【書籍情報】
タイトル | ミッドナイトフレーバー~深夜に始まる上司との恋愛~ |
著者 | 香夜みなと |
イラスト | モルト |
レーベル | ヘリアンサス文庫 |
価格 | 500円+税 |
あらすじ | OLの笹村彩乃は、昼は会社、夜はバーでアルバイトをしていた。 恩を返すために働いていたのだがそこに同じ会社の営業で上司でもある葉山和希が偶然にも訪れる。 副業がバレてしまうと思った矢先、葉山から「副業のことは黙っててやるからいうことを聞け」と言われ……。 |
【本文立ち読み】
ミッドナイトフレーバー~深夜に始まる上司との恋愛~
[著]香夜みなと
[イラスト]モルト
目次
真夜中の嘘
真昼の夢
夕闇の誤解
明け方の真実
書き下ろし
毎日同じ時間に仕事にいって、同じ時間に帰ってくる。
同じことの繰り返しだとしても、それが一番平穏であることを身に染みて実感していた。
なのに。
どうして彼に見つかってしまったのだろう。
真夜中の嘘
花の金曜日といえば、社会人だったら多少は浮き足立つもの。けれど、私、笹村彩乃《ささむらあやの》は定時までの時間と戦っていた。
(う~ん、今日の仕事定時で終わるかな……週末、締日……頑張ればなんとか)
目の前の画面とにらめっこをしながら携帯に届いたメッセージを横目で見る。突然の夜のお誘いに自然と動作が速くなってしまい、書類を落としそうになったのを慌てて拾った。
「戻りました!」
午後五時十五分。あと十五分で定時というところで、疲弊しているオフィスに似合わない爽やかな声とともに帰社してきたのは同じ部の営業で私の上司でもある、葉山和希《はやまかずき》さんだ。私が働いているのはオフィス家具の販売、リース、レンタルをやっている会社で、葉山さんは関東圏の営業を担当している。けれど担当している会社の他の支部にも自ら出向いていて、こうやってよく出張へ行っていた。
「葉山さん、直帰じゃなかったんですね。今日は仙台でしたっけ?」
「はい。直帰するのも微妙な時間だったので。定番のお土産ですけど、良かったらどうぞ」
彼の明るい声から発せられるお土産という言葉に女子社員は喜び、ほかの男性社員も息抜きとばかりにお菓子に手を伸ばしていた。
「笹村さんもどうぞ」
「わざわざ取ってきてもらってありがとね」
いつまでたってもお菓子を取りに行かない私に後輩がわざわざ持ってきてくれた。いつもなら自分で取りにいくのだけれど、今日だけはどうしても定時に上がらなければいけない用があるため、今は仕事を片づけることに専念したい。
「いつもなら真っ先に取りに来るのに珍しいな」
その声に顔をあげると私のデスクまできた葉山さんがいた。いつ見ても整った髪型と皺のないスーツに思わず見惚れてしまいはっと視線をモニターに戻した。
「お疲れさまです。どうしても今日は定時に上がらなきゃいけないので」
「ふぅん。仕事熱心なことだな」
「そうでもないですけど……」
興味なさげにそうつぶやくと葉山さんは、女の子たちのところへ向かっていった。時折浮かべている笑顔を見て、そりゃ若い子のほうが好きですよね、なんてお門違いな悪態を心の中でつく。入社して三年目。派遣や高卒で入社してきた若い子もたくさんいる。少しモヤモヤしながら数字を入力していく指が自然とテンキーを強く叩いていた。
「葉山くん、来週はB社に呼ばれてるんだよね?」
「えぇ、来週は大阪ですね。また何か買ってきますよ」
遠くから部長と葉山さんの声が聞こえてきた。来週は大阪かぁ、やっぱりたこやきかなぁなんて名物に思いを馳せてしまうのは食いしん坊だからではないと思いたい。おいしい物が沢山ある大阪だから気になるだけだ。
そんなことを思いながら最後の数字を入力して保存ボタンを押した。これで今日の業務は終わり。定時まであと五分。息抜きとばかりに机の上においてあるお菓子に手を伸ばして包みをはがす。お月さまをイメージした、丸くてふわっとしたフォルムが出てきた。甘い匂いがたまらない。
「いただきまーす……」
みんなには見えないようにデスクの仕切りの陰に隠れて口に運ぶ。ふわりとした食感と中のカスタードクリームがびっくりするほどおいしい。
「おいし~。やっぱり仙台っていったらコレだよね」
集中していたせいか糖分が身体に染み渡っていく。これからの用事のことを考えてもここで一息つけるのはありがたかった。何せ、今日の夜は長い。
「おい。笹村」
「はひっ」
突然呼ばれて思わず手元が狂ったけれど、間一髪でお菓子は無事だ。
「はは。美味そうに食ってんな。んじゃこれもやる。新幹線で食おうと思って駅の売店で買ったんだけど。結局寝てて食わなかったから」
口を膨らませていた私をみて葉山さんは吹き出すと何かを投げてきた。受け取ると、それは今食べていたお菓子のチョコレートバージョンのようだ。ココア色がまた食欲をそそる。
「あ、ありがとうございます!」
「あぁ。じゃあな」
こうやって葉山さんは時々お菓子をくれる。なんだか餌付けされているような気がしなくもないけれど、何かを要求されることもないしいつもありがたく受け取っている。
(って、そうだ、時間……!)
おいしいお菓子に舌鼓を打ちながらも慌ててモニターに映し出される時刻を見るとちょうど十七時半。パソコンの電源を落としてバッグを肩に掛け、コートを持って出入り口へ向かった。
「お先に失礼します!」
首からぶら下げていた社員証を勤怠システムにかざしてドアを開けると、「お疲れさまー」という声をかけられながら、足早に目的地へと急ぐのだった。
午後六時にもなると歓楽街が鮮やかに彩りはじめる。早いところではサラリーマンがすでにできあがっていて、店の外にまで笑い声が聞こえていた。チェーン系列の飲み屋や、昔ながらの赤提灯のお店、ガールズバーやキャバクラといったネオンが眩しい看板を横目に、ひたすら飲み屋街の奥を目指した。
「今日もちゃんと十分前出勤っと」
携帯で時間を確認し、よく見ないと見逃してしまいそうな扉のドアノブを掴んで中へ入る。
「お疲れさまでーす」
「あ、彩乃ちゃん! 来てくれたのね。助かるわぁ」
出迎えてくれたのは飲み屋街の奥にある小さなバー『シエスタ』のマスターである小山有紀《こやまゆき》さんだ。この『シエスタ』は大学生のころバイトしていたバーで、今でも人が足りないときはこうして手伝いにきていた。さらさらの長い髪の毛をまとめていると女性にも見えるが、ニットを着ているとその肩幅かられっきとした男性だということが分かる。話し方からオネェ系に間違われることもあるがそうではない。
店内はバーカウンターの他にテーブル席が三席の割と狭い店内だ。テーブル席に一組お客がいるのみで、まだ賑わう時間ではなかった。
「とんでもないです! マスターのお願いなら当日でもかけつけますから!」
「ごめんねぇ。もう働いてる彩乃ちゃんにいつまでも頼るのは良くないって分かってるんだけど……」
「それは言わない約束ですよ。私こそお小遣いもらえて助かってますから」
「小さいバーだからそんなに人が雇えなくてねぇ。急に休まれると困っちゃうのよね」
ふぅとためいきをついたマスターの他に、いつもはもう一人従業員がいるはずなのにその姿が見当たらない。
「ヒロくん、またですか?」
「まぁ仕方無いわよね。バンドマンってそういうものだから」
「ライブ、ですか……」
「対バンだって」
ヒロくんはこの『シエスタ』のアルバイトで、今はマスターとヒロくんの二人がメインでお店を回している。その他に週三ぐらいで入ってくれる女の子もいるけれど、このヒロくんというのがまた夢を追うバンドマンで急にライブが入って休むことが多々ある。
「応援してあげたいんだけどねぇ、お店も大事だしねぇ。それに今日金曜日よ、金曜!」
「金曜日は稼ぎ時ですもんね」
狭い店内を抜けてスタッフルームに荷物を置くと専用のエプロンをつけて手を洗う。このエプロンは私がバイトしていたころからずっと使っているもので、これを着ると少し若返ったような気分になるから不思議だ。
「だからホントに彩乃ちゃんが来てくれて助かった。一人だと寂しいしね」
「いつでも呼んでください。あ、お通しの用意しておきますね」
「ありがとう」
この『シエスタ』は終電が近くなるにつれて混んでくる。まだ客が少ない時間帯にできることはしてしまおうと手を動かしていくのだった。
予想通り狭い店内に人が増えていく。そもそもそんなに人数の入るバーではないから、顔見知りの人以外は一、二杯飲んでつまんでさっと出ていく人も多い。大体が二軒目、三軒目として『シエスタ』にくるので店内は人の熱気とアルコールの匂いでいっぱいだ。
「マスター、ちょっと換気してきますね」
一言断ると狭い店内をお客さんにぶつからないように抜けて出入り口へと向かう。肌寒くなってきたから少しだけドアを開けるだけでも違うだろうと、ドアノブに手をかける。
「わっ……」
「っと、悪い。そっちに人がいると思わなく、て……」
押して開けるはずの扉が押さずとも開いて、そのまま前のめりになってしまう。それを誰かに支えられて顔を上げた。
「笹村?」
「え……? はや……」
そこには怪訝そうな顔をしている葉山さんがいて、思わず名前を呼びそうになったのを慌てて押し込める。何が起こったのかわからず理解が追いつかない。
「お客さんここ初めて? 奥のカウンター空いてるわよ」
客が来ているにもかかわらず案内しない私を怪訝に思ったのかマスターがカウンターの中から声をかけてくれた。その声にはっと意識を戻す。
「あ、い、いらっしゃいませ! 奥、案内しますね」
「あ、あぁ」
バレてないよね、とバクバクと音を立てる心臓を抑えながら奥へと進んでいく。オフィスとは違いここにいるときは髪型も変えているし、少しだけメイクも派手めにしている。名前を呼ばれた時に思わず葉山さんの名前を口にしてしまいそうになり、慌てて息を飲んだのは幸いだったかもしれない。
「お客さん、何飲みます?」
「……スレッジハンマーで」
「あら、そんな強いの最初でいいの?」
「今日は酔いたい気分なんですよ」
カウンターの中でおつまみのナッツを用意しているとマスターと葉山さんのやりとりが聞こえる。スレッジハンマーは私でもわかるぐらい強いお酒で、葉山さんてそんなにお酒が強かったかなと記憶をたぐり寄せるがこれといって何も出てこない。会社の飲み会ではあまり意識していなかったけど、営業だしそこそこお酒は強いのかなと思い気にしないことにした。
「こんな金曜日に一人で初めてのお店なんてちょっとワケありかしらね」
マスターは葉山さんに聞こえるか聞こえないかの声で小さく呟いてシェイカーを振るとグラスに注いでそっと差し出した。
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