「おやすみなさい」を告げるとき

【書籍情報】

タイトル「おやすみなさい」を告げるとき
著者忍足あすか
イラスト
レーベルノースポール文庫
価格400円
あらすじ恋人は言った。「眠りは常に快適なものじゃないと」。
少し不思議な男の子は言った。「何も考えないでください」。
一途であまりにも哀しい親友は言った。「お陽様の光に溶け込むように光るなんてロマンチック」。
正体不明の女性は言った。「ねえ、あなた、声がとてもきれいね」。
――陽炎の立つ夏、彼女たちは取り返しのつかない眠りに静かに触れる。

【本文立ち読み】

「おやすみなさい」を告げるとき
[著}忍足あすか

目 次

●目次
賽をふれない無力な仔猫の希望的未観測
カウンターイルミネーション
あなたの声で眠りたい
ハッピーエンドは夢落ちで

 

賽をふれない無力な仔猫の希望的未観測

恋人が吸血鬼だとわかってからというもの、私の生活は少し変わった。
といっても、血を求められるようになったとか、そんな劇的なことはない。今時の吸血鬼は吸血などしなくてもじゅうぶん生きていける。何せ人間と交配して長い。欲求がないわけではないけれど、程度のほどは「今日のおやつ、ポテチ食べたい」が精々のところ。だから、私はとても平穏なのだった――身体的には。
私の中で問題になっているのは、まったく別のところにある。どうでもいいといえばどうでもよく、ただし、どうでもいい気がするだけに面倒くさい。
近頃の私と、恋人の誠人《まこと》のデートは専ら近所の喫茶店。そこで何をしているかといえば
「蒔《まき》ちゃん、これ、どう思う? この棺桶!」
棺桶の話をしているのだった。
私は溜息をついた。アイスココアの上にたっぷりとそそり立っているアイスクリームを、スプーンでもくっと掬《すく》う。
「まこちゃん、先週の棺桶はどうしたの? 結構気に入ってなかった?」
テーブルの上に広げられているのは、まこちゃんが自分でまとめてきたプレゼン資料だ。A4のコピー用紙に、フルカラーで様々な棺桶がプリントされている。メーカーや価格の比較もわかりやすく書かれていた。
つまり、彼は私に意見を乞おうとしている。
ただの人間の私に。
残念ながらただの人間であるところの私は、きれいにまとめられた資料を見ても、同じ箱が並んでいるようにしか見えない。棺桶は棺桶、それだけ。それ以上でも以下でもない。
「あのあとよく考えたんだけど、ぼくの場合は燃やさないんだよね。だから、ちょっと高くてもきちんとしたのの方がいいと思って。長く使うから」
「ああ、まあ、ベッドはそうそうほいほい買い替えるものじゃないもんね」
うっかり同意したら、まこちゃんの顔がぱっと明るくなった。棺桶の話となると私はどうしても面倒くささが顔に出てしまうから――そのくらい長く同じ話をしているわけだけれども――乗ってきてくれたのがうれしいのだ。
彼は吸血鬼の端くれらしく端正な顔に人懐っこい笑顔を広げて、うんうんと何度も頷いた。
「そう! 大切なものを入れる箱は、丈夫じゃないと」
今なんか少しずれたな、と感じながら、私はアイスクリームを口に運んだ。ひんやり冷たく溶けていく。暑気に当たって火照った肌も、喫茶店内の冷房のおかげで落ち着いた。
視線を下ろせば、まこちゃんが愛用している大きな日傘が畳まれて壁に立てかけてある。出会った頃は「どうしてこのひと、頑なに日傘を手放さないんだろう」と不思議に思っていたけれど、正体を知ってしまえば納得だった。吸血願望はさほどなくても、彼らはやはり強い日光や水、特に流れのある水は嫌う。梅雨にはじまって、秋が来るまで、彼は毎日闘っているのだ。
「窓がないのが見つからないんだよね。自分で塞げばいいんだけど、できればやっぱり最初からないものの方がいい」
もちろん棺桶の窓のことを言っている。彼は贅沢を言う気はないようで、一般的に入手しやすい、いわゆる仏教仕様とでも呼べばいいのか、とにかく多くの日本人にとってはお馴染みのアレを購入するつもりらしかった。
「そんなこと言ったって、あの窓はお別れするのに必須なんだから」
「それはそうなんだけど……」
まこちゃんがむうと難しい顔をする。
黙っていれば美男子なのに、口を開くとどうにも間抜けでいけない。おっとりしているといえば聞こえはいいけど、どちらかといえば彼はおっとりしているのではなく、頭の中がお花畑なのだ。夢見がちというか、地に足がついていない部分がある。
なんでこんなのに惚れちゃったんだろうなーと時々思う。恋は理不尽だ。
「もう、この話も長いのに、切実な思いをわかってくれないなあ、ぼくのかわいい仔猫ちゃんは」
――わかりようがないんだよなあ。
私はまたアイスクリームを掬う。山はずいぶん崩れてきていた。ココアの表面が渦を巻くようにして見える。
まこちゃんは、大真面目に私を『仔猫ちゃん』と呼ぶ。最初はとんでもなく恥ずかしくて、何度も「やめてほしい」と言ったけれど、一向に聞き入れてくれない。彼にとって、私は何がどうあっても仔猫ちゃんだということなのだろう。今は、『お姫様』や『マイハニー』よりはましか、と思うようにしていた。食い下がって抵抗するのが馬鹿馬鹿しくなったのだ。
それに、愛情の発露であることだけは確かだから。
心の隅では、ちょっとくらいいいかな、と思っているのも事実だった。もちろん、周りに誰もいなければ、の話だけれども。
「布団は布団屋さんに特注でつくってもらうつもりなんだ」
チョコレートパフェのバナナに生クリームを乗せながら、まこちゃんはうれしそうに言う。目がきらきらしていた。サンタクロースを心待ちにしている子どものような目だ。
「特殊なサイズすぎて不審に思われると思うよ」
私はストローを沈めて、きんきんに冷たくなっているココアを吸い上げる。
「不審っていったって、だってベッドだよ? 眠りは常に快適なものじゃないとね」
バナナを飲み込んだまこちゃんはそう応えて、今度はチョコレートアイスにスプーンを刺した。
この喫茶店のチョコレートパフェは、まこちゃんのお気に入りだ。バナナ丸ごと一本分が使われていて、アイスクリームなんかチョコレートとバニラとコーヒーの三種類が乗せられていて、フレークで嵩を増していることもないボリューム。私には到底食べられるものじゃない。
上機嫌でパフェを食べる(遺伝子的に)かなり変わった恋人を見ながら、私はアイスクリームを食べ終えココアを飲み干し、再度溜息をついた。

車で行くのは無理。何故なら遠いから。
そんな理由で、私とまこちゃんは新幹線と電車とバスとタクシーを乗り継ぎまくって、今はハイキングをしていた。
彼は、山っていうけどたいしたことないよ、などと言っていた。
戯言《たわごと》もいいところだ。
私にとってはしっかり山だった。勾配は緩いものの、足が斜めになっていることはわかる。どう考えてもこれは登山だ。
「まこちゃん。今遭難したら、私たち間違いなく死ぬからね」
荒い息をつきながら毒づいてみた。
まこちゃんはといえば、如何にもひ弱そうに見えるのに、信じられないほどの健脚ぶりを見せてくれている。汗ひとつかかないばかりか息が上がる気配もない。その様子が私をさらに疲れさせる。
ついていけない。心情的に。
ああもうなんで突然登山なんかしなきゃならないのよするなら最初に言っておいてよ心の準備くらいさせてよ私はまこちゃんみたいに元気バリバリ生気モリモリじゃないのよ社会にちょっと疲れた薄給のしがない事務員なのよ。
まだ雪の季節は遠いのに、山はじゅうぶん寒かった。
山ってこんなものなのだろうか。私は山といえば幼稚園、小学生のときに登った遠足規模のささやかなものしか知らないから、気温の在り様は知らない。
なんにせよ装備はきちんとしていないといけないと思うんだけど。
登山なんて夢にも思っていなかったから、なんの準備もしていなかった。
「大丈夫だよ。もうすぐ、もうすぐ」
――その台詞、三十分前にも聞いたわよ。
とは思うが、息が上がっていて口答えの元気が出ない。
私は立ち止まって膝に手をつき、深呼吸をした。まこちゃんがふり向く。
「蒔ちゃん、大丈夫?」
「大丈夫じゃない」
「抱っこしてあげようか」
「おんぶじゃなくて?」
「お姫様抱っこ!」
「気持ちだけもらっておく。ありがとう、まこちゃん」
まこちゃんなら本当にやりかねない。
私はふうと息を吐きだすと、腰に手を当ててぐっと背伸びをした。腰だけでなく、足もずっしりと重い。
ぐるりと見回してみても、視界に入るのは深い雑木林だけ。背の高い木々が乱立している。遠くを見ようとしても、重なり合う葉に隠れてまったく叶わない。獣道にしか思えないような道だったけれど、零れ落ちる木漏れ日は美しかった。
遠くで何かの鳥が鳴いている。高く澄んだ声だ。私は鳥に詳しくないからわからないけれど、はじめて聞く声だった。響いて聞こえるのは山だからだろうか。
「ねえ、まこちゃん、――あ、ありがとう」
「水分補給は大事だよね」
どこに持っていたのだか、まこちゃんがペットボトルの水を差し出してくれた。私は救いを見つけだしたような思いでそれを受け取る。
水は冷たかった。
やはり気温が低いのだ。先ほどまで顔に熱が溜まって暑かったのに、水を飲んだ今はもう寒い気がしている。
晴れた空が、夏なのに寒々しい。冬になったら、と考えると少し怖かった。
「ここの山ってまこちゃんの?」
ふうう、と再び深い息をつく。ざわざわと葉擦れの音がする。まこちゃんは少し困ったような、照れたような笑みを見せた。
「ぼくの山なわけじゃないよ。でも、ここの山というか、この辺りの、見える範囲の土地は全部うちの」
「まこちゃんてお坊ちゃんだったんだ……」
彼は意外そうな顔をして、首を横に振った。
「そんな大層なものじゃないよ。ご先祖様が土地を持ってて、それを受け継いでるだけなんだから。会社はいくつかあるけど、親族経営なわけじゃないし」
「世間じゃそういうのをお坊ちゃんっていうんだよ」
「あ、でも、今から行くのはぼくの名義」
「別荘?」
「山荘」
やっぱり、どうも時々噛み合わない。
に、しても。
まこちゃんのお花畑ぶりは、見方を少し変えてみれば、なるほど少し浮世離れした上品なお坊ちゃん――
――と、思えなくもない。

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