新婚夫夫の溺愛事情―大江戸剣豪艶話―

 


【書籍情報】

タイトル新婚夫夫の溺愛事情―大江戸剣豪艶話―
著者夢臣都芽照
イラスト一宮こう
レーベルフリチラリア文庫
価格500円+税
あらすじ――好きだからこそ、一歩が踏み出せない。
兵部錦史郎は坂町家との合同稽古で剣豪と噂される麗人、夢三と出会う。
彼に恋焦がれて数日後、錦史郎は夢三が右目を失明したと知る。
剣の腕が全ての坂町家にとって、片目を失った剣士は不用品。実家で邪険に扱われるようになった夢三の笑顔を取り戻すため、錦史郎は全ての段階をすっ飛ばし、夢三に求婚をする。
新婚生活が始まるも、錦史郎は夢三のことを大切にするあまり、肝心の【好意】を告げることができずにいた。
そんなある日、錦史郎は夢三の秘密を知ってしまい……?

【本文立ち読み】

新婚夫夫の溺愛事情―大江戸剣豪艶話―
[著]夢臣都芽照
[イラスト]一宮こう

目次

目次

序章
一章
二章
三章
四章
五章
終章

序章

カララ、と。戸が開く音が鳴った。
兵部《ひょうぶ》錦史郎《きんしろう》は道場での稽古を終えて、今しがた我が家へ戻ったばかり。
そうすると、まるで錦史郎の帰りを心待ちにしていたかのように、奥から一人の青年が姿を現した。
「おかえりなさいませ、錦史郎様」
艶やかな黒髪を後ろでひとつに結び、柔らかく微笑む若い青年。
まるで淑女のように品のある佇まいと、誰しもの視線を奪ってしまう端整な風貌。
そんな美丈夫がたった一人、錦史郎に向けて笑みを浮かべている。
戸を閉めた錦史郎は、すぐに青年を振り返った。
「ただいま、夢三《ゆめみつ》」
錦史郎のことを出迎えたのは、坂町《さかまち》夢三という青年だ。
夢三は長い黒髪を左右に揺らしながら、しかめっ面を浮かべる錦史郎へ歩み寄る。
「お食事の用意は済んでおります。汗をお流しになるのでしたら 、湯浴み の準備も終わっておりますよ」
「いつもありがとう」
「いえ」
夢三が言う通り、夕食の準備は終わっているのだろう。ふわりと、味噌汁のいい香りが漂っている。
礼を言われた夢三は錦史郎に向かい、にこりと朗らかな笑みを浮かべた。
「──私は、錦史郎様の伴侶ですから」
そう言い、夢三は錦史郎の隣に並んだ。
すぐに、夢三は結っていた髪を解く。
微笑みを浮かべる夢三の髪が、さらりと揺れる。
そうすると、夢三の髪からはどこか甘い匂いが香った。
「……あの、錦史郎様?」
「どうした」
「お食事にいたしますか? それとも、湯浴みになさりますか ?」
「ん、そうだな……」
悩んだ錦史郎に向けて、夢三がそっと手を伸ばす。
まるで白魚《しらうお》のような夢三の指が、不意に。
「それとも……っ」
つん、と。
「──私の準備が、できておりますと言ったら……どう、しますか?」
錦史郎が着ている着物の裾を、控えめに引っ張った。
自らの発言に、羞恥心でも抱いたのだろうか。夢三は顔を赤らめ、そのまま俯いてしまった。
黙り込んでしまった夢三の手を、錦史郎がそっと握る。
「……っ! 錦史郎様……っ」
すぐさま、夢三は顔を上げた。
……しかし。
「先に、汗を流してこようか」
夢三が想像しているであろう展開には、進まなかった。
錦史郎は裾をつまむ夢三の手を、やんわりと振りほどく。
「……その後は、どういたしますか?」
「腹が減ったから、食事にしよう。それから少し休んで、就寝とするか」
「そう、ですか……」
離された手を、夢三は反対の手でそっと握る。
「……かしこまりました」
そう言い、夢三はもう一度、柔らかい笑みを浮かべた。
どうして夢三がこんなことを言ってきたのか、錦史郎には理由が分からない。
そもそもこの口上に、理由も。……意味も、ないのかもしれない。
錦史郎はすぐに湯浴みをすべく通路を進み、そのまま戸を閉める。
そして、すぐに……。
「はぁあ……ッ!」
──錦史郎はその場に、素早くしゃがみ込んだ。
蹲った錦史郎は、すぐさま自身の頭を両手で抱える。
一人きりになったところで、錦史郎は誰に言うでもなく、ぽつりと。
「──夢ちゃんが、愛おしくて堪らない……ッ!」
──胸のつかえを吐き出すかのように、ただただ重苦しく呻いた。
情けなく蹲った錦史郎は頭を抱え、居間に向かったであろう夢三には決して気取られないよう、静かに悶絶する。
そこで、ふと。
錦史郎は先ほど夢三に引かれた裾を、そっと見つめる。
そして、夢三につままれた部分と全く同じ箇所を、錦史郎は強く握った。
「夢ちゃん……ッ」
先ほどまでのしかめっ面は、いったいなんだったのか。
こうして蹲る男の表情は、あまりにも情けない。
「好きだ、夢ちゃん……ッ」
そう言い、錦史郎は夢三がつまんでいた裾に顔を埋めた。
……坂町夢三が伴侶となり、ひと月。
兵部錦史郎はその【ひと月】という歳月の間、伴侶である夢三に対し……。
──口付けはおろか、好意を伝えることもできていなかった。

一章

江戸の時代。
兵部家と坂町家は、どちらも剣技の名家だった。
小さな村にあるふたつの家には、隣の村やさらに離れた村からも、剣技の教えを請いに人が来る。
それほどまでに、兵部と坂町の名は知れ渡っていたのだ。
兵部家の次男である錦史郎もまた『家柄に恥じぬように』と、剣の腕を磨いた 。
坂町家の三男である夢三もまた、家柄に恥じない剣の腕を持っている。
次男である錦史郎と三男である夢三は、どちらも家を継ぐような立場ではない。
しかし二人はどちらも、互いの家では最も腕の立つ剣豪であった。
そんな錦史郎が夢三と出会ったのは、今より半年前。 兵部家の門下生と坂町家の門下生が、合同で稽古をする日だ。
錦史郎は幼くして、剣の腕を磨くべく様々な村や町を巡り続けていた。
生まれ故郷であり、兵部家の道場があるこの村へ錦史郎が戻って来たのは、坂町家と合同稽古をする僅か数週間前。
その頃、兵部家の跡は兄である与一郎《よいちろう》が正式に継いだばかり。
村に戻ってきた錦史郎はすぐに、兵部家の道場で師範と呼ばれる立場に立った。
道場の長としては、日が浅い。毎日をがむしゃらに生きていた錦史郎にとって、坂町家との合同稽古は不安だらけだった。
しかし、坂町家との合同稽古当日。
兵部家の道場を夢三が訪れた時、錦史郎は自らの目を疑った。
艶やかな黒髪は、錦史郎が持つ語彙では言い表せないほど美しく。
赤く色づいた唇は、まるで果実のようだった。
涼やかな瞳はまるで宝石のようで、初対面の錦史郎は直視できなかったほどだ。
ただその立ち居振る舞いを、錦史郎は遠めに眺めることしかできなかった。
本能的に、錦史郎は直感する。
──『この人を、娶りたい』と。
初めは、女が来たのかと思った。
しかし、ここは剣を振るう道場。
現在、兵部家にも坂町家にも剣を振るう【女】はいないはず。
ゆえに、稽古場であるこの場所に、女がいるはずもない。
同性とは思えないほどに美しい夢三を【男】と理解しても、錦史郎は胸の高鳴りを抑えられなかった。
『錦史郎、よく見ておけ。あの男が、坂町家でも随一とされる剣豪──坂町夢三だ』
そう話した実兄である与一郎の言葉を、錦史郎が信じられるはずもない。
そもそも大前提に、虫一匹すら殺せなさそうな 剣豪らしからぬ雰囲気を纏う美丈夫がどうして、刀を握るのか。
それすらも、錦史郎には理解できなかったのだから。
『はじめまして。坂町夢三と申します。本日は、よろしくお願いいたします』
挨拶を紡ぎ、手を差し出す。
握手を求めた夢三に対し、なんと答えたのか……。錦史郎は、うまく思い出せない。
ただ覚えているのは、その後に夢三と手合わせをしたこと。
そして、夢三が持つ【坂町家の剣豪】と言う名に相応しい腕前を、実感したということだけ。
打ち込みの鋭さと、瞬時の対応力。
なによりも、その持久力に。
兵部家の門下生だけではなく、やって来た坂町家の誰よりも秀でていたその剣技に、錦史郎はますます惹かれてしまった。
どれだけ鮮烈で痛烈な動きをしても、欠片ばかりも損なわれない夢三の気品。
夢三が男だと知り、且つ腕の立つ剣豪だと痛感しても尚、錦史郎の想いは増すばかりだった。
──今すぐにでも、抱き寄せたい。
──胸の内から溢れる想いを伝えて、応じてもらえたならば……。
そんな淡い恋心を、錦史郎は齢二十八にして初めて自覚した。
しかし、錦史郎はただの一度も恋をしたことがない。
ましてや、そういった【恋】 にうつつを抜かしたいと思ったこともないのだ。
意中の相手への積極的な交流の仕方を知らない錦史郎は、合同稽古で夢三と手合わせをするのが関の山。
内に秘めた想いを告げることはおろか、個人的な関係を持つことすらできなかった。
【続きは製品でお楽しみください】

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