宝石の手紙Ⅰ

【書籍情報】

タイトル宝石の手紙Ⅰ
著者柊織之助
イラスト広瀬コウ
レーベルペリドット文庫
価格300円+税
あらすじ届けろ、全てをかけて。
郵便局に勤めているレアンは戦禍に巻き込まれて死んだはずだった。だが、目が覚めると別の世界にいた。
剣と魔法、銃と兵器、そして全ての力を増幅させる宝石の涙。
彼は戦争を止められる力を持つ唯一の少女ジェマをミーナの樹まで届けるよう頼まれる。
レアンは異世界で戦争を止めるための戦争に巻き込まれていくーー。

【本文立ち読み】

幸せが崩れ落ちる音がした。
今、この世界に聞きたい音なんてない。触れたい感触なんてない。
レアンがゴツゴツとした手で郵便用の青いバイクのスロットルを強く捻った。髪と瞳が茶色で中肉中背。額には脂汗を滲ませていた。加速が増すことはない。それどころか失速していた。
タイヤが土を踏みつけて土煙を上げながら轍の上を走っていく。左側には平原が広がっていて追手はレアンたちの姿を常に把握していた。
右側には深緑が広がっている。森だ。
バイクのエンジンが弱々しく唸る音、後ろから追いかけてくる軽快なエンジン音。
荷台の手紙用のボックスには、少女が震えた体で隠れていた。届けるはずだった手紙を捨てて、少女をのせたのは数時間前のこと。
レアンが住んでいた街が戦火に巻き込まれたのだ。
後ろからは数台の軍用車が容赦無く距離を詰めていた。フロントガラスしかない、オープンで緑色の軍用車は、道の凹凸で飛び跳ねながらタイヤを回していた。
「ウサギ狩りだ。的に当てたら一杯奢ってやる」
レアンたちを追っている茶髪の男が言った。
「極上のウイスキーでお願いしますよ」
車の助手席に乗っていた男が立ち上がった。フロントガラスにライフルをのせて狙いをつけた。
「撃ってくるよ!」
少女が叫んだ。
「頭を下げて!」
バイクが小石を拾った。車体が浮き上がると同時に、銃声が一つ轟いた。銃弾は足元を掠めたようで、ズボンが裂ける鋭い音がした。
少女が息を呑む音が背中越しに伝わってくる。
「歯を食いしばって。森に入る」
レアンは体を右に深く傾けた。バイクの後輪が滑りながら向きを変え、森に入っていく。
「面倒なところに入りやがった」
「ガス欠が近いはずだ。走って追いかけるぞ」
兵士たちは道に車を止めると、次々に降りた。土を踏む軍靴の音が森を覆い始めた。

ガソリンの残量がない。メーターの走行距離から計算するが、もういつ切れてもおかしくない。予備タンクにはガソリンが残っているが、この状況で切り替え用のレバーを捻る余裕はなかった。レアンは忌々しげにメーターを睨んだ。水温も油温もこれ以上高くなると危険だ。
森を抜けた先の橋だ。そこまでがバイクの限界だ。なんとしてでも橋を越えないといけない。
「この先に川があるはず」
バイクのスロットルを捻り直す。
「逃がすな!」
鋭く小刻みに息が切れていく。手と足は震えて使い物にならなかった。ギアを変える左足も、シフトミスが怖くて使えない。
木々の根っこが容赦無くバイクを跳ね上げ、バランスを崩しかける。
あと少し、あと少し……。
バイクが唸り声を上げた。森の先に光が見えてくる。
後ろから足音と怒声が近づいてくる。
レアンはブレーキをかけて橋の手前で止まった。そして少女の両脇を持ち上げてバイクから下ろすと、しゃがんで視線を同じ高さに合わせた。
隣ではどこまでも自分を届けてくれたバイクが弱々しくエンジンを回していた。
「これから言うことをよく聞くんだ。いいね?」
少女は震えながらも何度も頷いた。
「川を下っていくと街がある。そこまで走るんだ。後ろは振り向いちゃいけないよ」
「いたぞ! ウサギだ!」
森の奥から獣のような足音が近づいていた。レアンは少女の肩を掴んで後ろを向かせると背中を叩いた。
「行くんだ!」
少女が不安げに走り出す。だがすぐに止まって振り返った。
「郵便屋さんはっ?」
「前見て走れ!」
少女の肩が大きく跳ねた。
涙を溜めた瞳で、少女は走り出した。
長時間、追手から逃げ続けた体は音を上げていた。
少女が川に沿って走り出したのを見送ると、レアンはバイクに近づいた。
思えばこのバイクとは深い付き合いだった。
「あと少しだけ走れるか」
レアンはバイクに跨ると、目の前に広がる森を睨んだ。小さい人影が点々と見える。
一気にスロットルを捻った。エンジンがメーターを振り切るギリギリまで回転数を上げた。
森から鳥たちが飛び立ち、人影が止まった。
レアンが唸り声を上げた。地を震わせるような低い唸り声が喉から込み上げ、次第に叫びへと変わっていく。
「悪魔に魂を売った殺戮野郎がァ!」
レアンは再びスロットルを捻ってクラッチを繋いだ。後輪が滑りながら発進した。
バイクはレアンに呼応するようにエンジンを唸らせると、森の中に突っ込んだ。
追手は驚きながらも、足をレアンに向けた。誰も川には向かわない。
木の根でバイクが飛び跳ねても、レアンはスロットルを緩めなかった。目の前に軍人が見えてきた。茶髪だ。
銃弾が飛んでくる。
右から銃声が響いた。バイクが大きく振動し、直後には爆破した。
たった数秒の出来事だった。
息を切らした軍人たちが炎に駆け寄った。
「ウイスキーお願いしますよ」
一人の軍人が茶髪の男に声をかけた。
飄々とした笑みを浮かべていたが、すぐに消えてしまった。
炎がみるみるうちに消えていく。だが本来あるはずのバイクの残骸も、レアンの死体もなかったのだった。

*     *     *

老人ベルクは暗い丘の上で脂汗を垂らしていた。青い髪と瞳が月明かりに照らされている。そして月はもう一つ、ガラスのような塊を照らしていた。塊の中には、十代後半ほどの姿をした女性が眠っていた。
「ベルク様!」
「今は取り込み中だ。わからんのか!」
「クリュエル国軍とシュヴァリエ国軍が戦闘をはじめました」
「宝石の民と氷漬けのミーナが狙いか」
「我先にと民を狙っています。ベルク様もお逃げを」
「一年待ったのだ。祈りの花が咲く今日だけを心待ちに」
「我々の負けです!」
オルトは叫んだ。ほのかに潮の香りがする丘で、ベルクを睨んだ。ベルクよりも若く、背が高い男だったが、腕や首は細く痩せていた。
ベルクの横には、まだ小さな少女のジェマが涙を流していた。十歳ほどの少女で、快晴のように青い髪と瞳だった。華奢な体つきで、恐怖で肩を震わせていた。

【続きは製品でお楽しみください】

 

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