日本の祭りを巡る

【書籍情報】

タイトル日本の祭りを巡る シリーズ:日本の心をたずねて
著者横尾湖衣
イラスト
レーベル夕霧徒然双紙
価格350円
あらすじ日本というものがだんだん希薄になっていく時代、日本とはいったい何なのだろうか? 日本人とはどういう心を持っているのだろうか? 日本の伝統と文化、特に日本の古典である物語や和歌、体験等のフィールドワークを通して、その心を探りながら自由に思索していくエッセイ第二弾。今回は日本全国に数多ある「祭り」の中からいくつかをピックアップ。

【本文立ち読み】

日本の祭りを巡る
[著]横尾湖衣

※この作品は縦書きでレイアウトされています。
※この作品はフィクションです。実在の人物、団体、事件とは一切関係ありません。

目 次

◆序 章 「祭り」について
◇第一章 春の高山祭
◆第二章 葵祭
◇第三章 三枝祭
◆第四章 采女祭
◇第五章 獅子舞
◆第六章 だんつく
◇主な引用文献・参考文献一覧
◆あとがき

 

◆序章 「祭り」について

日本には、数え切れないほど多くの祭りがある。日本は「祭りの国」とも言えるだろう。その「祭り」の語源は神に差し上げるという謙譲語、「奉る」だという説が一般的である。
確かに、「奉る」という語は語源かもしれない。しかし、それだけではないように思われる。なぜなら、動詞「祭る」の「まつ」が「待つ」にも通じると思うからだ。なぜそのように思うのか。それは日本語が、古代のやまと言葉が、もともとは発音だけだったからである。今現在使用している日本の文字である平仮名も片仮名も、ご存知の通り中国の漢字から生まれた文字である。だから、日本語の中でも漢語は置いといて、やまと言葉の方は音に注目すべきだと思うのだ。言語には何かしらの規則性・法則性がある。語にもきっとそういう側面が、どこかしらあるのではなかろうかと思う。すべての語が一から生まれたというわけではない、そう思われるからだ。
例えば、英語の「re」。「re」は日本語では「再」、繰り返し、再びと訳される。「re-」+「birth(誕生)」=「rebirth(復活)」、「re-」+「cycle(【他】~を循環させる)」=「recycle(【他】~を再利用する)」など、接頭辞(接頭語)「re」を付けて別の単語を作り出している。つまり、音が同じという点に何かしら関係があってもおかしくはないと思うのだ。いや、むしろ何か共通するところがあるかもしれない。
また、日本の古称である「やまと」の語源は、三輪山の麓という意味の「山の麓」である。「やまのふもと」から「やまと」という語が誕生しているのだ。つまり、一から生み出された語ではない。
そのような理由から、私は「待つ」が「祭り」の内に含まれているように思われて仕方がないのだ。なぜなら、人が来るのを待つ心持ちと神の降臨を待つ心持ちは同じだからだ。さらに、「まつ」は「まつわる」という言葉にも通じる。まつわるとは、用もないのにうろうろとするという意味である。神の降臨を待ってまつわる、まといつくという心持ちが「祭り」という儀式になったのではなかろうか。
私たち日本人はもともと農耕民族である。そして、日本という国は季節の区別が他国よりはっきりとしている。四季があるということは、逆に季節の変動が激しいとも言えるのではなかろうか。厳しい自然環境の上に、さらに度重なる水害や飢饉などの災害、また疫病の流行という苦難さえもある。
そういう世界で、私たちの祖先は互いに助け合うために共同体を作り、この国で生きてきたのであろう。その生きていくための共同社会の中から「祭り」は生まれてきたのである。古代の祭りは苦難の元となるものを鎮めるためのもの、もしくは農作物の豊穣を感謝するものであった。
森羅万象、八百万の神と共に生きるという姿勢の表れが「祭り」なのかもしれない。「祭り」は神の降臨をただ待つのではなく、神と積極的に関わろうという人間側からの働きかけなのだと思う。

現代の日本人は、祭りというと「お神輿を見に行く」もしくは「山車を見に行く」、「浴衣を着て出店を歩き回る」というようなイメージがあるのではなかろうか。しかし、祭りの本来の意味は、神に感謝をすることであり、また神のご加護や予祝を願うところにある。
神社の祭りは大きく二つに分けられる。いや、二つからなると言った方がいいのかもしれない。その二つとは「祭式」と「祭礼」である。
「祭式」は、神職が中心となって粛々と進められる儀式のことで、神饌をお供えしたり祝詞《のりと》を奏上したりなどする神事のことである。神を畏怖し、その御魂を鎮める性質が強いように思われる。一方、「祭礼」は多くの人々が参加する華やかで活気のある行事のことで、お囃子を奏でたり神輿や山車を繰り出したりし、神と人とが共に楽しみ喜び合うもののように思われる。
この「祭礼」は神に喜んでいただくもので、同時に感謝を伝えるものである。神に喜んでいただくことによって、神の怒りである災い・祟りを予め防ぐという意味もあったのかもしれない。日本の国の神々は、言い換えれば「自然」である。だからこそ様々な「祭り」があるのだろうと思われる。

 

第一章 春の高山祭

岐阜県高山市、飛騨高山は四方山に囲まれた田舎町のように想像してしまうが、山々が多いとはいえ趣のある優雅な町である。戦国大名・金森長近《かなもりながちか》が、天正年間に宮川の清流を京都の鴨川になぞらえてつくったという小京都だ。
年に二度行われる高山祭は、実は別々のものである。正式には、春の高山祭は日枝神社《ひえじんじゃ》の山王祭《さんのうまつり》、秋の高山祭は櫻山八幡宮《さくらやまはちまんぐう》の八幡祭《はちまんまつり》という。高山祭というのは、この二つの祭りをさす総称である。
春の高山祭(山王祭)は日枝神社の例祭で、祭神は大山咋神《おおやまくいのかみ》である。例祭は、毎年四月十四日と十五日に催される。その祭りには、「動く陽明門」とも言われる十二台の屋台が街中に姿を見せる。

私が出掛けた年の十四日はあいにくの天候だったそうだが、十五日は雲一つ見当たらない青空だった。しかも、宮川沿いの桜が今を盛りと言わんばかりに美しく咲いていた。しかし、その年は「青龍台《せいりゅうたい》」が修理のため公開されず、絢爛豪華な屋台は十一台だった。
お旅所には、「神楽台《かぐらたい》」とカラクリ奉納が披露される「三番叟《さんばそう》」「龍神台《りゅうじんたい》」「石橋台《しゃっきょうたい》」の、計四台の屋台が曳き揃えられていた。ちょうど神楽台の前では獅子舞が行われていた。楽人たちが神楽台の上で、雅楽を演奏している。神楽台は大きな太鼓が目を引く屋台で、屋台行列を先導する役割をする。
京都の祇園祭、秩父の夜祭とともに日本三大美祭に数えられる高山祭の起源は、十六世紀後半から十七世紀と言われている。たまたま隣り合った方の話によると、山王祭は承応元年(一六五二)、八幡祭は享保三年(一七一八)にその記録が登場しているそうだ。

華やかで楽しい高山の祭りは、ご巡幸という。神輿を中心とした大行列で、獅子舞・大太神楽・雅楽・闘鶏楽《とうけいらく》・裃姿《かみしもすがた》の警固などが、民俗芸能を披露しながら氏子の繁栄を願って街中を巡る。
徳兵衛獅子《とくべいじし》と呼ばれる獅子舞は、飛騨にある多くの獅子舞の中でも伝統的なものだそうだ。浅黄に朱色で獅子頭の毛を模様化した油単《ゆたん》をかぶり、静動の曲技をする。この獅子舞に、「まむしとり」という地言(曲目)がある。

えんべやまむしゃあ おーらんか
えんべやまむしゃあ おーらんか

「えんべ」とは、この地方で「蛇」のことを言うそうだ。つまり、「蛇や蝮《まむし》はいないか」という意味である。この獅子舞は、生活に密着した農耕の祭りであったことがうかがえる。もちろん魔除けの意味合いもある。獅子舞は邪悪を払ったり、その道筋を払ったりする役割をするものであるからだ。
闘鶏楽は烏毛打ともいう。俗に「カンカコカン」と呼ばれている。鉦と締太鼓を打ちながら行進する。どれくらいのバリエーションがあるのだろうかと思い聞いたところ、数十の曲目はあるだろうとのことだった。白地に赤や紺など、鮮やかな色で龍や鳳凰が染め抜かれている装束に、頭は山鳥の羽根で作った冠や一文字笠を被っている。
鉦を打ちながら、「ヨーオ」「サーイ」という掛け声を間に入れながら舞う。その舞の様子が鶏の戦う姿に似ているということから、闘鶏楽と呼ばれるのだそうだ。

 

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