兎は真実の愛を乞う

【書籍情報】

タイトル兎は真実の愛を乞う
著者鈴野葉桜
イラスト庚あき
レーベルヘリアンサス文庫
価格500円+税
あらすじ気が付いたら成人式会場から異世界へと来てしまっていた美咲。
そこは魔法が存在し、人間だけでなくヴァンパイア、狼男といった魔族と呼ばれる種族も存在する世界だった。
右も左も分からない美咲は異世界を彷徨っている時に、とある店の館主に拾われ、そこで「ミーシャ」として生きることになってしまう。

そんな美咲の前に初めての旦那様として現れたのが、美しい美貌を持つ魔族、オルヴィスだった。

【本文立ち読み】

「ほう、本当に黒髪赤目なんだな」
「よく言われます。ですがこの通り人族ですよ」
黒髪に隠れていた耳を見せる。
この世界では黒髪赤目が珍しいのか、よくそう言われることがあった。気になって店主に聞いてみたところ、今では絶滅してしまったが魔族に白髪赤目が特徴の兎族《とぞく》という種族がいて、その種族の中でも黒髪赤目を持つ人物を『幸せの黒兎』と呼ぶらしい。
なぜ『幸せの黒兎』と呼んでいたのかまでは教えてくれなかったが、すでに絶滅してしまった種族の為、兎族の証である兎耳を持っていない人族の美咲でも、色彩が同じなだけで一目見ようと多くの客が足を運んでいると推測で教えてくれた。
だから他の女性ほど容姿が整っていない平凡な見た目だと自負がある美咲を、日本で言うと太夫や花魁にあたる女性と同じ扱いにしてくれるのだろう。こればかりは色彩が変わった瞳に感謝するしかない。
「人族で構わないさ、さてミーシャとやら。今宵は俺を楽しませてくれるのだろうな?」
「もちろんでございます」
(楽しませたくなんかない。ここからすぐにでも逃げ出したい)
心で必死に訴えるも、その心の声を聞く者は誰もいない。涙だけは溢すまいと、必死に耐えて笑顔を作った。
(大丈夫、この人にあったのは今日が最初。体を許すのは四回目からだと店の主に聞いているから、変なことはしてこないはず。それにもししてきたら、この警報機を鳴らせばいいだけ)
日本とは違い、この世界には魔法が存在する。一見普通の防犯ブザーに見える警報機も実は効果な魔法道具らしく、鳴らせばすぐにファスチナティオの従業員が部屋に設置された魔法道具で確認、違法行為とみなされれば助けにくる手筈となっている。
ファスチナティオは数百年以上続く厳格で格式高い店だと教養として客の前に出る前に習った。だからどんなに身分の高い客でも、そこは容赦なく店の者に手を出せるのは、馴染みになった四回目から、手を出せば未遂であっても出禁にする等の様々な決まりを優先させるらしい。一つ例外を作ってしまえば、その後に続けとでも言うように次々とそういった人物が現れるからだとか。決まりを守るのは大変だが、それを守り続けてきたからこそ数百年と店を続けてこれたのだろう。
美咲と同じくファスチナティオで働く女性は口を揃えて、ここで働けることは名誉なこと等と言うが美咲はこれっぽっちもそうは思わない。そもそも借金の返済のためや口減らしでやってきた者がほとんどなのだ。稀に自らの容姿に誇りを持っており、各上の人物を将来の相手としてゲットするためにやってくる酔狂な女性もいるが、そんなのは一握りに過ぎない。それに美咲自身、ここにいたくているわけではないのだから。
そんな美咲の顎を指でくいと持ち上げ、アイドルのような顔立ちが美咲の顔に迫ってくる。これが日本であれば、頬を赤く染まらせていたかもしれない。しかしここは日本ではない異世界。美咲の知らない世界。だからそんな余裕はどこにもなかった。
「だが楽しませてもらう前に、だ。ミーシャ、お前の血は美味しいと思うか?」
「どういう……っ!!」
それがどういう意味合いを持った言葉なのか分からず聞き返そうとしたところで、美咲の声は途切れた。いや、遮られたといった方が正しいのかもしれない。美咲の首筋に、人間ではありえない鋭利な牙が突き立てられ、傷ついた皮膚から血が流れ、それをさも当然のごとく喉を鳴らして飲んでいたのだから。
最初こそ牙が刺さる鈍い痛みを感じたが、なぜか今はあまり痛みを感じない。それどころか体が温かくなってきた。それがどこか怖くて、美咲の血を飲む男性から離れようともがくが、男性の力は強く、離れることができなかった。
「ん……美味いなお前の血は。久しぶりだ。こんなに美味しい血を飲んだのは」
満足したのか、男性がようやく首筋から唇を離す。その唇には美咲の血が付いており、それをペロリと妖艶に舐めていた。
(な、にして……!)
男性に会うのは今日が初めて。だから今までの客と同じように体に触れてすらこないと思っていたのに、出会って早々血を吸われるだなんて予想外もいいところだ。即座に警報機を押すが、なぜか従業員はやってこない。警報機が壊れでもしたのかと最悪の事態も考えるが、その考えを否定したのは美咲の血を吸った男性本人だった。
「ああ、この店の警報機か。それを使っても無駄だぞ。店主から血を吸っていい許可はもらってあるからな。もちろん体の方は許しはしないという条件付きではあったが」
嘘でしょう、と心の中が絶望で満たされる。
(私、殺されちゃうのかな。……ああでも、その方が逆に幸せなのかも)
このまま血を吸われ続ければ間違いなく出血多量で死に至るだろう。
見知らぬ男性にこれから先、何度も抱かれることを考えれば、目前にいる綺麗な男性に殺してもらった方が断然ましかもしれない。生き地獄を死ぬまで味わうか、それとも一瞬の苦しみを味わうか。この二択であれば誰もが後者を選ぶだろう。
そう思うと体の震えは止まっていた。
「震えが止まったな。ようやく牙の毒が体に回ったか」
「そうしたら、私は死ぬのですか?」
知らずのうちに疑問が口からぽろりと零れ出していた。男性はこれ以上美咲の血を吸うつもりが無いのか、毒などと物騒なことを言いはじめた。なるべく苦しまずに死にたい。その気持ちが美咲の口を勝手に動かしてしまったのだろう。毒、と聞いて最初に思い浮かぶのはやはり死しかない。
しかし美咲が言葉を発した途端、男性は驚いたように目を見開いていた。
「お前……話せるのか?」
「どういうことでしょうか?」
店の部屋にはそれぞれ宝石の名前が付けられており、客が部屋に足を運んだ際には口上で店名、部屋名、名前の順に言うのが決まりだ。客を迎えるのは何度か行ってきた。まだ三桁に満たない数えきれる回数だが、きちんと間違えずに声に出したはずだ。その証拠に男性は美咲の事をミーシャと呼んでいた。それなのに話せるのかという質問はおかしな話だ。
「いや、なんでもない。こちらの話だ。毒の話だが死ぬようなものではないから心配は無用だ。そんなことよりも、今日はどんなことをして楽しませてくれるんだ?」
毒に対して教えてくれる気はないようだ。
気になりはするが、余計な詮索は男性を怒らせてしまう可能性があるので口を噤むことにした。
「はい、旦那様のお望みのままに。文字の読み書きや、相応の教養を身に着けております。楽器は奏でることはできませんが、歌でしたらお聞かせすることもできます」
小さい頃にピアノを習っていたから簡単な曲であれば今でも奏でられるが、この世界にピアノと似た楽器はあっても、ピアノではない。なので美咲は楽器を奏でることができないといつも口にしていた。ファスチナティオでは幼少期から楽器の教育も行っているため、何かしらの楽器を奏でられるのが当たり前なのだが、美咲はまだここに来て日も浅いということで楽器は今のところ多めに見られていた。その代わりに他に特技はないかと言われ、友人とカラオケに行くことが趣味でもあったため、多少の恥ずかしさはあれど幾つかの歌を披露し、何とか及第点をもらった。美咲にとって歌は楽器の代わりなのである。
「ほう、歌ときたか。では聞かせてもらおうか」
「はい。では、どのような歌がお好みでしょうか?」
流行りの曲から昔流行した曲まで日本で歌ったことのある曲は大体歌える。歌詞がうろ覚えな曲もあるが、ここは日本ではない異世界。原曲の歌詞を知る由もないのだから、それっぽい歌詞に変えてしまっても何の問題もない。
現に今までの客はこれで満足して帰って行ったのだから。
「どんな歌か……。そう言われるとぱっと思いつかないな。ミーシャ、お前の一番得意な歌で頼む、というのはどうだ?」
「かしこまりました」
初めて美咲を指名し、歌を頼まれた場合は大体目の前にいる男性のようにリクエストすることが多い。二、三回目となればリクエストはあるが、やはり歌いなれた曲が一番歌いやすい。
「では失礼して……」
血を吸われた時と同じ距離でずっと話していたため、歌うことを理由に距離をとる。いちもより多めに距離をとったのは、単純に血を吸われたことが怖かったからだ。
距離をとったことに対して男性は怒ることもなく、見物だと言わんばかりの笑みを浮かべていた。
毒のせいか、身体中が熱く感じる。しかしそれを口に出すことは躊躇われた。先程聞いても教えてくれなかったのだから、症状を伝えてもはぐらかされる可能性の方が高いからだ。
声が震えないよう、一度大きく深呼吸をして気持ちを整える。そして一番得意な歌を披露した。伴奏がないせいで多少物足りなく感じるが、それを補えるように精一杯いつも歌うようにしていた。
三、四分ほどの歌を歌い終わり、お辞儀をする。
「想像していたよりずっといいな。他にも歌えるのか?」
顔を上げると、先程と打って変わって違う笑みを浮かべた男性がそこにいた。余程気に入ったのだろう。二曲目をリクエストしてきた。
(このまま歌だけで乗り切れるかな)
ファスチナティオは他の店と違い、店で働く女性を何より優先をする。だから初回は一時間、二・三回目は二時間のみ逢瀬と決まっている。そんな短い時間でありながら、他の店の数倍は値が張るというのだから驚きだが、さらに驚きなのはそれでも通う客がいるということである。
四回目以降は時間によって料金が異なるが、体の関係を許される。そして気に入れば身請けという形になるのだが、美咲はこの体を許す、という制度さえなければ辛うじて働きたいと思える店なのにと常々思っていた。そのことをこの短期間で仲良くなった女性従業員はもちろん、店主も知っている。だから美咲の気持ちがある程度整うまで四回目の客を取らないように客に気づかれないように配慮してくれていた。それを知っているので美咲自身、こうしてファスチナティオの不利益にならないように働いているのだ。
「他の曲も可能ですよ。先程の曲は明るい曲調だったので、次はバラード等はいかがでしょう?」
「ではそれを頼む」
「かしこまりました」
(熱い……し、なんか頭がぼうっとする。けど、頑張って乗り切らないと)
一曲歌うのに体力を消耗したからか、一曲目を歌う前より身体が火照っている気がする。しかしここで音を上げるわけにはいかない。これしきのことでいちゃもんをつけられてはたまったものではないからだ。
息を大きく吸い、部屋中に自身の声を響かせる気持ちで歌う。歌っている最中、男性の様子がなんとなしに気になって視線を向ければ、瞼を閉じ歌に耳を傾けていた。そうやって聞いてもらうのは嬉しくて、久しぶりに心が少しだけ温かくなるのを感じた。
しかしそんな時間もすぐに終わってしまい、次の歌を勧めようとするものの、会話がしたいとやんわりと断られてしまった。作戦失敗に内心悔しく思うが、それを顔に出さず了解の旨を伝える。
(それに歌い続けるよりは、会話の方がまだ楽かも)
懸念すべきことはぼうっとする頭で、男性との会話をできるかだったが、こればかりは根気でどうにかするしかない。
男性が聞いてくることに答えられる範囲で答え、少しでも会話を長引かせるために内容を膨らます。幸い、どういったことを話せば時間が過ぎていくのか、長年勤めているベテランの先輩たちに教えてもらったおかげで話題作りに困ることはなかった。
そうして時間は過ぎていき、室内を照らす明かりの色が少しだけ明るさを増した。これは退室五分前の合図だ。音や人が合図をすれば、場の雰囲気が壊れてしまうという気遣いから、自然と気付くことができる明るさで合図をする仕組みになっている。
(あと少し)
美咲の元に来る客は、基本的に最後の一秒まで居座っていく。これは人気の従業員にあるあるの話らしい。そんなあるあるはいらないのだが、黒髪赤目と珍しい色彩の持っているのだから受け入れるしかない。
「もう、時間か。延長できないのが惜しいな」
(延長なんていらない)
そんな気持ちを胸の奥に隠して、私もですと頷く。
「ああ、終わる前にもう一度ミーシャ、お前の血を吸おうか。あれほどまでに美味しい血は飲んだことがない。毎日飲みたいくらいだ」
「……っ」
男性の唇の隙間から、鋭い犬歯がみえる。
喉から出かかった悲鳴を抑えた自分を褒めたいくらいだ。
これほど辛いのに、死なない毒。それをもう一度浴びるなんてごめんだ。
男性が美咲に近づき、顎を指で掬う。
(嫌だ、嫌だ、嫌だ)
しかしどれほど嫌がったところで、美咲に拒否権はない。店主が血を吸うことだけは了承しているのだから。
鼻がツンと痛む。込み上げてくる涙を懸命にせき止めるが、否応なしに視界が滲んだ。
「申し訳、ありませっ」
「泣くな。それほどの嫌なのか?」
情事の際や、別れが寂しくて涙が出るのはいい。しかし嫌だからと拒否をして泣くのはご法度だ。すぐさま謝るが、男性はそれほど気にしていないようだった。
その声音は優しく、どこか困っている様子が見受けられた。
これが演技ではなく素なのだとしたら、美咲が思っているほど悪い人ではないのかもしれない。けれどこれだけのことで心を開くのは少し難しかった。
「まあいい。今日のところは諦るとしよう」
「……よろしいのですか?」
男性の顔が美咲から少しだけ離れる。その時に指で固定されていた顎も開放された。
「なに、次に来た時の楽しみと思えばいいのだからな。それにあと三度通えば、その身体も許してくれるのだろう?」
あっさり引き下がる男性に思わず顔を上げるが、その後に放たれた言葉に表情が凍りついた。
(また血を吸われなきゃいけないの? 身体を許さなくちゃいけないの?)
百歩譲って、血を吸われることはいいとする。けれど身体を許すことは全くの別物だ。
(そんなの嫌、初めては好きな人とって決めていたのに……!!)
どれだけ綺麗な顔立ちをしていても、所詮は一時間前に顔を合わせたばかりの赤の他人。あと二回顔を合わせて、その次には身体を許すなど、鋼の心を持ってはいない。
(でもやらないと、ここにはいられなくなる……)
心優しい店主はそうなることを嫌がる美咲の気持ちを考慮して、どうにか四回目の客を避けてもらっているが、それがいつまでも可能なわけではない。むしろずっとそうしていたらファスチナティオの名前にも傷がつく。店主に保護されていなければ、今頃野たれ死んでいたか、もっと酷い目にあわされていた可能性だってあった。身体を売らなければいけないとはいえ、雨風凌げる個室に温かい食事を用意してもらったのだ。そこまでお世話になっている身としては、それは避けなければいけない道だ。
ここは美咲の住んでいた日本ではない。日本では法律の元そういったことが禁止されているが、ここは日本とは全く違う異世界。そういった法律や常識は通用しない。
男性の指が優しく唇に触れる。たったそれだけのことなのに、身体がびくりと震えてしまった。
「初心な反応だ。まだ誰にも身体を許していない証拠だな。全ての初めてを、俺が貰えること楽しみにするとしよう」
ファスチナティオへの感謝と性に対する拒否。その二つが今日までずっと心の中で対立していた。しかしここにきてその拒否が感謝を上回ってしまった。ずっとため込んで抑えていたのが爆発してしまった。血を吸われたことや、毒という、どう考えても精神的に負担のかかることが一時間の間に起こってしまったことが一つの要因でもあるのだろう。
「嫌!!」
気が付いたら、そう口にしていた。
瞬間、すぐにしまったとどっと嫌な汗を掻くが、後悔してしまったところで、言ってしまった言葉は取り消せない。
だから美咲は勇気を振り絞って、正直な気持ちを声に出した。
「い、やです。私、貴方に初めてを奪われたくはない」
「ほう?」
「夢見過ぎだって思われたっていい。私はこういうことをするなら好きな人とがいい。こんな場所で、名前も知らない貴方に奪われたくない!!」
最初は小さい声での抵抗だった。けれど気持ちを口にするうちにだんだんと声が大きくなっていく。零れ出した気持ちは溢れるばかりで、止まることを知らなかった。
「ミーシャには好きな人がいるのか?」
「ミーシャって呼ばないで! 私の名前は胡桃沢美咲。ミーシャなんかじゃない!! それに好きな人がいるかいないかなんて、貴方に関係ないでしょう!」

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