【書籍情報】
タイトル | 落ちないカノジョのウラ事情 |
著者 | 朝陽ゆりね |
イラスト | 黒百合姫 |
レーベル | フリージア文庫 |
本体価格 | 400円 |
あらすじ | NY支店から帰国した信次は、誰の誘いにも応じない落ちない女、秋穂に興味を持つ。自分こそは、と声をかけるが、まったく相手にされない。そんなある日、秋穂の秘密を知り、そこに付け込んで食事に行くことに成功する。最初は怒っていた秋穂だが、秘密を知られてしまったらもういいから、と素で対応してくる。そんな秋穂に信次は魅了されていく。信次には将来安泰を約束してくれる美人の恋人がいる上に、秋穂から幼なじみだという獣医師の基則を紹介され…… |
【本文立ち読み】
目次
第一章 落ちない女、らしい
第二章 心境の変化
第三章 落ちない女の正体と初デート
第四章 恋敵
第五章 対峙
第六章 ハッピーエンドをめざして
第一章 落ちない女、らしい
「本日、ニューヨーク支社より異動となり、着任いたしました片瀬《かたせ》信次《しんじ》です。アメリカで学んだことを生かして頑張りますので、よろしくお願いいたします」
営業開発本部の朝礼で、着任の紹介をする信次の口調は少々鼻につく感が否めなかった。
高校卒業後、アメリカのエリート大学に進学し、この大手総合商社に入社した信次は、所謂エリートだ。
それは自他ともに認めるところだが、態度に出ていることはいただけない。挨拶を聞いているスタッフたちの顔に『鬱陶しい』という感情が浮かんでいる。
とはいえ、それは男性スタッフだ。逆に女性スタッフたちは『ターゲットが来た!』と考えているようで、目が輝いている。
一七八センチの身長と、なかなか凛々しい顔立ち。優秀で外見がよく、語学も堪能、二十七歳、独身となると、女たちの乙女心は激しくくすぐられるというものだ。
挨拶を終えて席につくと、課長の下田《しもだ》が信次を改めてスタッフたちに紹介した。
最初に信次で、次は下田の手前に座る女性スタッフから順番に、自己紹介をするよう指示した。
その女性スタッフは大崎《おおさき》と名乗り、事務リーダーとして派遣社員を束ねていると述べた。大崎の次からは営業マン二人、この二人についている派遣事務スタッフ、という順に紹介され、最後に信次の事務を担当する女性スタッフになった。
信次と下田を除く十八人の営業二課員は挨拶を終えた。
「片瀬君はFチームだ。頑張ってくれよ」
「はい」
三人一組のグループをアルファベット順にチームにし、統制している。
信次の相方は岡田《おかだ》といい、信次とは一歳違いだった。さらに隣に座る派遣社員は駒沢《こまざわ》と名乗り、三十を越えた既婚者だ。
与えられた席は信次にとって非常にありがたい場所だった。
窓に背を向けて座る下田と、そのアシスタントをしている大﨑で一つの島を作り、課長席の前に六人一固まりの島が三つ並んでいる。端からAチーム。Fチームの信次は端の島で、さらにスタッフたちに向けて座ることになった。
来たばかりの信次にとって、顔を上げると課内が一望できることはありがたい。しかも自分の後ろは棚だった。誰に覗かれることもなく、落ち着いて仕事ができる。
胸の内で喜んでいると、スマートフォンが震えた。
(百合《ゆり》か)
恋人の早川《はやかわ》百合からのメッセージが着信したようだ。
百合とは教授の家で開かれたホームパーティで知りあった。
彼女の美貌と父親が経営者であることが、エリート意識、上昇志向の強い信次の心を掴んだ。百合も信次の外見や将来性を気に入ったようだ。
二人は互いに嗜好と打算によって交際を始め、今に至っていた。
信次はトイレのような顔をして何気なく立ち上がり、そのままフロアを出た。確認すると、案の定、メッセージの相手は百合だった。
(今夜六時? 着任日早々から終業時間でダッシュなんかできるかよ)
ムッとしつつ、返事を打つ。
『悪いが、今週はムリだ。週末まで待って』
送信すると返事はすぐに来た。
『もう! ホテルのレストランを予約したのに!』
信次は苦笑を浮かべると、返事をせずにポケットに入れた。
(こっちはお気楽なお嬢様じゃないんだ)
席に戻って諸々の雑務を済ませる。岡田と駒澤の三人で、仕事内容の説明を含めて打ち合わせに臨んだ。
午前中いっぱいを打ち合わせで費やす。最後のほうは大きな声では言えない内緒の話で盛り上がった。
所謂、暗黙のルール、暗黙のお約束事項というやつだ。さらにゴシップ好きの駒沢が、からかい半分にプライベートを聞いてくる。派遣社員を含め、ここは女性スタッフが多いから、狙われるというのが駒沢の言い分だった。
「そうですか? それはある意味、名誉ですよ。でも、俺、カノジョがいますからね」
「あ、そうなんですか!」
反応したのは岡田だった。
「日本人だけど、向こうで知りあったんです。もう七年くらいつきあっているかな」
「へぇ!」
「大学を出たら彼女は帰国したから、遠距離でしたけど」
「すごいなぁ~。究極の遠距離恋愛だ! 慣れ染めがアメリカだなんて、かっこいいなぁ!」
岡田は純粋に感心していた。そんな姿を見、鼻高々の信次だ。こういう反応こそが心地いい。
打ち合わせを終えてブースを出た三人は、駒沢だけが早々に席へ戻り、信次と岡田はゆっくり歩きながら会話をしていた。
「そうそう、わざわざ言わなくても気づくと思うし、片瀬さんは恋人がいるんだから不要でしょうけど、一応、耳に入れておきます。Dチームの事務担当、神谷《かみや》さんですが、彼女は裏で話題の人でね」
「話題?」
岡田はクスリと笑った。
「えぇ。モテモテなんですが、絶対落ちないんです。どんなヤツが誘っても。二人で食事に行ったりもしない。昼も含めて。だから我こそは! ってヤツらが次々と誘いにくる。でも人気なのは、その断り方なんです」
「へぇ。絶対に落ちない、ねぇ。見た感じ、普通だけどね」
「目を引くような美人でもないんですがね。でも、ホント、彼女の断り方は面白いから」
「オトコがいるからじゃないんですか?」
「自己申告では『いない』らしいですけどね。そうかもしれないですねぇ。片思い中とか」
「岡田君はどうなんです? アプローチしたんですか?」
岡田はペロリと舌を出した。
「見事、撃墜されました」
「なーんだ」
あははと笑い、信次は席についた。顔を上げると、中央の島にその神谷秋穂《あきほ》が背を向けて座っている。信次の席からは彼女がなにをやっているのか、とてもよく見えた。
「あ、そうだ、片瀬さん。今週の金曜日って、予定ありますか?」
隣に座る駒沢が話しかけてきた。
「金曜日?」
「えぇ。歓迎会をしたいんですが」
「あ、いいですよ。大丈夫です」
「じゃ、そういうことで」
それから間もなく、パソコンの社内用アプリにメッセージが届いた。二課のスタッフ全員に宛てた駒沢からのものだ。
(準備してたってことか)
早々にOKの返事を出す。送信ボタンを押して顔を上げると、秋穂の横にこの課の者ではない男が立っていることに気がついた。
「神谷さん、昼、一緒にどう? あと、一分少々でベルが鳴るから」
「お昼?」
「ご馳走するけど」
眺めていると、駒沢がそっと耳打ちをした。「一課の大塚《おおつか》君」、そう言われてチラリと駒沢を見、また視線を秋穂たちに戻した。
「今日はムリです」
「どうして?」
「会社近くのお弁当屋さん、今日のサービスが『鶏カラ・ノリ弁』なんですよ。知ってます?」
「弁当屋?」
「だからダメです」
「どうして? そんなに好きなの? 鶏カラのノリ弁」
秋穂はニコッと屈託なく笑った。
「好きは好きですけどね。でも、そうじゃないんです。お弁当の具の王様である『鶏カラ』と、『ノリ弁』を合わせてるんですよ? 王道と王道。こんなコラボを日替わりサービスにしちゃったら、次はどんな手を打つんだ! って思いません? だからちゃんとチェックしておかないと。そういうわけで、今日は『鶏カラ・ノリ弁』に全力を投入するのでダメです」
「でもさぁ」
「朝から口が『鶏カラ・ノリ弁』になっているし、心は気合い入りまくりで、絶対ムリ。ここで妥協したら一生悔います」
大塚は困ったように微笑み、こめかみ辺りをポリポリ掻きながら「じゃ、仕方ないね」とこぼした。
「明日はどう?」
「明日?」
「うん、明日はダメ?」
「あー、まぁ、今日じゃなければ」
「ホント? じゃ、明日、時間になったら誘いに来るよ」
秋穂はまたしてもニコッと微笑んだ。間もなく昼を示すベルが鳴った。
大塚はうれしそうにしつつ、立ち去った。秋穂は大塚を見送ると、机から紙の手提げ袋を取り出し、立ち上がった。
(すごい撃退の仕方だなぁ)
信次の斜め前に座るEチームの事務担当、横溝《よこみぞ》が駒沢に向かって話しかけた。
「神谷さん、相変わらずよねぇ。お弁当なのにさぁ。お弁当屋の『鶏カラ』って、コケそうになったわ、私」
その会話に信次は驚いて顔を向けた。横溝は信次の反応に気づき、うん、と頷いてみせた。
「見つからないように屋上でお弁当食べてますよ、一人で。ブースで食べりゃいいのにって言ったんだけど、屋上がいいんですって」
「それに明日、彼女、休みなのよ」
今度は駒沢が答える。信次はますます目を丸くした。
「せっかく誘ってくれてるのにねぇ」
「今更、イヤなんじゃない? 男ども、すでにゲーム感覚でしょ。落ちたって騒がれるのもウザいと思うし。その気持ちは確かにわかるわ。本気かどうかわからないって、ある意味ひどい話だしね」
彼女たちの話を聞きながら、信次はどうして秋穂がこんなにモテモテなのか、ますます疑問に感じたのだった。
その日の夜。
信次は高級ホテルの最上階にいた。百合は結局、諦めなかったのだ。せっかくのリザーブをキャンセルしたくないと、あのあと、怒涛のメッセージ攻撃を行い、信次を撃沈したのだ。
『いいわ、他のオトコと行くわ。お持ち帰りされても知らないから!』
このメッセージに負けた。美人で金持ち。さらに父親は中堅処とはいえ会社社長。将来的にもアクセサリー的にも、百合は上等な女だ。手放す気はない。
また向こうも同じだろう。都内でも有名な進学校を卒業してアメリカの大学へ行き、この大手商社に入社した自分を高く評価してくれている。
お互いに相応しい相手だと考えていることは明白だ。しかしながらお互い人間だ。なにが災いして関係が壊れるかわからない。女はわがままな生き物だと考えている信次にとっては、よほどのことがない限り、最後は折れてやるべきだろうと考えている。
(これも栄えある将来のためだ。仕方がない)
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