鏡の姫と翼の騎士【合本版】

【書籍情報】

タイトル鏡の姫と翼の騎士【合本版】
著者まりの
イラストshoyu
レーベルペリドット文庫
価格600円+税
あらすじ会社で菌の研究に励む木戸心、どうやら眠ると違う世界のお姫様として目覚める――らしい。しかも、目覚めたら美形の騎士がいて、彼は同じ会社の上司である橘慎吾!? 仲間とともに旅に出た二人を待ち受ける敵との戦い、そして恋の行方は――!

人気シリーズSS付き合本版!

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鏡の姫と翼の騎士【合本版】

[著]まりの
[イラスト]shoyu

目次

鏡の姫と翼の騎士~1、姫と騎士殿、お目覚め編~
鏡の姫と翼の騎士~2、姫と騎士殿、お出かけ編~
鏡の姫と翼の騎士~3、姫と騎士殿と二つの世界~
SS1姫が泣いて喜ぶもの(フェカリスside)
SS2神の国はすごいです ※森でキノコを食べた後のお話 アーちゃん編

 

鏡の姫と翼の騎士~1、姫と騎士殿、お目覚め編~

暗い。真っ暗。
闇の中で声が聞こえる。
「早くお目覚めください」
「おーい、起きろ。本当に寝坊だな」
「もっと優しく。少しおっとりしておいでなだけですよね?」
……ひょっとして私に語り掛けているのだろうか?
ってか、あなた達は誰?
声は聞こえるのに顔が見えない。二人はいるよね。どちらも男性の声だ。
しかしホント暗いね。なぁんにも見えない。どこ、ここ?
「時は近い。どうぞお力を貸して下さい、姫様。目を開いてくださる日をお待ちしております。既に……様はお目覚めになられました」
なんのことやらさっぱりわからない。姫って私の事なのかな。
声だけはすごくハッキリ聞こえるけど、夢だよね。これ。

じりりり……。

相変わらずうるさいな、この目覚まし時計。
仕方なく目を開く。明るくてもう一回閉じる。で、もう一回開く。
……朝だ。
見慣れた天井。あの嫌な人の顔に見えるシミもある。間違いなく私の部屋。
やっぱり夢だったんだね。それにしては眠っていた気がしない。ずーっと起きていた気分。
じりりりり。
止めないと段々と大きくなる時計のアラーム音。
「うるさい、黙れ」
全力でぶっ叩くと、目覚まし時計は沈黙した。手はちょっと痛い。
「なんなのよ、まったく……」
最近よくあの真っ黒な夢を見る。夢なのに現実のことのように覚えているのが不思議。それに寝ても疲れがとれなくてすっきりしない。
特に今回はひどくはっきり声が聞こえた。
何だかファンタジーっぽい事を言ってたよ?
多分アニメとか漫画の見すぎだな。うん。昔は友人の影響で同人誌とか作ってたし。
ふと、先程思い切り叩いて黙らせた時計を見る。そこで私は思い出した。
はうっ! そうだ、今日は早朝出勤だったのに、昨夜目覚ましの設定を変えるのを忘れてた! いつもの時間に起きてたら間に合わないじゃない。
ひいいぃ。また主任にじとっと嫌味を言われて睨まれる……。
憂鬱な気分で着替え、歯を磨きながら髪を梳かす。
電話が鳴っているのは絶対に主任からだ。無視無視っ。化粧してる時間も無いのでそのままバッグを片手に飛び出した。
「待ってぇ~!」
こういう日に限って、バスにもすべりこみアウトだし。
次のバスが来る前に、バッグから朝食代わりのパウチゼリーを出して吸い込む。
二十五の女がこんな色気の無い生活でいいのだろうか……。

「木戸心(きどこころ)。今日は七時に出勤だと随分と前からスケジュール表を渡しておいたはずだ。現在、八時十二分。この現実をどう考える?」
ねちーっと冷たい声。
「それに上司からの電話に出ないとはどういう事かな?」
「バ、バスの中だったので、人様に迷惑になると思いまして、マナーモードに……」
「ほう。あの時間にバスに乗っていたなら、渋滞があったとしてもせめて三十分前に着いているはず。俺の計算ではまだ自宅にいたと推定されるが」
はい、橘慎吾(たちばなしんご)主任、あなたの計算はとても正しい。
すらっと背が高くて、スーツの上からでも引き締まった体が想像できる。歳は私より二つ上なのに、この人絶対ヒゲなんか生えないんだろうなと思えるほどのツルツルお肌が、女から見ても嫉妬したくなる。何よりもその切れ長の目……ちょっと薄めの瞳の色が琥珀みたいに綺麗。
くそう、見た目は超男前なのに、性格は反比例するように極悪。女に毎日ネチネチ嫌味を言いやがって~!
「可愛いエンテロコッカスちゃん達のお世話の当番の日に遅刻とは。もういい、さっさと着替えて持ち場に着け」
「はぁい……」
私の名前は呼び捨てなのに、乳酸菌にはちゃん付けですか。可愛いですか、菌が。
……可愛いけどさ。
製薬会社のサプリ部門の商品開発部……の隅の微生物研究室。それが私の職場。
私はいそいそと白衣を羽織る。メイクする暇が無かったので今日はこのままでいい。どうせ落とさなきゃいけないし、マスクもするので本当は毎日するだけ無駄なんだけど。まあ一応、女の礼儀というか身だしなみというか。ああ、ごーっていうこの殺菌の風が気持ちいい。
「はぁい、ラクトバチルスちゃん達もリューコノストックさん達も元気ぃ?」
挨拶する相手はシャーレの中の菌達……なんて悲しい独身女。
「夢の中では姫様とか言われてたのにね。ほれ、可愛い臣下の菌達よ。言ってみ? 姫、培養床を新しいのにしてくださいって」
菌が喋ってたまるかよ……と、自分でツッコミつつも思わず溢す。と、そこで高い声が。
「姫。ひめさまぁ~」
どきっ。
「培養床はいいですからぁ、レポートのまとめを早々にお願いしますぅ~」
「……あの」
私の耳元で声色を変えて囁いていたのは主任だった。
「気持ち悪いですね」
「菌に、姫って言ってみ? とか言ってる女も気持ち悪いぞ」
……確かにそうなんだけどね。
「レポート、昼までには何とかしますので、私の半径二メートル以内に近づかないでいただけますか?」
「フン。遅刻して来たくせに生意気な」
言い残してぷいっと主任が出て行った。その背中に思いきりアカンベーしておく。
おかしな男だ、まったく。

昼休み。
社内食堂の隅で違う部署の友達とランチ。就業中で私が最も心安らぐ時間。
いいなあ、営業とか電話対応のスタッフは。綺麗に化粧してスーツでさ。ネイルも可愛い。こちとら白衣にすっぴんだ。ゴム手袋を着けるために爪も伸ばせないのに。
一番仲のいい同い歳のトモちゃんは、メイクは派手だが凄腕クレーム処理係。
「寝過ごしたんですって? また橘さんに叱られたんでしょ?」
「うん。男のくせに遅刻くらいでネチネチともう……」
しかも遅刻といっても本来時間外だ。会社的には問題無いのに。
その上、研究室での菌になりきって声を掛けてきた一件を報告すると、トモちゃんはケラケラ笑って言う。
「仲いいわねぇ。心ちゃん、相当噂になってるわよ。あの社内一カッコいい橘さんがついに落とされたって。覚悟しときなよ、お局様達のキビシイ視線を。皆狙ってたんだからね。彼を」
「はぁ? どこが仲いいのよ。誰があの陰険男を落としたって?」
「だって、彼がしつこく絡むのは心ちゃんにだけじゃない。愛情の裏返しなのよ」
それは誤解だ。ウチの部署に他に年下がいないのと、私が弄りやすいだけなのに。どこをどう楽観的に捉えても愛情など1umも感じないよ?
「ほらほら」
トモちゃんが手首のスナップをきかせて手をパタパタさせたのと同時に、後ろからこほん、と咳払いが聞えた。
「お姫様達と席をご一緒してもいいかな?」
呼ぶより謗れと諺でも言うが、トレイを抱えた主任が背後に立っていた。
「えぇー?」
「どうぞどうぞ! 生姜焼き定食。心ちゃんと一緒ですねぇ」
思いっきり不満の声を上げている私を他所に、トモちゃんはご機嫌だ。
「すまないな。陰険男は座れる席が無かったもので」
皮肉めいた言い方と共に、ちろっと冷たい視線が刺さる。聞いてたのか……。
流石にここで慌てて席を立つと、こんな男に対しても失礼だろう。後でまたネチッと嫌味を言われるのも嫌だしね。ぐぐっと我慢。この際、いない事にしおてこう。そうだ、ただの椅子だ、椅子。そう思おう。
椅子は別に何を喋るわけでも無く、黙々と食事を始めた。
「でもさぁ、心ちゃん最近疲れた顔してない? 夜がお忙しいとか?」
トモちゃんの言葉に、吹き出すまいとこらえてお茶が鼻の方に行った。いてててっ。
そして何故箸を落としているんだ椅子は。結構どんくさい奴だな。無視無視。
「残念ながらそんな色気のある生活はしてないよ。干物女歴更新中」
ふうん、とトモちゃんが主任と私の顔を見比べている。まだ誤解してるんだな。
そこで私は、この疲れている原因をトモちゃんに話してみた。
「なんか最近、時間的にはちゃんと寝てるはずなのに、疲れが抜けなくてさ。毎日同じ様な夢ばっか見るのよね。眠った気がしないのよ」
「へえ、どんな夢?」
トモちゃんが少し乗り出す。占いにハマってる彼女はこういう話が好きなのだ。
「真っ暗でね、人が周りにいるのはわかるんだけど顔が見えないの。でね、お力をお貸し下さいだの、姫様だのと延々言われてるのよ。目を開けてください、みたいな」
「やだぁ、姫様ってウケるぅ。欲求不満が溜まってるんじゃない? それに目を開けてって事は、夢の中で心ちゃんは目を閉じてるのね?」
「あ、そういうことか」
「夢の中で目が開けられないっていうのは、現実逃避とかストレスの暗示だっていうわね。でも言葉まではっきり覚えてるっていうのは変わってるわね」
にわか夢占い師トモちゃん。現実逃避……そりゃ逃げたくもなるよ。その原因が横にいるから言わないけど。
「そっか。暗示か」
なんとなく私が納得しかけた時。
「―――ありえない」
あ、椅子が喋った。
「有り得ない! まさかこいつが……! 嘘だ、これは何かの間違いだ!」
そして彼は立ち上がる。
何か変だぞ主任。いつも変だけど。
まだ昼食を食べかけだというのに、主任はトレイを抱えてぷいっと行ってしまった。
何なんだ、いきなり。ホント訳わかんない。
「よくわからん男だね」
そう言った私を、トモちゃんは微妙な表情で見ている。
「心ちゃんさぁ……」
「ん?」
「前々から思ってたんだけど、鈍感すぎ」
トモちゃんが溜息をついている。何が?
「周りから見てもバレバレなのに何で本人が気がついてないの? 夜がうんぬん言った時の橘さんのとり乱し方とか、彼氏がいないとわかった時の安心したような顔とかさ。これ以上無いくらいわかりやすいよ、彼」
だから何が?
「……言っても無駄かなぁ。ま、そこが心ちゃんの可愛い所なんだろうけど」
「へ?」
「もう少し男心を勉強しようね。もう子供じゃ無いんだから」
何? トモちゃん、年上みたいに。
……私のどこが鈍感だ。

 

鏡の姫と翼の騎士~2、姫と騎士殿、お出かけ編~

見渡すと、視界の限り真っ白で平坦な大地が広がっている。
白っぽい程度でなく、まるで新雪のような純白。でもここは寒くない。どちらかというとやや暑い。そしてとても乾燥している。そう、ここは広大な砂漠のど真ん中。
砂の白と、雲一つない真っ青な空とのコントラストは、くっきりはっきり。
空から見ていると、少し先に緑の島みたいに木の生えた丸い箇所が見えていた。オアシスだろう。でも辿り着くにはまだもう少しかかりそう。
「ここいらで休憩しようか」
ややお疲れ模様のホスヘちゃんと、下を走ってるアーちゃんとナリを乗せた竜馬を休ませるために、一旦下に降りることにした。
「とりあえず皆、しっかり水補給しとけよ」
仕切っているのはフェカリス。彼は地に足が着いた途端元気になったようだ。
休憩と言っても砂漠のど真ん中で木影も何もない。仕方なく日差しを避けるため、大きなホスヘちゃんの陰に皆で身を寄せる。
「悪いね、ホスヘちゃん」
「くるるるっ」
水は結構な量を大臣が持たせてくれたおかげで、人間四人と竜馬、ホスヘが飲んでも今回は足りた。竜馬はこれで少しは軽くなっただろうが、長引くと水不足は厄介だ。
「この先にオアシスが見えた。そこまで行けばまた水が補給できる。今日中に着きたいな」
フェカリスが溜息をついた。
アーちゃんに聞くと、ヘルネは国としてはこの大陸一のとても広大な面積を誇るらしく……といっても、ほとんどがこの砂漠なので、人が住める部分は少ないのだが……朝から半日以上すごい勢いで進んで来たのに、まだ国境まで辿り着けないどころか、お隣の国は遥か先だ。
「最低でも二晩は野宿覚悟ですね」
そう言ったアーちゃんも心配そう。
「野宿かぁ……」
「姫様にはお気の毒ですが」
「ううん、全然大丈夫よ」
口に出すとまた変人扱いなので言わないけど、私は野宿の言葉を聞いて実はめっちゃ楽しみになってるんですけど。キャンプとか大好きだ。
ふと横を見ると、アーちゃんとナリを乗せてきた竜馬とやらが目についた。
そう言えばじっくり見ていなかった。動物大好きの私が放っておけるわけがなかろう。
これは哺乳類ではない気がする。全体のフォルムは馬にそっくりだけど、蹄じゃなく爪のついた指がある。それに毛皮でなく、メタリックっぽい青みがかった銀の鱗に覆われた皮膚は硬そうだ。四本足のスマートな恐竜……そんな感じ。とても綺麗な生き物だ。エメラルドを填めたみたいな目が素敵。
「いいな、竜馬って可愛いなぁ。私も乗ってみたい。ナリ、次交代する?」
軽い提案だったが、誰も賛同してくれなかった。
「僕は騎士様の恨みを買いたくは……いえ、姫様はホスヘの方が良いと……」
「俺は……いやいや、お尻が痛くなるからやめとけ、うん」
「あ、あの、やはり姫様は空の上にいらっしゃるほうが……」
アーちゃん、フェカリス、ナリが次々に言う。皆、歯切れ悪いわね。
まあいいや。また今度乗せてもらおうっと。
動物達も少し休憩して体力も戻って来たようなので、先を急ぐことにした。
「オアシスに着いたら今日はそこで休もう。それまで皆頑張れ」
またしてもフェカリスに仕切られ、それぞれもう一度足代わりの獣達の背に乗る段になって、初めてさっきの皆のリアクションの意味に気がついた。
「あっ、そうか。ナリはアーちゃんが私とくっついて乗るのは面白くなかったのね」
ゴメンゴメン。ホント気の利かない女で。
「ナリだけじゃないっつーの」
ちょっと拗ねたみたいに、フェカリスがぷいっとそっぽを向いた。気持ち頬が赤い気がするのは気のせいだろうか。何かちょっと可愛い。
「ふーん。私が他の男と密着してると妬いたりするんだ」
「ば、馬鹿っ。そっ、その、フィアが気の毒だろうが」
気の毒って……何よ。
「私とくっついてると迷惑なの? じゃあ、あなたも嫌?」
体を離して、ちょこっと意地悪く言ってみる。
「嫌じゃない! 迷惑じゃないっ! 危ないからしっかり掴まってろって!」
大慌てで抱きしめられた。後ろだと大股開きで乗らないといけないので、私は常に騎士様の前にいる形なのだが、こうやってすっぽり腕の中にいるのは何というか、正直気持ちいい。
「こうしてると落ち着くかも」
「……俺も」
白い大地の上を行く真っ白な鳥の上。しばらく黙って胸のドキドキを聴いていた。これはどっちのドキドキなのかな
私も、この騎士様の腕の中の特等席を、誰かに渡したくないのかも。そう思う。

「……これは……」
日暮れ前に、何とか目的のオアシスに辿り着けた私達一行。
しかし、待っていた状況は好ましいものではなかった。
最初に鏡が光った時に見た街ほどの規模ではないが、緑の中に日干しのレンガを積み上げたような質素な家が何軒か集まり、そこそこの村を形成している。水と緑のある場所には人が住んでいるのだなと納得できた。
砂漠と村を仕切るように、または風や砂の進入を防ぐためなのだろう石を積み上げた低い塀が見える。その手前の砂の上に幾つもの異様な棒が立てられている。
普通の眺めでないことは私にもわかった。
「墓ですね。しかも全てまだ新しい……」
アーちゃんが小さく呟いた。
小さな石を幾つか輪に並べた上に木の棒が一本立てられている物。名前が刻んであるわけでもなくとも、確かに墓に見える。でもこの数……ざっと見ても五十近くはある気がする。元々の共同墓地というには、アーちゃんが言ったように全部まだ新しく見える。木が朽ちていない。
今は戦争の真っ最中―――。
「嫌な予感がするんだけど」
それでも素通りするわけにはいかない。水の補給もしたいし、できれば今日はこの辺で休みたい。幾らテントがあるとはいえ、砂漠の真ん中で寝るのはちょっとなぁ。何より国の姫である以上、民の住んでいる場所の現状を探る務めがあろう。
……なんとなく使命感に燃えてみました。
「ホスヘ、上で待ってろ」
フェカリスの声に、くるるっと一声あげてホスヘが舞い上がる。
私達は、村への入り口の石垣の切れ目を探して、周りをぐるっと歩いてみる。上から見ているとそう大きくないように見えたこのオアシスは、そこそこの広さがあるようだ。やっと入り口らしき両側に低い木の生えた小さな門に辿り着いた。竜馬はここで繋いで待たせておく。
門から一歩村に踏み入れると、外の砂とは違い簡単な石畳の道が敷かれていた。
新鮮な緑の葉の匂いがしっとりした空気に混じって漂ってくる。水辺が近いからだろうか。乾いた風にずっと吹かれてきた体に心地よかった。
フェカリスを先頭に、ナリと私が並んで歩き、後ろをアーちゃんが護っている。
石畳を進むと家が見え始めた。村の中は物音一つ聞こえてこず、しんと静まり返っている。
また、さっきの嫌な予感が戻って来た。
「人の気配がないな」
フェカリスがそう言った次の瞬間、先の低い木の茂みで何かがキラッと光った。
「誰か……」
いる、と私が言い終わる前に、フェカリスの手はすでに剣に掛かっていた。
「わああああっ!」
叫び声と共に、茂みから小さな人影がすごい勢いで飛び出して来た。
カン! と乾いた金属のぶつかり合う音が響く。
飛び出してきた人物が突き出した剣は、フェカリスに届く寸でのところで、月の聖剣に受け止められていた。
フェカリスが剣で相手を押し戻しながら言う。
「いきなり襲ってくるとは何者だ?」
「それはコッチが訊きたい! お前ら何者だっ!」
よろけながらも、大きな声をあげたのは小さな人影。
子供……? 男の子だ。
私としては見慣れている黒い髪。丈の短い貫頭衣にこれも短めのズボンだけという質素な身なり。だが、フェカリスに向けられた青い目は突き刺さすような強い眼差しだ。湛えられているのは殺意。
再び剣を突き出して、少年は鋭い声で言う。
「またピロイの人間か?」
「違う。俺達はヘルネの城から来た。旅の途中だ」
フェカリスが答えたのを聞いて、やっと少年が剣を下ろした。だが、まだ表情は硬い。
「驚かせてしまったようね。ごめんなさい。あなたはこの村の人?」
そうっと私が声を掛けると、少年がはっとしたようにこちらを向いた。
その顔にどきっとした。この子……。
「姉ちゃん誰だ?」
「これ。無礼ですよ。このお方はヘルネ王ファキル様がご息女フェシウ姫様です」
アーちゃんが私の代わりに説明すると、少年は目を丸くした。
「えっ? お姫様?」
「そうなの。一応」
……あ、大人しくなった。しばらく、少年はぽかんと私の顔を見て、数秒後。
「フッ」
なぜか鼻で笑いやがった。
「うっそだぁ。だってお姫様って眠ってるんだろ? それにたいして綺麗な人じゃないって噂だよ。姉ちゃん、どう見たってすげぇ美人だし」
……その噂はどうかと思うし、横でフェカリスとアーちゃんが笑いを堪えているのがわかるけど、地味に褒められている気がしなくもない。
「あなたの名前を教えてくれる?」
「ヴレビス」
「うっ……」
ここで笑ってはいけない。耐えろ、私。
たとえ、またしてもラクトバチルス属の植物性乳酸菌と同じような名前であっても。
「L.ブレビス……ラブレ菌だな」
フェカリス~! ってか主任! 人が耐えてんのに解説しないでよ。
「何の話をしてる?」
少年は訝しげに首を傾げている。
「いや、何でも。いい名前だな」
しれっとよく真顔で誤魔化せるわね、騎士様。
「とにかく私達は怪しいものじゃないわ。水を分けて欲しいだけなの。村の他の大人はいるかしら?」
「いねえよ……」
「え?」
吐き捨てるように言って、ヴレビスはぷいっと顔を背ける。その横顔が更に誰かを思い出させた。
この子、なんとなく主任に似てるんだ。フェカリスではなく、見慣れたあの橘慎吾に。そのまま、もっと若くしてちっちゃくしたみたい。目の色は違うけど……。
いやいや。今はそんなことはどうでもいいや。
「他の人がいないの?」
「ああ。皆死んだ。ピロイの兵士に殺されたんだ。生き残った者も村を出て行った。オレはこの村の最後の一人だ」
村の外の夥しい数の墓標を思い出し、背中に冷たい物が触れたような気がした。

鏡の姫と翼の騎士~3、姫と騎士殿と二つの世界~ 聖域編

その人は光り輝いていた。
長い長い金の髪に、これまた長いずるずる極まりない真紅の衣。
一目で普通の人では無いとわかる。この人の周りだけ空気が違う……ってか、本当に人間なのだろうか。
「姫、お初にお目にかかります」
ハープをかき鳴らしたような美しい声が言った。
「……はじめまして」
私はなんとかご挨拶はしたけれど、呆けたような声しか出無かった。
聖者様は男の人かと思っていたが、意外にも女性だった。
しっかし、なんてまあ綺麗な人なんだろうか。美人とかそういうレベルでもない。もう形容のしようも無い美しい顔は、眩しすぎてマトモに見られない。サングラスが欲しい。
ふと横を見ると、店のご主人はじめ、おばちゃんもナリもアーちゃんも王様達まで、床に頭がめり込みそうなくらいひれ伏している。そんな中、私と騎士様は壁際で椅子に掛けたままグーグー寝ていたのだな。その目の前で、鍋を叩いて起こしていたプーちゃんは更にすごい。
皆の様子を見て、聖者様は少し困ったように微笑まれた。
「皆さん、その様に畏まらなくても。どうぞお寛ぎ下さい」
いやあ、それは無理でございますよ。特に店のご主人は気の毒だ。二国の王様の次は聖者様までもが、下町の綺麗とは言い難い食堂においでになるなどと思ってもみなかっただろう。ガタガタ震えている。そんなご主人には失礼だが、掃き溜めに鶴……そんな諺が頭を過ぎる。
立ったままだった聖者様は、テーブル脇の椅子を指差しておっしゃる。
「少し遠出で疲れまして。ここに座らせて頂いてもよろしいでしょうか?」
「そそそ、そんな汚い椅子にっ!」
店の主人は気を失いそう。
立ったままいていただくなどもっての他だが、油や煤だらけの古びた椅子に、聖者様がお掛けになるなどどうかと私も思う。しかし気にした様子も無く、美しい人は腰掛けた。きっとこの椅子は代々の家宝になるんだろうな。
視線と手で示され、私とフェカリスとプーちゃんは、聖者様とテーブルを囲む形で椅子に掛けた。
私達が席に着いたのを見計らって、聖者様は名乗られる。
「申し遅れました。私はテアイア」
「わあ、オレ聞いた事があるっ! テアイア様といえば十一番目の聖者様だよね。癒しの聖者様だ!」
「よくご存知ですね」
プーちゃん、怖いもの知らず。
私とフェカリス以外は多分全員知っていたと思うんだけど、まさに見るだけで癒されるという顔で微笑まれ、プーちゃんは得意げだ。おかげで少し空気が和んだ気がする。ナイスだお子様。
私も思い切って口を開いてみた。
「えっと、一体聖者様がナニゆえこのような場所に?」
「ひ、姫様。少しはお言葉遣いを……」
アーちゃんが泣きそうになっている。フェカリスは固まったままだ。むう、あんまり綺麗な人なので見惚れてるんだろうな。嫉妬すら出来無いけども。
これまた気にした様子もなく、美しく微笑まれた聖者様。
「色々お伝えしたいことがございまして、遣わされました」
皆に、普通に喋ってください、特に鏡の姫様といえば私達と並ぶ者なので普通にいつものように……そう前置きしてから、聖テアイアは語り始めた。

「まずは、このピロイを発端とした国同士の争いは終結するでしょう。ウェルジ王におかれましては、以後、他国への謝罪の行脚、犠牲になった方々への償いをはじめ、二度とこのようなことが無いよう、命の尽きる日まで善政をしかれます事をお約束いただきますれば、今までの罪は問わないとの大聖者様からのお達しです」
「ははぁ――――!」
時代劇のお白洲の罪人みたいに、ピロイの王様が平伏している。罪は問わないんだって。よかったね王様。
「しかし、その種を撒いた張本人がいる限り、第二のウェルジ王が現れるやも知れません。また、直接その張本人が、そろそろ力を増して動き出す気配もございます」
「炭疽菌(アンシラシス)でしたっけ?」
「アシラシス、ですね」
スミマセン。聖者様にまでツッコミを入れて頂きました。
「私達、会いましたよ。夜明け前に」
「まあ! よくご無事で……」
おおぅ。聖者様にまで言われるとは、やはり相当の奴だったんだな、あの子。可愛い顔して。
テアイア様は続けられる。
「私達、聖域におります者は、たとえどんな罪人であろうと、直接手を出してはいけないことになっております。この世の事は、この世の者に任せろというのが掟。それ故にあなた方にお願いしたいのです」
「質問~っ!」
私が思わず手を挙げてしまったら、皆がざざざっと後退るのが見えた。
「何でございましょう?」
「私とフェカリスは、半分この世の人間ではありませんが、いいのでしょうか?」
おいおい……と、横で騎士様が呆れた声を上げたものの、これは是非聞かねばなるまい。
聖テアイアはにっこりと微笑まれた。
「実はそこが大事な所なのです。なぜ、鏡の姫と翼の騎士が二つの世界を行き来するのか。半分でもこの世の人間であるということが重要なのです。この世の者に任せるという掟には背きません。しかし、半分は違う世界の者ということで、私共もあなた方には心置きなく直接手助けすることができます。また、異界の知識や価値観も役に立つでしょう」
言いたいことは理解できた。でも何だか、それって……。
「掟って、半分でもいいんですね?」
「そこはまあ、一応逃げ道という事で」
もしも~し? しれっとすごいことを言っておいでですよ、聖者様。逃げ道って……。
「あなた方は、私達が直接手出しできないことを、代行していただくために選ばせて頂きました。ご迷惑をお掛けいたしますがご了承ください」
さすがに、本当に迷惑なんですけど……とは言えないので言いませんけど。
「では、クノミアから逃げたアシラシスも、俺達に斃せと仰るわけですか?」
「そう言う事です」
フェカリスがちょっと面倒くさそうに言ったが、聖テアイアの答えは即答だった。
「かつて、先々代の鏡の姫と翼の騎士の手によって捕らえられたアシラシスを、私達聖者と呼ばれる者がそれぞれ百一に分けて、地下迷宮(クノミア)に閉じ込めました。たとえ命を奪おうと、魂までも消し去るのが不可能な、強い力を持った者のみがクノミアに封印されるのです。長い世の時の中で、ごく稀に異端の者が現れます。正直に申し上げますが、実はそういう異端の者は、あなた方と同じく、違う世界を行き来する者や、異界の知識、記憶を持ったまま生れ落ちた者なのです。よって、全てを滅する事が出来ない。残った部分が核となり、長い時間をかけ今回のようにまた復活する事があるのです」
……ほうほう。なるほど。色々とツッコミたい所はあるものの、概ね理解できた。ごく稀に異端の者が生まれるというのはありえない事では無いよね。私達がそうなんだし。
「ではアシラシスも違う世界を行き来しているのでしょうか?」
私が確認すると、聖テアイアはほんの少し表情を曇らせて言う。
「大聖者様の見通しでは、恐らくはあなた方と同じ世と行き来していると……」
「なっ……!」
衝撃の事実。じゃあ、じゃあ。向こうでも違う姿で違う名前のアイツがいるってこと? 帰るって言ってたのは、向こうの世界に帰ってたかもしれないってこと?
「ええっと……私達が向こうの世界で出くわすことは無いですよね。世界も広いし」
「全く無いとは言い切れません。姫と騎士も向こうで近くにいらっしゃったでしょう? それは縁があるから。アシラシスもあなた方と全く縁が無いわけではありませんから」
出会いませんように……今、向こうの私ってば動けないのよ?
私の焦りをよそに、聖テアイアは突然話題を変えた。
「ところで姫、鏡を見せていただけませんか? 傷がついてはいないでしょうか?」
おおう、そうだった! ピロイの城の謁見の間で、アーちゃんが振り下ろした月の聖剣で鏡が傷ついたんだった。なぜお分かりで? そう問うとあっさり言われる。
「ミュルラが痛がっておりました」
「ひょっとして、そういう名前のお方がおられるんですか?」
「いえ。大聖者様のお使いの聖なる竜です」
よかった人でなくて……と思いかけて、いやいや、竜でも気の毒なことをしたと思い直した。なるほど、だからこんなデザインなのか。
鏡を渡すと聖テアイアがふっ、と息を吹きかけた。薔薇の花弁のような美しい唇からは、キラキラと輝く風が漏れた。表面に微かについていた傷がすうっと消えて行く。すごーい!
「治りました。大事にしてあげてくださいね」
「はいっ! ありがとうございます」
ゴメンね、竜ちゃん。痛かったんだ。私の命を守ってくれた上、その後もがんばってくれたよね。もうこれからは傷つけたりしないよ。
聖テアイアは、もう一つ話を変える。
「最後に大事な用をお伝えしなくては。アシラシスは大変危険で強いです。エイレギノザムどころではありません。そこで大聖者様が、姫の鏡と騎士達の聖剣に新しい力を授けたいとのことで、ぜひ一度聖域にお越し下さいと仰っております」
なんと! それってすごくないですか!
「バージョンアップ、というか、パワーアップしていただけるんですか?」
「ば、ばーじょん? パワー?」
おっと。聖者様でも、向こうの言葉はわからないこともあるんだね。そういえば、アーちゃんにも最初伝わらないことがあった。こちらで変換できる言葉には制限もあるようだ。
「強化増力して頂けると?」
フェカリス、ナイスフォローありがとう。
「そうです。それにフィアさん」
突然名指しされて、アーちゃんが飛び上がった。
「は、はいっ!」
「あなたにもお渡ししたい物があるそうです。大聖者様は今、聖域の神殿を出ることが叶わないため、また訪れた者にしか力を授ける事を許されておいでにならないので、ご足労願いますが、どうぞ早めに聖域にお越し下さいませ」
それだけ言うと、聖テアイアが立ち上がった。
「それでは皆様、お邪魔いたしました。皆様の心に平穏が訪れますように」
ああ、その笑顔……まさに癒しの聖者様。向こうの木戸心の怪我も治ってしまいそう。
「お会いできて光栄でした!」
店の扉の前で皆で見送る中、手を振った聖テアイアの姿は光となって煌く風と共にすぅっと消えた。おおお、すご~い!
「一生忘れません!」
まだ店のご主人はひれ伏したままだった。
もう光も見えなくなった空を見ながら、フェカリスが言う。
「聖域に来いってさ」
「旅もいいんじゃない?」
ピロイからの方が聖域に近いとのことで、私達はヘルネの城には戻らず、そのまま旅立つ事になった。そんなわけで、親子水入らずの日はまだ遠いみたいだね、お父様、お母様。

 

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