【書籍情報】
タイトル | 宝石の手紙Ⅱ |
著者 | 柊織之助 |
イラスト | 広瀬コウ |
レーベル | ペリドット文庫 |
価格 | 500円+税 |
あらすじ | 世界の破壊を止めるため、青年レアンは宝石の民の少女ジェマを運ぶ旅に出た。 青い果実、光る紅葉、吹雪の海。見たこともない世界を歩きながら、終戦に向けて奔走する。 そこへ、鉄の獣と呼ばれる兵器があると分かって……。 郵便屋のレアンとジェマの冒険。宝石の手紙最終巻! |
【本文立ち読み】
宝石の手紙Ⅱ
[著]柊織之助
[イラスト]広瀬コウ
第一部 大きな戦いの準備
* * *
### 1章 大統領の大いなる夢
レアンたちがミーナの樹を破壊するべく動き出した頃。西の国境を越えた街の広場では熱気と歓声が溢れていた。
「さあ諸君!」
街の広場で男が叫んだ。熊のような体躯をしており、枯れた葉っぱのような茶色い髪と瞳だった。広場の地面には四角い石とクリスタルが交互に埋め込まれていて、街灯の炎を映し出していた。広場の中心には大人の男ほどの高さのステージが作られており、その上に男は立っていた。
「私の名前はお分かりかな。戦を前に、指導者を忘れないで欲しいがね!」
「ヴァエン大統領!」広場の民衆が叫んだ。
何千、何万もの人々は唾が飛び散るのも構わなかった。そして興奮しながら手を天に突き出した。
「ありがとう! 私がヴァエンだ。正確にはヴァエン・ディスティノ。だがこの際それはどうでもいい。ミーナにこの世界に呼ばれ、微力ながら君たち宝石の民を手助けした男だ。いいか、私は宝石の民を苦しめるシュヴァリエ国を許さない。力を独り占めせんとし、その馬鹿げた夢のために剣を握る奴らを許さない!」
ヴァエンは茶色の瞳を赤く燃やした。そして自らの太い腕を夜空へ突き上げたのだった。
津波のような歓声が押し寄せた。無数の声が水飛沫のように溢れ、中には固形の涙を流す者もいた。
だがそれもわずかな時間だけだった。夜風が一つ吹くと、聴衆は水を打ったように静かになり、不安の声を漏らし始めた。
「でも大統領。俺たちゃ……なあ本当に」薄汚れた男が言った。
「聞くから言ってみろ。ここは民主国家だ。君たちには慣れない言葉だろうが、誰の言葉にも耳を傾けるということなんだよ」
ヴァエンは男に手招きして壇上にあがらせると、マイクの前に立たせた。
薄汚れた男は頬の汗を、首からかけた油だらけの布で拭った。頬に青みがかった黒い油がべっとりとついた。男は汚れを気にせず、息を一つ吐いてからやっと声を絞り出した。
「もう五十年前から戦っているんです。あなたはまだいなかったから知らないでしょうがね。当然、俺も生まれちゃいない。俺の親父は戦争が起きる前を知っていましたが、そりゃ幸せだと言っていました。シュヴァリエ人と宝石の民が互いに仲良く支え合って、大統領みたいなヨミビトはいなかった」
そこで男は言葉を区切った。ヴァエンの顔色を窺うためだった。ここで殺されちゃたまらないと思うとさらに汗が出て、男は布で頬を拭った。
ヴァエンは怒るでも、呆れるでもなく頷いた。表情は夜の闇の中で隠れ、うまく見られた人はいなかった。
「私たちヨミビトがこの世界に呼ばれる前、君たち宝石の民とシュヴァリエ人が本当に仲がよかったのか?」
「そう聞きましたよ」
「見たのかね?」
「とんでもない。なんせ生きてはいませんからね」
「それでは仲が良かったかどうかを証明できないわけだ」
「俺の話が嘘だって? そう言いたいんですか」
「とんでもない! だがここに五十年も前のことを話せる人間がどれだけいるのか。それを問いたいだけだよ。もし六十歳の人間がいても、子どもの頃の話じゃ信用もできない」
ヴァエンは一つもったいぶらせるように咳き込みました。
「その上だね。五十年前から今この瞬間まで続く戦争は、シュヴァリエ国と我が国クリュエルの戦いだ。それに異論はあるかい?」
民衆は首を横に振った。
「そしてこの戦争の火種はだね。これは文献にしか残っていない話だから正確にはわからないが、シュヴァリエ人が宝石の民を我が物にしようとしたというではないか。力を増幅させる宝石の涙を独り占めするために、宝石の民を痛めつけてでも泣かせたそうだな。この話を嘘だという者はいるか?」
一同は首を横に振った。それどことか何人かは「本当だ!」といきりたって叫んだ。
「シュヴァリエ人の非道に耐えられなくなって、私たちヨミビトが呼ばれた。再び世界に平和を取り戻すためにだ。ここで私が以前から言っているたった一つの提案がある」
ヴァエンは低く咳を出して喉の調子を整えた。声を遠くまで飛ばすためだった。演説用のマイクは用意されていたが、まだ作ったばかりで質は悪い。結局、民衆は聞こえた話を伝言ゲームのように別の者に伝えていった。
「武力を持ってシュヴァリエに勝つ。徹底的にだ!」
ヴァエンを中心として、歓声が風のように広がっていった。
広場の隅にまで届いた頃には、夜が明けてしまうのではないかというほどの明るい声が溢れかえった。
男はそれでも顔に墨を塗ったみたいに暗い顔をしていた。
「どうした。まだ不安か? 言ってみなさい。民主的に!」
男は怯え切っていた。何万もの視線に突き刺され、顔を上げることができなくなった。
「批判したいんじゃないんです……。何か気に障ったのなら許してください。嫁が家で待っているんです」
「違う。私は君の不安を取り除きたい。友の悩みを解決してあげたいのだ。君が今、自分の意見を言うのは称えられるべきことなんだよ」
男は脂汗を、青みがかった油がついた布で拭った。
「世界は平和になるでしょうか。そりゃ大昔の話すぎて、誰も実感がないかもしれないけれども、それでもみんなまた仲良くなれるのでしょうか」
「心配するな」ヴァエンはふしくれだった手を男の背に回した。「手を取り合えるならもちろんする。目的は平和だよ」
「でもどうやって? 五十年ものあいだ誰もできなかったんですよ」
「策はある!」
ヴァエンはマイクにできるだけ近づいて言った。広場中に張り巡らされたスピーカーから、音とも言えないような擦り切れた声が響く。
「その策を話す前に、私たちヨミビトがなぜこの世界に呼ばれたのかを今一度思い出してほしい。それは技術だ。我々の住む世界はここよりも競争心で溢れているんだ。だから私たちの世界ではこのような音を大きくするマイク以外にも、現実をそのまま映し出して絵にする箱、嵐よりも早く走る鉄の馬が作られた。想像してみろ!」
人々のほとんどは首を傾げるばかりで、歓声をあげる者はいなかった。するとヴァエンは一丁のライフルを付き人から取り上げた。
「この銃を誰が作った? 我々ヨミビトだ。この街並みは誰が造った?」
「ヨミビト!」やっと聴衆が声を上げた。
「誰がこの技術に、本来あり得なかった力を授けた?」
「宝石の民! 我々だ!」
「そうだ! ヨミビトの技術と宝石の民の力を合わせれば、シュヴァリエなど赤子だ」
ここでヴァエンは一息ついた。聴衆の熱気は上がり切り。ヴァエンを神だと崇める者すら出始めた。
ヴァエンは静寂を待ってからマイクに口を近づけた。
「皆様長い話に疲れてきたことだろうと思う。夜まで真摯に働き、その上私の話を聞いてくれている皆さんに感謝を述べたい。だがもう少しだけ付き合ってほしいのです」
ヴァエンは深々とお辞儀した。しばらく経ってから顔を上げて、優しげに微笑んでみせた。
「我が国にあった氷漬けのミーナを、一部の宝石の民……あなたたちが罪の民と呼ぶ者どもが奪い取った。さらに嘆かわしいことにシュヴァリエが火事場泥棒さながら奪い取ろうとしたのです! ですが我々クリュエル軍は策を講じ、ミーナを奪い取ることに成功しました。さらに罪を深く反省したいという男を見つけたのです。それがそう! この男性なのです」
いよいよ男は滝のように汗を流し始めた。もう布で拭う余裕すらなさそうで、すぐに壇上から降りたそうに足を二、三度動かした。
「家にいりゃよかった」男が小声で呟いた。
民衆は暴徒化寸前だった。
「静かに!」
ヴァエンが騒がしい広場に向かって言った。
「この男を知らない人がいてもおかしくはないでしょう。本来の長が、宝石の民の大部分を見捨てたのは昔の話なのですから。ですが私は知っています。この男こそが、長の息子なのですから」
「裏切り者!」聴衆の一人が叫んだ。
「いいえ違います!」ヴァエンは強く叫んだ。
広場が静まり返り、ヴァエンの言葉に賛同しようか決めあぐねていた。
「この方は英雄です。平和のために、ある秘密を打ち明けてくれました。長だけが知っていたミーナの利用法です」
ついに男は歯をガタガタと振るわせ始めた。
「氷漬けのミーナはヨミビトを連れてくるだけでなく、北の果てにあるミーナの木に連れて行けば、シュヴァリエを一夜のうちに滅ぼす力になるのです」
「あぁすまないみんな。すまない……ジェマ。こうするしかなかったんだ」男は霞のような声で呟いた。
「シュヴァリエは我々の動きに気づいて邪魔をしてくるでしょう。罪の民を捕まえ、ミーナの力について知っていてもおかしくはありません。そこで、策の話に戻るのです」
ヴァエンはもったいぶらせて間を置くと、夜空に響くような大声で言った。
「鉄の獣です! 油で動き、大樹を薙ぎ払いながら走る。そして人の顔が入るほどの大きな砲塔から放たれる攻撃は、シュヴァリエの白煙を吹き飛ばす!」
聴衆は両手を突き上げて喜んだ。
「今日この時から、クリュエルの兵力の全てをミーナの木に向かわせます。歴史に残る戦いになるでしょう。もちろん、私も銃を持ち共に戦う。誰か志願したいものは? 誰か歴史を変えたいものはいないのか!」
いよいよ広場の熱気は際限なく満ち溢れた。油まみれの作業服を着た人は、タオルや布を振り回し、大道芸人はアコーディオンを弾き鳴らし、パン屋は自分の店のパンを無料で配り始めた。
皆、それぞれのやり方でこの歴史的瞬間を夜通し祝った。
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