冥府の王は恋を謳う4 人知れぬ涙

【書籍情報】

タイトル冥府の王は恋を謳う4 人知れぬ涙
著者桧崎マオ
イラストみずききょうや
レーベルフリージア文庫
価格300円+税
あらすじ20年前のクーデターによって王政から軍事力に依る独裁政権となった欧州の小国、ブルーメンタール共和国。
共和国総統の子息にして、共和国軍総司令官のユリウス・アドラー元帥の来日にあたり、新米通訳者の四ノ宮歌恋は破格の待遇で雇われることに――シリーズ第四巻

【本文立ち読み】

冥府の王は恋を謳う4 人知れぬ涙

[著]桧崎マオ
[イラスト]みずききょうや

目次

冥府の王は恋を謳う4 人知れぬ涙

打ち合わせを兼ねた夕食の席が解散し、今日一日の仕事が終わる。ブルーメンタール共和国軍総司令官、ユリウス・アドラー元帥の下に通訳として派遣されて、今日でやっと二日目が終わった───宛がわれた自室に戻った四ノ宮《しのみや》歌恋《かれん》は、皺になるのも構わず安物のリクルートスーツを身に着けたままドサリと盛大な音をたててベッドの上に倒れ込む。
昼間の立ち聞きについて、気まずい気持ちを抱えたまま夕食の席に出た歌恋であったが、ユリウスも、その副官であるヴィンクラーもそれについて言及することはなく、桐島千咲からの、いつものお小言もなかった。もっとも桐島の場合は立ち聞きの件を知らない可能性が高かったが、何にせよ、この事実の黙殺は歌恋にとっては叱責を受けるよりも堪えたし、非常に居心地悪い一時であったことには変わりない。
だが、そんな針の筵のような食卓でも少しだけ歌恋の心が晴れることもあった。ユリウス・アドラーの食事をしながらの仕事と、その多忙ぶりは相変わらずのものではあったが、これまで少しばかりのパンとサラダ、後はコーヒーばかりの食事であったのが、今日の夕食からはコンソメスープとライ麦パン《ロッゲンブロート》にレーバケーゼ《ソーセージ》を挟んだサンドイッチに自ら手を付けていたのである。それに気付いた歌恋の嬉しそうな眼差しと、ふと上げたユリウスの視線とがかち合う。もっとも差し向かいの席で隻眼の元帥は、その精悍な唇を微苦笑に象らせてはいたのだが───。
……ぐぅ、きゅるるる。
不意に盛大な音をたてて鳴った胃袋に、歌恋は慌てて鳩尾の辺りを両手で押さえた。
元三ツ星シェフ、そして駐在武官であるエーレンベルグ大佐から聞きかじっただけながら、元ブルーメンタール国王専属シェフという経歴だけあって、リーヴィヒの日に三度饗されるブルーメンタールの伝統料理には非の打ち所がなく、格式張ったものから温かみのある家庭料理風のもの、そして他国の料理のエッセンスを取り入れたアレンジ料理に至るまで彼の技術が惜しみなく発揮されており、文句なしに美味しいのだが───二日目の夕食を数える先程から歌恋の心はぽっかりとして、どこか空腹が満たされない。
その理由は、解っている。歌恋は切なげな溜息とともにベッドの上で、ころりと仰向けに寝返りを打った。
「……梅干しのおにぎり、食べたいなあ。豆腐の味噌汁とか、鰺の開きとかー。卵かけごはんに刻んだオクラとおかか乗せてー……」
そもそも、今日の午後にコンビニに行く予定を立てていたのは、ちょっとした息抜きのつもりだった。おにぎりとインスタントのカップ味噌汁、揚げたての鶏唐揚げを買って、ついでにコンビニスイーツの新商品と、期間限定スナック菓子のチェック───などと呑気に考えていたのが、同行することになっていたニコラウス・バルテル少将の思いも依らない正体に遠慮をして、勢い、外出そのものを取り消したことを歌恋は今更ながらに激しく後悔していた。
……まさか、こんなにも米、味噌、醤油が恋しくなるなんて……っ!
「コンビニくらい、簡単に行けると思ってたんだけどなぁ」
外出の度にバルテルが付き添ってくれるのは、そういうきまりにでもなっているのか、それとも最初にホテルの前で荷物を引き上げてくれた時のように親切心からなのか。だが、ああやって外出を取り消した手前、今更バルテルには言いづらいし、何より、共和国憲兵隊副総監という肩書きの『偉い人』に些細なことで───荷物を運ばせたり、どの靴を買うかで迷っていたのを、どれが似合うかを訊いて困らせたり、ドーナツ屋ではしゃいだり、転んだ所を起こして貰ったりと───これ以上迷惑をかけたくはなかった。
二週間とはいえ、ブルーメンタール共和国という国家の中枢に関わるのだから厳しくて当たり前と、ベテラン通訳者の桐島ならそう言うだろうが、今回の仕事は予想以上に窮屈な上に食べ物のことまで加わって、さすがに歌恋は閉口していた。
「ヴィンクラー少将に外出の許可を貰いに行こうかなー」
再び俯せに寝返りを打ちながら、もうひとり、外出の申請が出来る人物の名前を口にはしたものの歌恋はサボンの匂いのするリネンのシーツに顔を埋めて再び溜息をついた。こちらはこちらで昼間の立ち聞きの件があって顔を合わせづらい。
エルネスト・ヴィンクラー少将は、ユリウス・アドラー元帥の士官学校時代からの親友にして、二〇年前のクーデターの際にはいち早くアドラー親子に忠誠を誓った腹心の部下であることは歌恋も聞き知ってはいることだ。
(フロイライン・シノミヤ。このような処で何をされているのですか)
だが、あの時。ドアの外で部屋の様子を伺っていた歌恋に向けられた冷徹な声音と剣呑な光を帯びた銀灰色の瞳───物腰柔らかく、小学校の教師のように温和なヴィンクラーしか知らなかった歌恋にとって、それは初めて見る軍人としての彼の顔であり、ユリウスに仇為す者は誰であろうとすべて排除する、危険な忠誠心に満ちたものであった。
……あんな怖い顔する人なんだ……。
暫く迷っていた歌恋であったが、再び腹の虫が、ぎゅうと派手な鳴き声を上げた。背に腹は代えられない。考え倦ねた末に結局、歌恋は連絡用にと教えて貰っていたヴィンクラーの内線番号を押したのである。

 

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