【書籍情報】
タイトル | ペガサスの泉 |
著者 | 竹薗水脈 |
イラスト | |
レーベル | 詠月文庫 |
価格 | 300円+税 |
あらすじ | 始まりは一本の電話だった。「俺と一緒に、小説家をやらないか」 悪魔の甘言に導かれ、人生が狂っていく――。 星野郁は小説家を目指す23歳のフリーライターだ。ある日、中学の同級生である瀧本霜介から連絡があった。霜介は郁に、「一緒に小説家をやらないか」と持ちかける。 『こちらは、【ペガサスの泉】です。わたしたちと一緒に、一冊の本を作りませんか? 「一生に一度は本を出したい」。そんなあなたの夢を実現します』 霜介は、ゴーストライターに小説を書かせて、自分たちの作品として発表しようと言うのだ。作家になりたい青年が、作家になりたいあまり、破滅へと向かっていく物語。 |
【本文立ち読み】
竹田 そこへいくと本家のペガサスはまことに景気がいい。たとへばあるときペガサスが勢ひ余つて岩を蹴つた。すると真ツ二つに岩が割れてそこから泉が湧き出したと云ふんですが、この泉の水がすごい。
(中略)
竹田 詩人の魂を高めてくれるんです。この泉の水を飲むと、立派なコトバや美しい考へがそれこそ泉のやうにひとりでに湧いてくると云ひます。一ト口でいいからそのペガサスの泉の水にありつくことができたら、と思ひますよ。さうしたらぼくも、もうすこしマシな広告文が書けるかもしれない……。
※井上ひさし『きらめく星座――昭和オデオン堂物語――』(集英社、一九八五年)一二ページより引用。
クライアントから来年のカレンダーが送られてきた。継続して仕事を依頼されたので、来年も生きていようと思った。
机に置いていたスマートフォンが着信する。ディスプレイに表示された名前は、忘れたくても忘れられない名前だった。僕は両眼を見開き、しばらく微動だにできずにいた。
瀧本霜介《たきもとそうすけ》。霜介は中学の同級生だ。会わなくなって十年になる。霜介は、ホテル王と呼ばれたホテルリッチ&グローリーの前会長、瀧本公彦《たきもときみひこ》の息子だ。僕がそれを知ったのは、成人式の後の同窓会だった。
何度か携帯電話を変えたが、スマートフォンに変える時も、電話番号を変えることができなかった。霜介のデータは、十年前から入ったままだ。
一年を通して最も寒い、大寒の日に生まれたことから、霜介と名付けられたそうだ。
***
僕は星野郁《ほしのかおり》という名前のせいか、女の子に間違えられることが多かった。小学校高学年の頃だろうか。別のクラスの男子に、男子トイレの入口で妙な顔をされたことがある。
霜介との出会いは、中学一年の三学期だ。霜介は隣のクラスの転校生だった。僕は図書委員の当番をしている時、推理小説ばかり借りに来る霜介に興味を持った。僕らの趣味は、似ているようで似ていなかった。霜介は江戸川乱歩を愛読し、僕は横溝正史を愛読した。とはいえ、乱歩作品を全く読まなかったわけではない。短編集は一冊読んだが、差別用語の連発がどうしても気になって、長編小説を読破することができなかった。
霜介は、乱歩作品に登場する主人公たちによく似ている。霜介には、「犯罪者は死んでもいい」と平気で口にする冷酷な一面があった。
二年のクラス替えで同じクラスになり、霜介は僕と同じ文芸部に入った。僕らは『星霜《せいそう》』というペンネームで、二人で推理小説を書いていた。二人でアイディアを出し合い、形にしていくのはとても楽しい作業だった。
二年になって間もなくの頃、霜介のお母さんが急逝した。
「死にたい」
お母さんを喪った直後、霜介はそう呟くようになった。霜介の手首には、リストカットの痕があった。彼は傷痕を隠そうともせず、また、ひけらかすこともなかった。
「死なないで。お願いだから死なないで」
僕はそのたびに、霜介にそう言った。
霜介は「帰りに本屋に寄ろうか」とでも言うように、「ちょっと一緒に死んでくれないか」と言ってきたことがある。
「霜介が本当に死にたいなら、僕は本気で付き合うよ」
僕が真剣に言うと、霜介はじっと僕を見詰めて、「冗談だよ」と一笑する。
文芸部の部室は、美術室の隣にあった。以前は倉庫だったらしく、古いキャンバスやイーゼルが部屋の大半を占拠していた。
「俺たちが小説家になったとして、何がどうなると思う? 売れない小説家が増えるだけだと思わないか」
霜介は大真面目に、そんなことを言ってきた。
「『売れる』『売れない』は別として、書ける人は小説を書くべきだと、僕は思うよ。小説は完成した時点で、作者の手を離れるんだ。よく言うでしょ。小説は一人歩きするって。感想でももらわない限り、読者が何を思うのかは、作者にはわからない。というか、わかりようがない」
霜介は眉間に皺を寄せて、思案しているようだった。
「つまり、僕らが書いた小説が、いつかどこかで、誰かを、救うかもしれないってこと」
霜介は僕の話を聞いて、破顔してくれた。
「いつかエラリー・クイーンみたいに、俺たちの推理小説を世に出そう」
僕らは埃っぽい文芸部の部室で、夢を語らった。
***
『電話番号、変えてなかったんだな。まあ、俺もなんだけど』
十年ぶりに聞いた霜介の声を、少しも懐かしいとは感じなかった。僕にとって霜介との出来事は、全て思い出と呼べるほど過去のものではない。
『応募作の表紙見てたから、変わってないのは知ってた』
言葉の意味がわからず、僕は押し黙る。
『俺、柏葉舎《はくようしゃ》に勤めてるんだ。こないだまで橄欖倶楽部《かんらんくらぶ》編集部にいたんだぜ』
柏葉舎の文芸誌『橄欖倶楽部』は、僕が学生時代から小説を応募している雑誌だ。新人賞の選考結果が、つい先日発表されたばかりだった。
『なあ、郁。俺と一緒に、小説家をやらないか』
***
僕の最初の読者は、妹の冬美《ふゆみ》だった。小学校に上がったばかりの冬美は、僕がノートに書いた拙い物語に瞳を輝かせてくれた。それ以来、冬美は僕の良き読者になってくれた。両親は、僕が小説を書いていることにいい顔をしなかった。冬美だけは僕を応援してくれた。
「面白い。お兄ちゃん才能あるよ。絶対にプロになれるから」と言って、僕を励ましてくれた。
十九歳の時に初めて新人賞に応募した小説は、一次通過に終わった。
「すごいよ。雑誌に名前が載るなんて」
僕は大学進学を機に一人暮らしを始めていたが、冬美はわざわざアパートまで駆け付けてくれた。
「一次に通っただけだよ」
落ち込んでいたため、ぶっきらぼうになっていた僕に、冬美は激励を続ける。
「何言ってるの。一次に通っただけでもすごいことだよ。確率計算してみてよ」
冬美は携帯電話の電卓機能で、一次選考を通過する確率を出してくれた。
「ほら。九割以上の人は一次で落とされるの。お兄ちゃんは難関を突破したんだから、自信持っていいのよ。また頑張ればいいじゃない」
妹の言葉に、僕は泣きそうになった。
執筆時間を確保するために、深夜のコンビニのバイトを辞めた。在宅でできる仕事を探して、ウェブライターをすることにした。
大学卒業後もライターの仕事を続けながら、作家を目指し続けている。
本名を一字変えた『星野薫《ほしのかおる》』が僕のペンネームだ。結果発表が近付くと、僕は決まってナーバスになる。重苦しい胃の痛みに苦しめられ、胃薬が手放せない。夜も眠れなくなる。冬美はいつも、僕を気遣うメッセージを送ってくれた。
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