど愛社精神もなかった。
茉莉ちゃんは比較的近い町から通っているが、彩花ちゃんは市内の遠方から通っている。
この二人も、詳しくは知らないが、「遺族」らしい。けれど、そういったことを二人と話したことはないし、人のことに関心を持つ、それは仕事とは違うと思い、エネルギーを注ぐ気になれない。
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