【書籍情報】
タイトル | 冥府の王は恋を謳う5 フォルトゥナの見えざる手 |
著者 | 桧崎マオ |
イラスト | みずききょうや |
レーベル | フリージア文庫 |
価格 | 300円+税 |
あらすじ | 20年前のクーデターによって王政から軍事力に依る独裁政権となった欧州の小国、ブルーメンタール共和国。 共和国総統の子息にして、共和国軍総司令官のユリウス・アドラー元帥の来日にあたり、新米通訳者の四ノ宮歌恋は破格の待遇で雇われることに――。 ユリウス・アドラー暗殺計画勃発! 敵の罠と知りながら敢えて渦中に飛び込んだユリウスの前に意外な人物が首謀者として現れる。「ようこそ、ブルーメンタール大使館へ……ユリウス・アドラー元帥閣下」───時を同じくして異変を知らない四ノ宮歌恋も、そして計画に与る四ノ宮檀もまた大使館へと向かっていた。風雲急を告げるシリーズ第5巻! |
【本文立ち読み】
冥府の王は恋を謳う5 フォルトゥナの見えざる手
[著]桧崎マオ
[イラスト]みずききょうや
目次
冥府の王は恋を謳う5 フォルトゥナの見えざる手
「ブルーメンタール大使館に行くのは、またの機会にすればいいでしょう。アドラー閣下は遊びに行ったわけじゃないんだし」
通訳者用に宛がわれたデラックスルームで桐島千咲は四ノ宮歌恋を、そう窘めた。つい一刻ほど前、ユリウス・アドラー元帥が副官のヴィンクラー少将を伴って外出をする、その姿がエレベーターのドアの向こうに消えるのを見送った後も、歌恋は、すっかり悄気返った様子で、未練ありげにエレベーターホールに暫し立ち尽くしていたのである。
ユリウスとヴィンクラーの帰着予定は夕方となっていたが、それまでフリーとなったふたりの通訳者はそれぞれの時間を過ごすことになった。歌恋は明日から連日で控えているユリウスと日本企業とのプラチナ取引に関する会合に備えて、基礎知識や専門用語の勉強に宛てるつもりでいたが、桐島は外出をするようだ。整頓した机の上に置いた、シンプルなデザインのルイ・ヴィトンのショルダーバッグにVOGUE誌を仕舞い込んでいる。
やっぱり様になってるなあ、と。今日はマニッシュな仕立ての、濃グレイのパンツスーツに、すらりとした長身を包んだ桐島の犀利な横顔を、羨望と憧れの入り混じった眼差しで見つめながら、歌恋はぼんやりとそんなことを考えている。
「桐島さん、お出かけされるんですか?」
「ええ、今日は丸一日予定も空いたし、せっかくだから息抜きも兼ねて買い物にね」
腕時計を見遣りながら、昼食を摂って二時頃には帰ってくる予定だと告げる桐島であったが、一緒について行きたそうな顔をしている歌恋の眼差しに気付くと、何やら面倒な事を言い出そうとするのに先んじて、ぴしゃりと言い放つ。
「たまには貴女のお守りから解放して貰えないかしら」
突き放すように歌恋を一瞥した桐島がバッグを肩に掛けたタイミングで、ユリウスの執務室と通訳者の控室を繋ぐ通路のドアが解錠される電子音が聞こえてくる。やがてふたりのいるリビングに姿を見せたのは、玄武岩のように謹厳で重厚な佇まいのニコラウス・バルテル少将であった。歌恋はすっかり得心した様子で桐島に問い掛ける。
「桐島さんの外出の付き添いはバルテル少将ですか?」
「……バルテル少将が付き添い?」
桐島は綺麗に描かれた柳眉を顰めた。
「申請はバルテル少将にしたけど、外出は私一人よ。貴女何を言っているの」
「えっ、だって……」
自分の時はバルテル少将か、昨夜に至ってはアドラー閣下まで付いてきたのに、と。言いかけて歌恋は咄嗟に言葉を呑み込んだ。どうやらこの様子では桐島千咲は、昨夜、歌恋とユリウスがコンビニに行った件は知らないようであったし、ここで余計なことを言って、薮を突くような真似はしたくなかった。また、怒られるかもしれない。
「えっと、何でもないです。私の勘違いです」
「………」
両手を振って慌てて愛想笑いを浮かべる歌恋を桐島は怪訝そうに睥睨する。気まずい空気が一瞬流れるものの、「まぁいいわ」と言葉を残して、ベテラン通訳者は踵を返した。
出掛けていく桐島が玄関ドアを閉める微かな音を聞きながら、後には歌恋と、そしてふたりの通訳者の女性が異国の言葉で会話を交わす間も寡黙に控えていたバルテルが残された。ブルーメンタールの公用語であるドイツ語を紡ぐ低い声音が歌恋に問いを向ける。
「貴女は、今日は出掛けられないのですか」
「今日は特に用事はないですから、明日からのお仕事の準備をしようと思います。部屋に戻ってもいいんですけど、お仕事の時間内だし、それも良くないなあと思って」
眉根を寄せ、少し困ったような笑顔をバルテルに向けながら、肩を竦めてみせると歌恋は自分の席に着いて、テーブルの上に置かれた明日の会議の資料と分厚い専門の辞書を手繰り寄せた。その真剣な横顔を一瞥しながら、バルテルも少し離れた所にある応接用のソファに静かに腰を下ろすと、腕を組み、沈思する。考えるのは、この四ノ宮歌恋という少女のことだ。今日もユリウス・アドラー元帥からは、彼女から目を離すなとだけ命令を受けている。
彼女は、今回のアドラー閣下の目的の囮なのだろう───。
長らく憲兵隊に所属し、これまで様々な政治犯や王党派の人間を数多見てきたバルテルであったが、その経験から歌恋について言えることは、彼女には秘密めいた後ろ暗さも、罪の翳りも欠片ほども感じられないということであった。
だが、彼女の周囲にいる『ある人物』は、違う。一度だけ遠目に見掛けた、ブルーメンタール軍属の所作を持つ男───四ノ宮歌恋の叔父、四ノ宮檀なる男だ。彼の存在を探って、バルテルは密かに本国の憲兵局に照会をかけた。過去の軍属者リストを洗い出させたのである。そして一人だけ、マユミという名前を持つ人物を探し当てることができた。
ザーシャ・マユミ・リンデンベルグ。最終階級は大尉、ブルーメンタール公国国王親衛隊隊長───二〇年前、ディートリッヒ総統とユリウス元帥の起こしたクーデターの際、マリカ王妃とカレリナ・イングリート王女とともに日本に向けて逃亡し、共に行方不明、そのまま死亡したとされている日系人の男であった。
本国からのメール報告にバルテルは眉を顰めた。脳裏に真っ先に過ぎったのは、現在、本国で流布しているカレリナ王女の生存説だ。
それはこの二〇年の間、ブルーメンタールに定期的に何度も流れてきた噂であった。噂を元に海外の三流メディアが憲兵局に訪れては、取材と称してセンセーショナルかつ安っぽい悲劇仕立てに囃し、また、金目当ての手の込んだカレリナ王女の偽物が何人も現れ、バルテル自身もそう言ったメディアの対応や偽王女を尋問したこともあり、辟易とさせられたものだ。
今回の噂も、もう何度目のものなのかは解らない。二〇年も経っているのだし、カレリナ王女は既に亡くなったものと考えるのが自然だろう。だが、王女の生死の実際などは噂を流す者達にとっては『どうでもいいこと』なのだ。出所はイギリスにあるブルーメンタール大公家という情報もあり、ユリウスの父でもあるディートリッヒ総統が療養中であることから、揺さぶりを仕掛けてきたのは明らかであった。
もし、リンデンベルグ大尉が四ノ宮檀として生きていて、それが大公家と繋がりを持ち、元国王親衛隊長の立場を利用して王党派と呼ばれる輩をブルーメンタール国外から指嗾しているのだとしたら───ユリウス・アドラー元帥の、今回の急な訪日の裏は王党派の完全なる駆逐かとバルテルは推測している。
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【シリーズ一覧】
冥府の王は恋を謳う1王の眼を持つ者
冥府の王は恋を謳う2 王女の庭園