【書籍情報】
タイトル | 不道徳なあたしのカノジョ |
著者 | 服部汐里 |
イラスト | |
レーベル | フリージア文庫 |
価格 | 300円+税 |
あらすじ | 西暦二一二二年。 違法建築と性風俗と暴力がはびこる町で、カツアゲやスリで生計を立てているあたしは、ローズとジャスミンの匂いがするお姉さんと出会った。愛人契約を結んだものの……。アングラな町で一瞬交錯した二人の、恋物語。 |
【本文立ち読み】
不道徳なあたしのカノジョ
[著]服部汐里
目次
不道徳なあたしのカノジョ
西暦二一二二年。
日本の南端。四十七都道府県に、半世紀ほど前に新設された四十八番目の上級行政区画――桃日祭《ももかまつり》。
その南端より南部にある、どこの管轄でもない港町。
あたしは、ここでとある美しい女と出会った。彼女の名前を、あたしは知らない。けれど、あたしの人生における傲慢と厭世をぶち壊した、眩い光のような女だった。彼女は蛍光灯だ。あたしという雑居ビルの廃墟に、唯一明かりを与えてくれる光だった。どんな場所であろうと彼女の色に塗り替えてしまうような、そういう人工的で異様なまでの白である。
そして白を愛する彼女は、あたしの白いショートボブの髪を可愛がっていた。毛先が退色した理由はストレスだと教えても、「死刑直前のマリーアントワネットみたいだね。あの話はたぶん盛られていると思うけど」と、彼女はあたしの白い髪を指で梳くことをやめなかったのである。
反対に、彼女は指どおりのいい長い黒髪だった。折りまげてもすぐまっすぐに戻ろうとする弾力のある髪は、彼女の心をよく表していたように思う。彼女は「私の肌には、黒い髪がちょうどいいから」と言って、あたしの知っているあいだには一度も染めることはなかった。彼女の肌は、色がないのではないかと思うくらい、血の赤を感じさせない透明な白だ。
黒とマゼンタを基調とした派手な服装を好むあたしと、黒と白とのコントラストを好む彼女とでは、黒の意味合いが異なっていたのだろう。あたしは黒もマゼンタも同じくらい好きだったけれど、彼女の黒は徹底的に白のための色だった。
思えば最初っから、彼女はこの町の異物だったのだ。
いつだっただろう。彼女とこんな話をしたのを覚えている。
「私は、潔白なあなたが好き」
「じゃあ、あたしは黒かグレーになろっかな」
「ひねくれもの」
「生まれる直前で逆子になったガキだもん。胎教がひねくれもの同士の怒鳴り声だったから」
「それ嘘でしょ。覚えてないくせに」
彼女の言葉にどう返したのかなんて覚えていない。けれど、重要なのはあたしではなく、彼女のほうなのだから、あたしのことなんてどうでもいい。
他にも、彼女が常々口にしていた言葉がある。
「香りは、秩序やルールをもっともお洒落な形に表現したものだって言葉があるでしょ。場所や使いかたが重要で、なおかつ使いすぎれば下品になるから。清廉潔白な香りは、その人の内面の厳格さそのもの」
彼女の好きなものは、白と、その肉を生き物のように見せかける洗練された香りだ。この乙女とも少女とも女性とも言い難い女を手に入れることこそが、このときのあたしの欲望のすべてだったのである。
〇
工業地帯の外れ、歓楽街が昼の世界を浸食するようにして生まれたニュータウンに歴史はない。違法建築と性風俗と暴力の無法地帯だ。ひとつの都市を覆いつくすほどのゴロツキであふれた掃き溜めである。どんなクズでも受け入れるのがこの町の人情だ。この町の住民どもは皆、悪意と欲望のために、強かに生きていた。
あたしらは、勝つためならば誤解も汚名も軽蔑も厭わない、そういう町の住民であることにアイデンティティを見出している。中心街にある闇市は、この町の代表的なシンボルだった。煙草より安価な違法薬物も、バラ売りされた人体も、生きた女たちでさえも、ここでは何でも売っている。そんな場所が町の中心にあるのだから、秩序などというものを期待していては売り物にされてしまうのがオチである。路上に死体が落ちていることも珍しくはなかった。そういう環境を改善しようと立ち上がるような、当たり前のことをする者さえ、ここにはいない。そんな住民どもの人間性がどういうものなのか、語らずとも雄弁に伝えているのがこの闇市だ。スリやカツアゲ程度なら、可愛い悪戯だと思って見過ごす、あるいは諦めるのがこの町のルールである。
この町の遊びにも幅があって、比較的文化的な遊びも住民どもが提供するビジネスのひとつだ。空を隠すようにひしめく看板は、町の世界観そのものである。ネコ耳少女軍団の「カワイイ」を売りにした土産物屋の広告は外国人観光客向け、母性本能という旧時代の概念を全面に出した特殊浴場の広告は男性向けとしてそれぞれデザインされていた。
あたしはというと、医療用の杖を棒切れのように振り回しながら町を闊歩している。足元はヒールも厚みもないサンダルだ。これが精一杯のお洒落だった。足が悪いから、ヒールの靴は少しばかり危険なのである。走れるし殴れるけれど完全とは言い難い肢体と体調になって、そのことが原因でまっとうな職を失って、この町に流れてきた新参者なのである。あたしにはもう、表社会に居場所はない。だからといって、裏社会で生きていく力もメリットもなかった。どっちつかずの灰色の町で、善意をすり減らしながら生きている。倫理や道徳を捨てて生きるのにも、ある種の覚悟が必要なのだ。
「ゾンビ女め! 右側ばかり狙いやがって、卑怯な奴だ!」
男の怒号は、あたしのいる場所から見て、車道を挟んだ向こう側から聞こえてくる。その声は、こう続いた。
「そういや、財布がねえぞ! どこいっちまったんだ? クソッ、ゾンビ女と関わるとろくなことにならねぇ!」
それから、四方八方に当たり散らしたような打撃音が聞こえてきた。けれど、あたしには関係のない話である。金は電子端末に入れておくのが当たり前の時代に、財布などという旧時代的なものを使っているほうが悪いのだ。汚い金は電子化できない。そして汚い金は汚い手によって回収されていくものである。ある意味、正しい循環だ。
さて、この男はどうしてゾンビ女とやらに右側ばかりを狙われ、そして財布まで奪われてしまったのか。
理由なんてない。答えとしてはそんなものになってしまう。この男は先刻まで中華屋でラーメンを食べていたのだ。そのときに、一番右端のカウンター席に坐っていたはずである。そこで、店主に向かって昔話をしていたのだ。
「ラーメン屋ってのは腕のいる仕事だ。学も根気もないオレにゃ無理だね。なあ店主、モノを売る商売のなかで一番簡単に儲かる商品がどんなものかわかるか? 臓器だよ。ガキの頃、角膜を売られそうになって、うまいこと逃げおおせたのがこのビジネスを思いついたきっかけさ。ガキもいいが、若い女は生きていても死んでいても余すところなく金になるたぁうまいこと言ったもんだ。でも、臓器を売っちまうのは可哀そうだろ? だから最近、女衒屋に仕事を変えたんだ。まっとうに稼いだ金で食うラーメンってめちゃくちゃうめぇんだな!」
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