ベストセレクション 朝陽ゆりね

【書籍情報】

タイトル帝城の花は鋭利な賢帝に愛される ~王女と愛の策謀戦~
著者朝陽ゆりね
イラスト緋月アイナ
レーベルフリージア文庫
価格400円
あらすじこの作品は夕霧文庫から配信中の『カノジョのハードル高すぎます!』『落ちないカノジョのウラ事情』『恋巡り ~英国貴族の新社長に甘く微笑まれて溺愛されてます~』を一冊にまとめたものです。重複購入にご注意ください。
『カノジョのハードル高すぎます!』……自他ともに認める美人のはずの里実はなぜか恋愛がうまくいかないカレシなしの28歳。今度の恋の行方はどうなる!?
『落ちないカノジョのウラ事情』……NYから帰国した信次は誰の誘いにも応じない秋穂に興味を持つ。最初は面白半分だったが次第に強く惹かれていって……
『恋巡り ~英国貴族の新社長に甘く微笑まれて溺愛されてます~』…侯爵家の御曹司である竜と英国で優雅な一週間を過ごす香織だが、ライバルから身の程知らずだと罵られてしまい……

【本文立ち読み】

ベストセレクション 朝陽ゆりね
[著]朝陽ゆりね
[イラスト]黒百合姫

もくじ

カノジョのハードル高すぎます!
落ちないカノジョのウラ事情
恋巡り ~英国貴族の新社長に甘く微笑まれて溺愛されてます~

カノジョのハードル高すぎます!

(そんな……まさか、そんなことって)
華原《かはら》里実《さとみ》、二十八歳は、送られてきたメールを凝視しつつ硬直していた。
やや明るいブラウンに染めた長い髪は、仕事に差し障らないようしっかり縛っている。癖のないサラサラヘアー、メイクはナチュラルメイク。ピンポイントで強調する手法で目元を際立たせ、自慢のパッチリした目を彩っていた。今日のスタイルはシックなグレーのスーツに深いグリーンのブラウスを合わせ、ピアス、リングもエメラルドグリーンで統一していた。
(高島《たかしま》さんが結婚だなんて!)
ランチタイム、電話当番だった里実は、誰もいない秘書室で一人パソコンに向かっていた。そこに飛び込んできたのが同期からのメッセージだ。
高島とは、里実が非常に気に入っていて、やんわりとアプローチをかけている広告宣伝部のイケメンのことだ。何度か食事にも行った仲であり、手ごたえがあった。今度こそ落とせる! という感覚を抱き始めていた矢先のこのメールだ。
『里実ちゃん、大ニュース! 広宣のイケメン高島さんが結婚するみたいよ!』
マウスを持つ手がかすかに震えている。
(私といい感じだったじゃない?)
ここ二、三か月は確かに時間が取れず会えなかったが、それでもメールを送れば早々に返事があり、里実はすっかりその気になっていた。
(だって、華原さんから誘われるなんて光栄だなぁって、嬉しそうに笑っていたじゃない! また誘ってねって! どうして?)
さらにそこに書かれている女の名前にも愕然とした。
(この子、入社二年目のフツー女じゃない!)
可もなく不可もなく、その辺にゴロゴロと転がっている石ころのような女――それが里実の印象であり、評価だ。
大学卒業までミスコンに出ては、なんらかの賞を取ってきた里実は、はっきり言って自分の美貌に自信を持っていた。
今だって、この会社の筆頭秘書を務めている。スタイルをキープするためにエステとフィットネスクラブは欠かせない。大好きなスイーツも我慢している。
給料のほとんどを美貌キープに費やしているのだ。絶えず自分を磨いている我が身が、石ころに負けるなど考えられなかった。
(な、なぜ)
悔しさよりも、疑問のほうが大きい。
(なぜ私があんな子に負けるのよ?)
そう考えるところがすでに負けているということに気づけないでいる――華原里実とはそんな女だった。

株式会社ピュアクリーンは『美と健康』を追求し、サプリメントやアロマオイルなど、それらに関するグッズや食品を販売する会社だ。そんな『美と健康』を追求する会社だけに、スタッフは男も女も健康的で美しくなければならない。特に秘書室、広報宣伝部、営業部、受付など対人業務は、かなり高い『見た目』を要求された(ただし昨今の世間の事情では、公に口に出して言うことはないが)。その一つである秘書室の筆頭秘書は誰よりも美しくあらねばならない。
里実は入社早々に秘書室配属となったが、努力に努力を重ね、半年前に念願の社長付筆頭秘書の座を勝ち取った。
もちろん誰にも媚など売っていない。正々堂々と掴み取ったのだ。それなのに地味子に負けるなど。あまりに信じられなくて、指は社内チャットアプリのアドレス帳から高島の名を選択し、メッセージを打ち込んでいる。

『結婚するって聞いたんだけど、本当なの?』

思案しながら書いた一文を何度も何度も、本当に何度も何度も読み返し、エンターボタンを押した。するとすぐに返事がきた。
(え?)
里実は表示されている文字に目を疑った。

『早いね、驚いた。そうだよ。一年つきあったし、まだ内緒なんだけど、妊娠したんだよ、彼女』

(に、妊娠? しかも、一年つきあったって!)
めまいがした。激しいめまいだった。スタート時から負けていたことを思い知らされた。
(そりゃ食事に行くだけで、エッチもなにもなかったけど……でも、そうなの? そんなの、アリなわけ? 私の勝手な思い込みだったの?)
「華原君」
(どうして? みんな、デートの約束を取ろうと申し込んでくるっていうのに、どうしてその私がフラれるわけ?)
「聞いているかい?」
(それが……よりにもよって、あんな、あんな、あんなフツー女に! 地味子に! 私が負けているのはトシだけじゃない!)
ギュッと握り拳を作り、ただ愕然とするだけだ。
(悔しいっ!)
「華原君ってば」
いつの間にか社長室とつながっているドアが開き、この会社の社長である恩田《おんだ》義男《よしお》が里実の横に立っていた。
恩田は年こそ六十歳だったが、身なりセンスのいい、バイタリティに溢れた男だった。外見はシブ系。若い頃には雑誌のモデルをしていたこともあって、立ち居振る舞いが優雅だ。人の視線に対し、どう立ち、どう微笑みかけると効果的か、実によく知っている。
実業家としても認められている上、社員からの信頼も厚い。彼のモットーは『福利厚生』と『自由発想』。この二つを重視する姿勢によって社員たちは、会社へは愛着を持ち、仕事へは自己発想の追求というモチベーションを維持していた。
また恩田は、社長も会社から見れば一社員、と言い、できることは分け隔てなく行っていた。
残業している社員がいれば声をかけて手伝い、行き詰まっている会議には積極的に出向いて助言をする。社長だけが持っている『決定権』を鶴の一声で発動すれば、みな安心してトライできた。
我々は大会社の社員ではない。社名では食ってはいけない。社員一丸となって頑張ろうと常々口にし、社員たちの信頼を集めていた。
そんな上司が横に立っていても気づかない里実は、亡霊のように青い顔をしてパソコンを睨んでいる
「おーい、華原く~ん」
「…………」
ここまで言っても里実は反応しなかった。恩田は仕方がないと言いたげに吐息をつくと、里実の背中越しにパソコンを覗き込んだ。
里実の同期から来たメール。それをさらりと流し読む。
「へぇ、高島君、林原《はやしばら》さんと結婚するのか。そりゃめでたいね」
「え?」
里実は耳元から聞こえてきた渦中の名前に反応して顔を向けると、上司の存在に気づいて飛び上がった。
「社長!」
恩田の顔には、『やっと気づいたか』という文字が浮かんでいるが、口に出して言うことはなく、社内恋愛の末、結婚に至った二人の話を続けた。
「なかなか高島君も狙いがシブいねぇ」
「……シブ、い?」
「うん」
「シブいのですか? 地味OLが? それは林原さんがシブいんですか? それとも地味OLがシブいんですか?」
思わず言ってしまった時、恩田が大声で笑いだした。
「地味OLって、華原君、なかなか厳しいねぇ。それ、けっこう暴言だよ」
鋭いツッコミを入れられ、里実はぐうっと言葉に詰まった。確かに失礼極まりない言い草だ。里実はわずかに顔を背け、右手で口を覆った。

落ちないカノジョのウラ事情

目次

第一章 落ちない女、らしい
第二章 心境の変化
第三章 落ちない女の正体と初デート
第四章 恋敵
第五章 対峙
第六章 ハッピーエンドをめざして

第一章 落ちない女、らしい

「本日、ニューヨーク支社より異動となり、着任いたしました片瀬《かたせ》信次《しんじ》です。アメリカで学んだことを生かして頑張りますので、よろしくお願いいたします」
営業開発本部の朝礼で、着任の紹介をする信次の口調は少々鼻につく感が否めなかった。
高校卒業後、アメリカのエリート大学に進学し、この大手総合商社に入社した信次は、所謂エリートだ。
それは自他ともに認めるところだが、態度に出ていることはいただけない。挨拶を聞いているスタッフたちの顔に『鬱陶しい』という感情が浮かんでいる。
とはいえ、それは男性スタッフだ。逆に女性スタッフたちは『ターゲットが来た!』と考えているようで、目が輝いている。
一七八センチの身長と、なかなか凛々しい顔立ち。優秀で外見がよく、語学も堪能、二十七歳、独身となると、女たちの乙女心は激しくくすぐられるというものだ。
挨拶を終えて席につくと、課長の下田《しもだ》が信次を改めてスタッフたちに紹介した。
最初に信次で、次は下田の手前に座る女性スタッフから順番に、自己紹介をするよう指示した。
その女性スタッフは大崎《おおさき》と名乗り、事務リーダーとして派遣社員を束ねていると述べた。大崎の次からは営業マン二人、この二人についている派遣事務スタッフ、という順に紹介され、最後に信次の事務を担当する女性スタッフになった。
信次と下田を除く十八人の営業二課員は挨拶を終えた。
「片瀬君はFチームだ。頑張ってくれよ」
「はい」
三人一組のグループをアルファベット順にチームにし、統制している。
信次の相方は岡田《おかだ》といい、信次とは一歳違いだった。さらに隣に座る派遣社員は駒沢《こまざわ》と名乗り、三十を越えた既婚者だ。
与えられた席は信次にとって非常にありがたい場所だった。
窓に背を向けて座る下田と、そのアシスタントをしている大﨑で一つの島を作り、課長席の前に六人一固まりの島が三つ並んでいる。端からAチーム。Fチームの信次は端の島で、さらにスタッフたちに向けて座ることになった。
来たばかりの信次にとって、顔を上げると課内が一望できることはありがたい。しかも自分の後ろは棚だった。誰に覗かれることもなく、落ち着いて仕事ができる。
胸の内で喜んでいると、スマートフォンが震えた。
(百合《ゆり》か)
恋人の早川《はやかわ》百合からのメッセージが着信したようだ。
百合とは教授の家で開かれたホームパーティで知りあった。
彼女の美貌と父親が経営者であることが、エリート意識、上昇志向の強い信次の心を掴んだ。百合も信次の外見や将来性を気に入ったようだ。
二人は互いに嗜好と打算によって交際を始め、今に至っていた。
信次はトイレのような顔をして何気なく立ち上がり、そのままフロアを出た。確認すると、案の定、メッセージの相手は百合だった。
(今夜六時? 着任日早々から終業時間でダッシュなんかできるかよ)
ムッとしつつ、返事を打つ。
『悪いが、今週はムリだ。週末まで待って』
送信すると返事はすぐに来た。
『もう! ホテルのレストランを予約したのに!』
信次は苦笑を浮かべると、返事をせずにポケットに入れた。
(こっちはお気楽なお嬢様じゃないんだ)
席に戻って諸々の雑務を済ませる。岡田と駒澤の三人で、仕事内容の説明を含めて打ち合わせに臨んだ。
午前中いっぱいを打ち合わせで費やす。最後のほうは大きな声では言えない内緒の話で盛り上がった。
所謂、暗黙のルール、暗黙のお約束事項というやつだ。さらにゴシップ好きの駒沢が、からかい半分にプライベートを聞いてくる。派遣社員を含め、ここは女性スタッフが多いから、狙われるというのが駒沢の言い分だった。
「そうですか? それはある意味、名誉ですよ。でも、俺、カノジョがいますからね」
「あ、そうなんですか!」
反応したのは岡田だった。
「日本人だけど、向こうで知りあったんです。もう七年くらいつきあっているかな」
「へぇ!」
「大学を出たら彼女は帰国したから、遠距離でしたけど」
「すごいなぁ~。究極の遠距離恋愛だ! 慣れ染めがアメリカだなんて、かっこいいなぁ!」
岡田は純粋に感心していた。そんな姿を見、鼻高々の信次だ。こういう反応こそが心地いい。
打ち合わせを終えてブースを出た三人は、駒沢だけが早々に席へ戻り、信次と岡田はゆっくり歩きながら会話をしていた。
「そうそう、わざわざ言わなくても気づくと思うし、片瀬さんは恋人がいるんだから不要でしょうけど、一応、耳に入れておきます。Dチームの事務担当、神谷《かみや》さんですが、彼女は裏で話題の人でね」
「話題?」
岡田はクスリと笑った。
「えぇ。モテモテなんですが、絶対落ちないんです。どんなヤツが誘っても。二人で食事に行ったりもしない。昼も含めて。だから我こそは! ってヤツらが次々と誘いにくる。でも人気なのは、その断り方なんです」
「へぇ。絶対に落ちない、ねぇ。見た感じ、普通だけどね」
「目を引くような美人でもないんですがね。でも、ホント、彼女の断り方は面白いから」
「オトコがいるからじゃないんですか?」
「自己申告では『いない』らしいですけどね。そうかもしれないですねぇ。片思い中とか」
「岡田君はどうなんです? アプローチしたんですか?」
岡田はペロリと舌を出した。
「見事、撃墜されました」
「なーんだ」
あははと笑い、信次は席についた。顔を上げると、中央の島にその神谷秋穂《あきほ》が背を向けて座っている。信次の席からは彼女がなにをやっているのか、とてもよく見えた。
「あ、そうだ、片瀬さん。今週の金曜日って、予定ありますか?」
隣に座る駒沢が話しかけてきた。
「金曜日?」
「えぇ。歓迎会をしたいんですが」
「あ、いいですよ。大丈夫です」
「じゃ、そういうことで」
それから間もなく、パソコンの社内用アプリにメッセージが届いた。二課のスタッフ全員に宛てた駒沢からのものだ。
(準備してたってことか)
早々にOKの返事を出す。送信ボタンを押して顔を上げると、秋穂の横にこの課の者ではない男が立っていることに気がついた。
「神谷さん、昼、一緒にどう? あと、一分少々でベルが鳴るから」
「お昼?」
「ご馳走するけど」
眺めていると、駒沢がそっと耳打ちをした。「一課の大塚《おおつか》君」、そう言われてチラリと駒沢を見、また視線を秋穂たちに戻した。
「今日はムリです」
「どうして?」
「会社近くのお弁当屋さん、今日のサービスが『鶏カラ・ノリ弁』なんですよ。知ってます?」
「弁当屋?」
「だからダメです」
「どうして? そんなに好きなの? 鶏カラのノリ弁」
秋穂はニコッと屈託なく笑った。
「好きは好きですけどね。でも、そうじゃないんです。お弁当の具の王様である『鶏カラ』と、『ノリ弁』を合わせてるんですよ? 王道と王道。こんなコラボを日替わりサービスにしちゃったら、次はどんな手を打つんだ! って思いません? だからちゃんとチェックしておかないと。そういうわけで、今日は『鶏カラ・ノリ弁』に全力を投入するのでダメです」
「でもさぁ」
「朝から口が『鶏カラ・ノリ弁』になっているし、心は気合い入りまくりで、絶対ムリ。ここで妥協したら一生悔います」
大塚は困ったように微笑み、こめかみ辺りをポリポリ掻きながら「じゃ、仕方ないね」とこぼした。
「明日はどう?」
「明日?」
「うん、明日はダメ?」
「あー、まぁ、今日じゃなければ」
「ホント? じゃ、明日、時間になったら誘いに来るよ」
秋穂はまたしてもニコッと微笑んだ。間もなく昼を示すベルが鳴った。
大塚はうれしそうにしつつ、立ち去った。秋穂は大塚を見送ると、机から紙の手提げ袋を取り出し、立ち上がった。
(すごい撃退の仕方だなぁ)
信次の斜め前に座るEチームの事務担当、横溝《よこみぞ》が駒沢に向かって話しかけた。
「神谷さん、相変わらずよねぇ。お弁当なのにさぁ。お弁当屋の『鶏カラ』って、コケそうになったわ、私」
その会話に信次は驚いて顔を向けた。横溝は信次の反応に気づき、うん、と頷いてみせた。
「見つからないように屋上でお弁当食べてますよ、一人で。ブースで食べりゃいいのにって言ったんだけど、屋上がいいんですって」
「それに明日、彼女、休みなのよ」
今度は駒沢が答える。信次はますます目を丸くした。
「せっかく誘ってくれてるのにねぇ」
「今更、イヤなんじゃない? 男ども、すでにゲーム感覚でしょ。落ちたって騒がれるのもウザいと思うし。その気持ちは確かにわかるわ。本気かどうかわからないって、ある意味ひどい話だしね」
彼女たちの話を聞きながら、信次はどうして秋穂がこんなにモテモテなのか、ますます疑問に感じたのだった。

恋巡り ~英国貴族の新社長に甘く微笑まれて溺愛されてます~

目次

第一章 新社長は英国貴族
第二章 パワースポットで祈願を
第三章 タマコさんの正体
第四章 場違いなヒロイン
第五章 恋は実るもの

 

第一章 新社長は英国貴族

その瞬間、社内は騒然となった。私も驚いて目を見開いた一人。
一番広い会議室に召集された私たち『ベリーズライン日本法人』のスタッフは、社長がいきなり交代すると告げられ、現社長の挨拶を聞き、たった今、新しい社長を紹介された。
「早乙女《さおとめ》竜《りゅう》です。ご存じの通り、MBAを取ってまだ数年で、理論で経営を考える状態です。これからは実践の中で、経営とはなんたるかを学んでいこうと思います。未熟者ですが、責務を果たすべく全力を尽くします。どうぞよろしく」
拍手が起こる。私も手を叩く。
だけど……頭の中ではいろんなことが巡っていた。
ベリーズラインはロンドンを拠点とするファッションブランド。オーナーは英国貴族のハワード侯爵。現CEOのシュン・S・ハワード氏は、本名、早乙女隼《しゅん》という純粋な日本人だけど、ハワード侯爵に見込まれてマーガレット夫人と結婚した人。そのマーガレット夫人は我が社のデザイナーでもある。
私の記憶では、息子の名前はリュウ・ジャック・ハワードだったはず。サオトメリュウって……どういうこと? 日本にいる間は父親の姓を名乗るってこと?
挨拶を終えると解散になり、自席へと向かう。
そこで改めて社長の挨拶を聞くことになった。社長室に集まったのは秘書室スタッフの六人。そう、私は入社二年の下っ端秘書だった。
改めて至近距離にて社長を見る。
ロンドン本社が発信しているWebサイトで何度か紹介されていたから顔は知っていたのだけど、写真と実物は別人のように違っていた。
なんというか……無愛想?
あ、いやいや、見惚れるくらいかっこいいのよ。ウットリするくらい整った顔なのだけど、目つきが鋭いというか。
「本名はリュウ・ジャック・ハワードですが、郷に入れば郷に従え、日本の文化をこの身で感じつつ働こうと思って、父方の名前で参ります。早乙女竜として働きますので、そのようにお願いします」
改めて聞いても完璧な日本語だ。
日本へは旅行程度でしか来たことがないと聞いていたけど。
秘書室員全員で頭を下げる。続けて永田《ながた》室長が自己紹介を促した。先輩方の挨拶を聞きながら、自分の挨拶を素早く考える。そして私の順番が回ってきた。
「三澄《みすみ》香織《かおり》と申します。入社二年の未熟者ですが、よろしくお願いいたします」
やはり簡素なのが一番いい……とか思ったけれど、当の社長はスタッフの挨拶などどうでもよさそうな表情で、私が終わるとみんなに「よろしく」と言って、顔を背けてしまった。
あら? なんだか、その……やっぱり、無愛想?
永田室長に促され、私たちは秘書室に戻った。
先輩方が雑談を交わし始める。もちろん新しい社長の話題。下っ端の私は先輩相手に相槌を打ちながら仕事に取りかかった。
そう、仕事、仕事。どんなに社長がイケメンで御曹司でも、私の仕事が減るわけではない。それに私如きがお近づきになどなれるはずがないもの。
それからすぐにお昼を示すメロディが流れた。すぐにというのは語弊があるかな。集中していたから、あっという間だったのだ。だっていきなりの社長交代劇に、入っていたアポの変更と、新旧それぞれの社長の挨拶回りのアポ取り、これら全部、下っ端の私の仕事なんだから。
ランチはいつも利用しているパスタ専門店に入った。ここはオフィスビルの中にあるので移動も楽だから。
「素敵よねぇ~」
同期で友人の石川《いしかわ》愛美《まなみ》がウットリしたような表情でそう言った。
主語がなかったけど、誰のことを言っているのかくらいわかる。
確かに素敵だと思う。私もそう思う。不愛想だけど。
英国貴族のお家柄である新社長、早乙女竜様のことだ。
身長はおそらく一八〇センチを超えているかな、と思う。残念ながら、私の周囲には長身と分類される比較対象が少ないから正確にはわからないけど。
明るいブラウンの髪の毛。軽くウェーブがかかっているのか、見るからにふわふわで、手触りよさそうとか思ったりして。
立ち姿が優雅だった。これが英国貴族、英国紳士なのかとつくづく。
そこにいるだけでその場の空気を変えてしまうような優美さ。後光が差しているとまではさすがに言わないけど、気軽に近づけない感じがする。
気品って、こういうことを言うんだ……みたいな。
着ていたスーツも光沢があって、滑らかそうな生地や落ち着いた色味から、素人が見ても高価だとわかる。今どきの日本の若者はダブルのスーツなんて着ないよーと言いたいものの、社長が着るとこれから流行りそうな気がするくらいだ。
そしてもっとも女性スタッフの心を鷲掴みにしているのは、甘いマスクだろう。
頬から顎にかけたシャープなライン。彫が深く鼻が高い、鼻筋が通っている。日本人とイギリス人の血を受け継ぐダブルの顔立ちは神秘的で、吸い込まれそうなほど澄んだ青い瞳は宝石みたい。
「香織、いいなぁ」
「なにが?」
「秘書室」
愛美は総務だもんね。でもね、社長がどんなにイケメンであっても、私はお近づきになりたいとか思ってないから。手の届かない人に恋をするのは悲しすぎるじゃない。
それに私は急いでいるのよ。結婚を。
「羨ましすぎる」
はいはい、そうでしょうとも。
「だけど、あの人、本店じゃ無愛想で有名だそうだよ」
ふいに隣から声がした。
横の席に人事部の近藤《こんどう》主任と、彼の同期で営業の西岡《にしおか》主任が座っていた。
この二人もなかなかのイケメンだけど、残念ながら既婚者で、西岡主任には先月生まれたばかりの愛娘がいる。ということで、恋愛対象外。
「ホントですか?」
近藤、西岡、両主任は頷いた。
「CEOが『隼』って書いてシュン、だろ。新社長もリュウは『竜』だって言ってるそうなんだ。向こうのスタッフたちはそれをもじって『ドラゴン』って呼んでいる。東洋じゃ『竜』は神だけど、西洋じゃ魔物だからな」
「悪く言われてるんだ。なんかショック! ねぇ、香織、思わない?」
愛美ってば、すっかり社長のファンだな。
「さすが貴族の家系だから、身のこなしや礼儀作法は完璧らしいが、無愛想で人つきあいが悪く、特に女性はあまり好きじゃないみたいだ」
「それって同性が好きって意味ですか?」
「さぁ、そこまでは。でも、必要以上に女性スタッフを置かないし、パーティなんかの出席も最低限らしい。決まった人がいるのかもね。まぁ、いてもおかしくないし」
確か、社長って三十歳だったはず。確かにいてもおかしくない。
「残念~」
愛美の能天気な声が小さく響いた。
続きは製品でお楽しみください

 

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