沈黙のお茶会

 


【書籍情報】

タイトル沈黙のお茶会
著者猫宮乾
イラスト雛尾あきら
レーベルフリチラリア文庫
価格600円+税
あらすじ父没後、母が叔父との熱愛により、『俺が次期侯爵のはずじゃなかったのか?』となってしまった国王陛下の雑用係(直属部隊の隊長二十三歳)の受難の日々。
宰相×雑用係魔術師、異世界ファンタジーBL小説です。

【本文立ち読み】

【序】日常

俺は、レンドリアバーツ侯爵家の長子として生を受けた。
以来、今年、二十三歳になるまでの間、当主教育をされて生きてきた。
――完。
話が終わってしまう。というよりも、俺の人生がある意味、終わりかけているのだったりする。正確には『完』というよりも、俺の現状は『詰んでいる』に等しい。
これは、そうなる前の平穏な頃の記憶だ。

宮廷の、回廊――。
穏やかな陽射しが、木漏れ日となって降り注いでいる庭。
自然のままに見えて、そう計算されるように庭師が構築した緑の世界を、俺は一瞥した。細い木の枝に、小鳥が停まっている。
俺が初めて登城したその日も、あの小鳥がいた。黄緑色の、小さな鳥だ。
春になると、いつもあの大きな緑の木には、似た小鳥がいる。
本来、貴族はあまり働かない。
だが、俺の生まれたレンドリアバーツ侯爵家では、働く事が推奨されている。俺も、ヴェルガ父上に、幼少時よりそう教育され、いつかは宮廷で働くようにと言われていた。ただ、父は武力に自信があり、現在も騎士団で将軍の地位にあるが、俺は腕力はあまり無いし、どちらかといえば武術よりも魔術、もっと言うと外での実戦よりも座って出来る仕事の方が好きだったから、文官側の道を志した。
結果として、十八歳より、俺はこの王宮で働いている。コネ採用だったけどな。その後何度か移動があって、現在では――国王陛下の直轄部隊エンブリオに所属している。現隊長は高齢で、引退の噂が囁かれている。非常に厳しい人であるから、俺は何度も叱られて泣いた。そんな時、この庭に来て、あの小鳥を眺めると、少しだけ気が楽になった。
「今年も、また春が来たんだなぁ」
思わず両頬を持ち上げる。もうすぐ俺は、二十歳になる。この国では、二十歳で成人する。俺の誕生日には、生家であるレンドリアバーツ侯爵家において、夜会が開かれる事が決まっている。もう、宮廷に仕え始めてから、二年の日々が経過していた。
四季があるこのエステリーゼ王国において、俺の日常は緩慢に流れている。
「何を見ているんだ?」
その時、不意に後ろから声をかけられて、俺は短く息を飲んだ。目を丸くしてから、その声の持ち主を、脳裏で『検索』する。魔術で、『記憶貯蔵庫(データベース)』に放り込んだ情報を引き出す手法は、魔術師の多くが最初に学ばせられる技能だ。これが中々重宝していて、宮廷内の要人の顔や、貴族としての夜会での交流等でも有用だったりする。
「え、っと……」
聞き覚えのある声に、俺は振り返る前、それこそ検索が終わる前に、相手の名前を想起して、緊張した。話した事は一度も無いが、よく知る声の持ち主――宰相閣下だと、俺はすぐに判断する。唾液を嚥下してから、ゆっくりと振り返る。
するとそこにはやはり、この国の現宰相……イルゼラード=クロス宰相閣下の姿があった。艶やかな黒髪が、日に透けて紫色に見える。宮廷中の人間が、冷血宰相と噂する宰相閣下の姿に、慌てて俺は頭を垂れた。まだ二十五歳で、宰相職に就くには非常に若いのだが、歴史あるクロス侯爵家の後継者にして、実力あるイルゼラード様には、誰も逆らう事が出来ない、らしい。そんな知識だけは、俺にもあった。
「そう畏まらないでくれ」
思ったよりも穏やかな声音が降ってきたから、俺は慌てて顔を上げる。
それから、髪と同色の彼の瞳を見上げた。長身の宰相閣下は、俺を見下ろしている。
「――あの木に、何かあるのか?」
「え?」
「木の向こうに、俺の執務室がある。度々そこから、レンドリアバーツ伯爵の姿が見えて、ずっと気になっていたんだ」
俺は侯爵家の嫡子で、生まれた時から、伯爵位を所持している。その為、現レンドリアバーツ伯爵は、俺と叔父だ。侯爵家の領地内に、さらに伯爵領が二つある形だ。なお俺はいつかは、侯爵位を継ぐ予定である。俺は木……というより小鳥ばかり意識していたから、そんな自分の姿を誰かに目撃されているとは、考えてもいなかった。
「あ、の……小鳥が来るので……」
「鳥? ああ、確かに停まっているな」
宰相閣下はそう述べると、俺の横から木の方角へと視線を投げた。それから、不意に微苦笑した。
「俺を見ていれば良いものをと思っていたんだが」
「え?」
「そうか、これは強力なライバルが現れてしまったな。そうか、鳥、か」
宰相閣下の言葉の意味が分からなくて、俺は首を傾げる。しかし宰相閣下は、どこか楽しげに、喉で笑うだけだ。そもそも、宮廷には沢山の人がいるから、俺個人の名を、宰相閣下が覚えていた事すら意外でならない。宰相閣下が魔術を使うとは聞いた事が無い。
「――レンドリアバーツ侯爵家から、リュクスの生誕祭の招待状が届いていた」
リュクス=レンドリアバーツは、俺の名前だ。侯爵家同士、付き合いがあるから、礼儀として執事が送付したのだろう。俺は急いで頬を持ち上げた。
「ご多忙と存じますが、宜しければお越し下さい」
「時間は作り出すものだ。特に――リュクスとの時間となるならば」
宰相閣下も冗談を言うのだなぁと思って、俺は吹き出す。俺と宰相閣下が個人的に言葉を交わしたのは今が初めてだというのに、これではまるで、親密な間柄みたいではないか。俺を口説いて遊ぶつもりなのかもしれない。
「誰が、冷血宰相なんて噂したんだか……タラシだ」
クスクスと俺は笑った。人の噂は、あてにはならない。この国では、同性婚制度も強く根付いているから、男同士であってもこういうやりとりは珍しくはない。ただの社交辞令だ。
「俺は本心を述べただけだ。いつも窓から、リュクスの姿を探していて、今も見つけて、慌てて走ってきたんだ。初めて間に合った」
「どうして俺を探して?」
「……それ、は……その……」
宰相閣下が急に口ごもった。純粋に疑問に思っていたから俺は首を傾げる。
「――惹かれたからだ」
この日、そう述べると、宰相閣下は足早に歩き去った。何処までも遠く伸びているように見える石造りの回廊。そこを颯爽と歩く宰相閣下の背を、俺は暫し眺めていた。
「?」
何を言われたのかよく分からなかった。
宰相閣下は木が好きなのだろうか?
この時は、漠然とそんな事を思った。

シャンデリアの灯りが、レンドリアバーツ侯爵家の大広間を照らし出している。続々と馬車が集まってくる。厳格な父は働く事こそ推奨するが、代わりに貴族らしい夜会といった社交の場には、それほど顔を出さなくて良い判断しているらしく、あまり我が家では開催されないので、俺はほとんど経験が無い。どちらかと言えば、社交はサラ母上とルカス叔父上の特技だ。ルカス叔父上は、俺を可愛がってくれる父方の叔父だ。
油絵が飾られ、彫像が並んでいる。いくつもの花が生けられていて、燭台が輝いている。入場してくる人々を見て、貴族らしい服を久々に纏っていた俺は、細く長く吐息した。
「リュクス」
その時、声をかけられたので顔を上げると、叔父上が俺の前に立った所だった。柔らかな微笑を浮かべた叔父は、優しく俺の肩に手を置いた。
「誕生日おめでとう」
「有難うございます、ルカス叔父上」
「大きくなったね。立派になって、誇らしいよ」
小さい頃から、叔父は俺を沢山可愛がってくれた。照れくさくなって、俺は頬を持ち上げる。父の弟だが、叔父上と父上は全然似ていない。似ているのは髪色だろうか? だがそれは俺も同じ金髪だ。
カツンと、その時靴の踵の音が響いた。俺と叔父が揃って視線を向けると、そこには宰相閣下の姿があった。本当に来たんだなぁ、と、そちらを見やる。
「お招き感謝する」
「これはこれは宰相閣下」
叔父がそつなく挨拶を始めた隣で、俺は目を丸くしていた。多忙で欠席するはずだとどこかで思っていたから、本当にびっくりしていたのだったりする。
二人は俺の誕生日と成人を祝ってくれているのだが、挟む言葉が見つからない。
別段俺は会話が苦手というわけではないが、かと言って社交的でもない。なのでその場を見守っていると、不意に宰相閣下が俺を見た。
「リュクス、祝いの品だ。良かったら受け取ってもらえないか?」
「あ、有難うございます!」
慌てて俺は、差し出された箱に手を伸ばした。
返礼品は後日送るのが作法だ。そして贈り物は、この国では一般的には、その場では開封しない。
「開けて欲しい」
その為、続いた宰相閣下の言葉に驚いた。良いのだろうかと尋ねるように叔父を見れば、微笑している。
「宰相閣下がお望みなのだから、開けても良いんじゃんじゃないかな?」
「は、はい」
俺は頷き、リボンがかけられた布張りの箱を見た。紐を解いて、静かに蓋を開ける。中には、香水瓶が入っていた。
「特別に調合させた品だ」
「――? 有難うございます」
香水をつける貴族は多い。ただ、俺はあまりこれまで、気にした事が無かった。だから普通に受け取ったのだが、俺の隣で叔父が咽せた。
「さ、宰相閣下……香水は、非常に親しい相手に贈る品だと存じますが……?」
「そうだな。あるいはそうなりたい相手に」
「……ええと、リュクスとは、『そういう?』」
「気に入ってもらえると良いのだが」
「自分の好みあるいは相手に似合うと感じる品をつけさせたいと望むのは、その……」
叔父と宰相閣下がやりとりしている。漠然とそちらを見れば、叔父は驚愕したように目を見開き、完全に動揺していて、いつものような優しげで落ち着いた笑みが見えない。笑顔が完全に引きつっている。
一方の宰相閣下は、俺の手元の香水瓶を見たまま、冷静に返答していた。こちらにはいつも通りの余裕しか見えない。
「執務の合間で、抜けてきたんだ。名残惜しいが、失礼する」
宰相閣下はそう述べると、最後にまた俺を見た。そして、口元を綻ばせた。
「良かったら、使って欲しい」
「有難うございます……?」
何故叔父がこんなにも動揺しているのか分からなかったが、俺は頷いた。
そうして帰って行く宰相閣下を見送った。
その姿が見えなくなった時、叔父に強く肩を掴まれた。
「宰相閣下とお付き合いしているのかい?」
「直接個人的にお話するのは今日が二度目で……まぁ、同じ宮廷で働いているから仕事上では付き合いがあると言っても良いのかな?」
「香水を頂くようなお付き合いという事で良いのかい?」
「ん?」
「一般的に香水は、求愛時や恋人に贈る品なんだよ……! 確かにリュクスは美人で可愛いけれども! リュクスは侯爵家の跡取りなのだし……その……――私も叶わない恋をしているから、その辛さは分かるけれど、でもね……」
叔父が早口で述べた。
……恋? 俺は首を捻るしかない。なお、確かに叔父は結婚はしていない。何でも、どうしても好きな相手を忘れられないから、政略的な結婚などであっても考えられないと、断っているらしく、よく俺の両親が心配している。
ちなみに同性婚が根付いている事もあり、この国の爵位保持形態は少々変わっている。
基本的には、直系の男子が相続するのだが、仮に爵位保持者が没した場合は、配偶者の女性が代理で爵位を引き継ぐ。
子がすぐに継承する事は無い。直系の嫡男がいない場合は、ご令嬢が爵位を引き継ぐ。
最初から女性が爵位を継承していた場合は、夫の男性が配偶者の没時には爵位を受け継ぐ。
なお、それらはあくまで代理なので、再婚などがあれば、話し合いと国王陛下の許可のもとに、やはり子ではなく片側が正式に爵位を保持する形となる。
男女同権、同性同士も同権、それを志しているのがこの国だ。大陸全土でも新しい。また、子よりも配偶者に優先して爵位が継承されるし、代理でなくとも、例えば侯爵の妻は侯爵同等という扱いを受ける事になっている。子が爵位を継承するのは、前代が自主的に引退した場合か、両親が揃って没した時のみだ。現在は、直系男子の相続でなく、性別関係なく第一子が相続する案なども話し合われていると王宮で聞いた事がある。
その後、俺の父と母が会場に入ってきた為、そこで俺と叔父の話は終わった。

国王陛下の直轄部隊であるエンブリオ――要するに俺の仕事の上司である隊長が、引退すると正式決定したのは、その年の秋の事だった。後任は誰になるのだろうかと漠然と考えていた俺の元に、国王陛下から呼び出しがあったのは、そんなある日の事だった。
慌てて謁見の間へと向かうと、第三十二代エステリーゼ王国の国王であらせられる、ミスラ=ルア=エステリーゼ陛下が玉座にいた。数段高い場所の、濃紺の絨毯の上に玉座はある。膝を突いて、俺が頭を垂れていると、陛下から声がかかった。
「面を上げよ」
「御意」
「次期隊長に任命する」
「――はい……はい?」
直轄部隊に所属しているとは言え、ほとんど国王陛下とは話した事も無く萎縮し緊張していた俺は、唐突に放たれた言葉に、思わず聞き返してしまった。
「そなたが適任だと判断した。以後、余の呼び出しには、何を捨て置いても出向くように」
「……」
「返事は?」
「は、はい!」
呆然とするしかなかったが、この日俺は、急な辞令を受けた。
驚愕したままこの日を過ごし帰宅すると、本日は父が早く戻っていた。
「よくやったな。それでこそレンドリアバーツ侯爵家の次期当主である」
珍しく父が俺を褒めた。そこに来て、漸く実感がわいて、俺は嬉しくなった。母も喜んでくれたし、数日後には、叔父から祝いの品も届いた。
まさに、順風満帆。
俺は、こんな風に毎日が続くと疑っていなかった。
「心配なのは、陛下からの呼び出しだなぁ……緊張する」
そう考えながら眠りに就いた翌日――早速、国王陛下に呼び出された。伝令役の近衛騎士に聞いた場所は、謁見の間ではなくて、王宮の庭。そこで陛下が茶会をしているから、ご用件を聞きに行くようにと言う内容が、先程俺にもたらされた。
春になると俺が小鳥を見る庭からも通じている。周囲の木々は色づいていた。この国には四季がある。急いで俺が向かうと、白いテーブルクロスがかけられた茶席が用意されていて、そこには頬杖をついている国王陛下の姿があった。砕けた姿勢をしている陛下を、この日俺は初めて見た。
「遅くなり、失礼致しました。リュクス=レンドリアバーツ、馳せ参じました」
「おう、まぁ、そう硬くなんなくて良いって」
「――へ?」

【続きは製品でお楽しみください】

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